五つ腕
「白じゃ、ない……?」
ガウディウムが稼働中などに時折吹き出す白い煙は、反応し終わった魔素の残滓。
色が白いのは操縦者がアーマー・ギアへ流し込んだ感情が、光や善に満ちているからだというのが通説だが実際にはよく分かっていない。
それがあんなにも禍々しい色をしているなんて。
寄り集まったガウディウムたちは、しかし歩みを止めようとはせず、押し合いへし合い折り重なり、プリンセッサでさえ見上げるほどに巨大な機械の山を形作る。
ほぼすべてのガウディウムが集まると、山は周囲の音をすべて吸い込んだような静寂に包まれる。
こんな現象、恐らく魔素機関が開発されてから五十年余りの間、誰も見たことが無いはずだ。
「な……なに……?」
機械の山を覆う赤黒い霧はたき火のようにゆらゆらと揺らめき、山を暖めているようにも見えた。
全身にじっとりと脂汗が浮かぶ。
あの赤黒い霧を見ていると、心がじくじくと痛む。
ガウディウムが吹き出す白い霧が、光や善の心の残滓なのだとすれば、あの赤黒い霧はどんな感情の残滓なのか。
そんなこと、この心の痛みから容易に類推できる。
あのガウディウムが折り重なった山は、きっと善くないことを起こす。
「プリンセッサ!」
でも逃げるわけにはいかない。
魔素研究開発機構での一件で警察のガウディウムの大半を破壊したのは自分。あの機械の山が敵対しようとするならば、対応できるのは自分たちだけなのだから。
トーニャの全身を濃緑色の光が包み、彼女をプリンセッサとひとつにする。
『こわいだろうけど、あたしも怖いからがまんして、プリンセッサ』
無茶を言っていると思う。
けれど、ティロをアテに出来ない以上、自分たちがやるしかないのだ。
ぴし、と機械の山に亀裂が入った。
思わず半歩下がってしまう。
下がるな。
ぱしんと自分の頬を叩いて気合いを入れ直し、一歩前へ。
おばあもよく言っていた。恐怖を感じるうちは正常だと。恐怖を感じるからこそひとは最善手を尽くすのだと。
「よし」
祖母のことを思い出したら元気が出た。
恐怖は完全には消えていないが、観察する余裕は出てきた。
ヒビが入ったということは、割れると言うこと。外殻部はもうガウディウムたちの名残りもなく、ただの金属の塊にしか見えない。ならば、あの中にあるガウディウムたちも原型を留めているとは考えにくい。
そして、あの山から感じる得体の知れない恐怖。
きっと善くないものが出てくる。
少なくとも、そう思っておいた方が楽だ。
定まった覚悟を胸に、深呼吸。
亀裂は葉脈のように縦横無尽に機械の山を駆け巡り、やがてぱらぱらと剥がれながら表面の機械が捲れ落ち、地面を揺らす。
悪意の塊。
トーニャが無数のアーマー・ギアから抜き取った悪意と、ガウディウムに残留していた悪意。
それらが機械の山の中で熟成され、鋼の肉体に宿り、圧倒的なほどに巨大な姿へ成長して生まれ落ちてきた。
全身を駆け巡る悪寒と共によみがえってきたのは、数日前自身が引き起こした惨劇。
混乱と恐怖を引き金にして内から涌き出る破壊衝動に身を任せ、それをプリンセッサに伝播してしまったあの醜い姿。
形状変化を起こしている原因は、機関部から精神エネルギーを伝えるために使用されている魔素だろう。人の思いをエネルギーに変換するだけでなく、形状まで変化するなんて、どれほど強い悪意があの山の中に蠢いていたのかと思うと心底ぞっとする。
『ケガしてるひとは早く下がってください!』
警告しながらトーニャはハンマーを外に、プリンセッサの手のひらに放り投げ、受け取ると同時に彼女に合うサイズにまで巨大化させ、機械の山から起き上がった悪意の塊に対処できるようにする。
悪意の塊は、左三本、右二本の五本腕。手にはそれぞれ斧や刀などの近接武器を持っている。
そして頭部はふたつ。両方ともツイン・アイだが鼻や口に相当する造形は見られない。
腰から下は蛇のように太く長く一本にまとまり、この巨体を支えるにはこの方が好都合だと言わんばかりにうごめいている。
「南国の神話にあんな怪物居たな」
それを聞いたのはおばあの昔話だったように記憶している。とは言ってもどんな内容だったかはおぼろげではあるが。
