ギアの故障
ヌェバも情報を持っていなかった。
元々期待はしていなかったのでショックは無い。むしろ記憶を覗かせてほしいと言われたことの方がショックだった。
魔族にとって記憶を見せ合うことなんて何気ないことなんだろうけれど、こちらを同胞と思ってくれたと思うと、ほんの少しだけ嬉しく感じられるけれど。
ヌェバなら宣言通り白いワンピースの女性と会っていた時の記憶だけ見るんだろうけどれど、やっぱり恥ずかしい。
日記を見られるよりも数倍。いや、もっとかも知れない。
気を取り直して次の作戦を練る。
ティロが行きそうなところを、と思案を巡らせて浮かんだのは、以前ティロの荷物を送ってきた宅配便の配送伝票だった。
いずれ事態が落ち着いたらティロが世話になったお礼の品でも贈ろうと、気付かれないように確保しておいたのだ。
「まさか、とは思うんですけど」
「トーニャちゃんはいいのかい?」
「はい。たぶん、あたしが行くと絶対に逃げると思いますから」
「そうかい」
薄くうなずいて署長は部下へその住所へ向かうように指示したが、結局はもぬけの殻に終わった。
これでトーニャが持っているボスとティロの情報は打ち止めとなったので、これからの捜索は地道な聞き込みだけが頼りとなってしまった。
「じゃあ、私は署に戻るよ。いろいろ不躾なことを訊いただろうけど、許してほしい」
「大丈夫ですよ。署長さんも仕事ですから。むしろ署長さんが来てくれてありがたかったぐらいです」
すまなそうに制帽を脱いで一礼し、署長は夕焼けの中バレンシェバッハ邸を後にした。
「さ、て。お仕事お仕事」
大きく伸びをして工房へと向かった。
広さと静けさを思い出した家でトーニャは、黙々と依頼をこなす日々が再開した。
ちなみに、ティロの食器と衣服はきれいに洗って段ボール箱にしまってある。
ふたり暮らしをすることはもう二度と無いだろうけど、連絡があれば送りつけてやるんだ、と鼻息荒く腕まくりで仕上げ、あとは向こうの住所を書くだけの配送伝票まで貼り付けて玄関先に置いてある。
「ねえヌェバ」
リビングにも、この家にもトーニャ以外の姿は見えない。にも関わらずトーニャはヌェバの名を呼ぶ。
「なんだい、トーニャ」
ややあって、何も無い空間にぬるりと影があらわれ、ヌェバの姿を象った。
「あんたたちって、人間そのものも食べるの?」
「……キミも、あの時のことを見たんだね」
こくりと頷くトーニャ。
「以前も言ったように、ボクたち魔族が摂取するのは人族の精神エネルギーのみさ。肉を喰らいたいという欲求も、消化器官もそもそも無いよ」
「じゃあなんで、あの魔族はあんなことをしたの?」
「ボクもあの現場に居たわけじゃない。ティロから幻の記憶を見せてもらっただけだし、共有記憶にも情報は無いんだ」
「……そう。ありがと」
「それだけかい?」
「そうよ。お茶なら勝手に飲んでいっていいから」
「ボクは保護者だよ」
「……あんなことをしたのは、あんたじゃないのね?」
「しないよ。キミたちのおばあさまに誓って」
「そう。ならいい」
「夕飯、ボクはお茶を飲むだけだけど、付き合うよ」
「……ありがと」
夕飯は残り物で野菜炒めを作った。
あいつとふたり暮らしをしていた日数なんて、五日ほどもないのに、油断するとお米を五合ぐらい炊いてしまう。もちろん残った分は翌朝おじやにしたり、カレーにしたりして食べきっているが、このままではすぐに太ってしまう。
気をつけよう。
「いただきます」
この際だから、とヌェバが知る母のことを訊いた。
魔素の効能などについて熱心に研究している学者肌だったこと。
誰もが振り返る美人だったが、彼女の母、つまりトーニャたちの祖母の威光が強すぎてただ一人、祖母の弟子だった父以外に誰も声をかけなかったこと。
幸せな夫婦生活を送っていたこと。
なかなか子宝に恵まれなかったけど、突然双子が生まれてとてもとても喜んでいたこと。
夜泣きはトーニャの方がひどくて祖母と父とで交代で眠ったこと。
お乳がうまく出なくて困ったけれど、粉ミルクでも文句を言わずに飲んでくれたこと。
「もういい。もういいから」
トーニャの皿が空になっているのを確認してヌェバは立ち上がる。
「そうかい。ゆっくり休むといい」
「うん。いろいろありがと」
いいさ、と言ってヌェバはぬるりと姿を消した。
野菜炒めもご飯も、今日はやけにしょっぱかった。
急に静かになって、それを紛らわそうとテレビを付け、めぼしい番組が無かったのでラジオに切り替えたけれど、月光団という、無関係の者たちからすればヒーローショーが無くなって、テレビもラジオもどこか寂しそうだった。
解散宣言は出されたけれど、ほとぼりが冷めたらまた別の名前でやりだすかも。あいつ結構人の言うこと聞かないから。
そんな妄想をしながら風呂にゆっくり浸かり、もぞもぞと着替えてぐずぐずとベッドに入った。
「おやすみなさい」
懐かしさと幸せに満ちた夢を見ながら眠った。
*
あれだけ幸せな気持ちで眠りについたのに、目覚めは騒々しいものだった。
激しくドアをノックしながら署長が喚き散らしている。
「すまないトーニャちゃん起きてくれ! 街が大変なんだ!」
なんですかもう、とドアを開けると、すっかり興奮した署長がいた。
「アーマー・ギアが暴走している。いま街中の技師をかき集めているんだ。トーニャちゃんも急いで準備してくれ!」
あ、はい。と寝ぼけたまま返事をして言われるまま着替えて歯を磨いて顔を洗って、足をふらつかせながら署長の乗るパトカーの後を一輪バイクでついていった。
せめて道中で軽食を買っていきたかったけれど、そんな雰囲気でも無かったので我慢した。いくつ目かの信号待ちで署長が慌ててパトカーから飛び出し、自販機で缶コーヒーを買ってきてくれた。
「すまない。この近所は自動販売機ぐらいしかなくてね」
「あ、いえ。まだそんなにお腹空いてないので」
そう言いつつプルタブを開けて一口。ほどよい甘さとほろ苦さが寝ぼけた脳とからだに染み込んでいく。はしたなく思いつつもそのまま一気に飲み干す。
「ぷは。ごちそうさまでした」
「口に合ったようで良かったよ。じゃあ説明は移動しながらやるよ」
「はい」
暴走の原因については予想がついている。
アーマー・ギアだ。
ギアは人と魔素機関を繋ぐ装置であり、人の精神エネルギーを機関に届ける装置だ。
魔素機関は光や善に満ちたエネルギーを受けると鮮やかに循環し、人が求める機能を発揮する。
ならば闇や悪に満ちたエネルギーを受ければどうなるかは、署長の慌てぶりを見れば分かるだろう。
六十年前に世界が裏返り、魔族と魔素が溢れて以来、人々は魔族を新たな友人として様々な知識や経験を吸収、共有し、新たなエネルギー源