「さて、どうしよう」
とにかく、名前が無いと作戦を練る時に不便なので、トーニャはあの怪物を五つ腕とストレートに名付け、観察する。
あれだけ不気味な霧を滲ませながら、五つ腕は周囲を睥睨するばかりで動こうとすらしない。そして五つ腕の右手側にいるこちらに気付いた様子も無い。まるで何かを探しているようにすら見える。
「いま仕掛けたら、どうにか出来るかな……?」
先手必勝。おばあもよくそう言っていた。迷えばそれだけチャンスが逃げるとも。
よし、とハンマーをしっかりと握らせ、一歩前に。
瞬間、動きに変化があった。
五つ腕はけが人を集めている区画に視線をやり、無造作に槍を投擲した。
「ちょっと、なにを!」
町中が混乱していて救急車も医者も圧倒的に足りない。せめて広いところで寝かせておこう、とトーニャが引きずり出した後、一カ所に集められていたのだ。
先ほどの警告からさほど時間も経過していない。気付いた何人かが慌てながら、けが人に肩を貸しながら逃げ始めるがあれでは絶対に間に合わない。
「間に合え!」
反射的に飛び出し、射線上に割り込み、ハンマーをぶん投げて投擲された槍をたたき落とす。
ずん、と土と芝生の混じった煙を立てながら落ちた槍は、見た目以上に素早く動く五つ腕に回収されてしまう。
怒りをもってトーニャは五つ腕を睨み付ける。
五つ腕もプリンセッサを見下ろし、その武器全てを構え、照準した。
依然として不気味な赤黒い霧は滲み出させてはいるが、形もくっきりと、それも機械の器をもって現れた以上、どうにかできる。
『とりあえず、ぶっ壊してみる!』
あの滲み出る赤黒い霧への対処は、動きを封じてから考えればいい。
『はあああっ!』
無人の五つ腕を無力化するには、動かなくなるまで破壊する方法が一番手っ取り早い。
そう踏んでトーニャはプリンセッサを駆る。
五つ腕の挙動は素早く、しかも五本の腕を巧みに操ってトーニャたちの動きを制限し、彼女からの有効打を避けている。
トーニャもまた多彩な攻撃に惑わされず、しかし対処が精一杯でなかなか間合いに入れない。
なによりサイズが違いすぎる。
腕一本一本がプリンセッサの全高とほぼ同じ長さがあるのだ。感覚としては生身でガウディウムと対峙しているのと同じ。それだけなら死角を突いて少しずつでもダメージを積み重ねていけるだろうに、五本腕の双頭となれば。
一度距離を取り、建物の陰に入って作戦を練る。
突撃は論外。
かといって搦め手をやれるだけの道具も知恵も無い。
あ、自分を囮にしてプリンセッサで反対側から……だめだ。自分が先にやられたらそこで終わり。
ここまでほんの数秒。思索を巡らせつつ五つ腕の様子を探る。こちらを探しているのか、大きく動かずに上体を揺らめかせ、四つの眼で周囲を睥睨している。
五つ腕が最初に狙ったけが人たちは、トーニャが注意を引きつけている間に全員逃げてくれた。五つ腕もこちらを標的と定めたのか、この広場から出ようとはしない。
それらは良い情報として処理出来る。が、誰か援護射撃ぐらいして欲しいと筋違いにも思ってしまう。
「あたししか居ないんだ。考えろ、考えろ……」
ハンマーは近接武器にしか変形できない。飛び道具は便利だと思うけど、どこか卑怯な気もするから、と機構に組み込まなかった。それがこんな形でネックになるなんて。
しかしどうしよう。
ここでじっとしていても状況は変わらない。
恐らく、いままで暴れていたガウディウムと同様、五つ腕を覆っている赤黒い悪意を取り除けば活動は停止する。けれどあんな大量の悪意を浄化できるような聖人君子なら、きっとこんな生活もしていない。
どうしよう。
こういう時トーニャはとても短気になる。
待つことも大事なことだよ、と祖母からも、ミィシャからも、果ては幼い頃のティロからも言われているが、一向に直そうとしない。
もういっそ飛び出して、当たって砕けてしまいたくなる。
「ん、なにこれ」
ふいに指先が何かに触れる。プリンセッサの中にあるものだから、と指を動かしてたぐり寄せ、しっかりと握りしめて顔の前で広げる。
「月光団のマスクだ」




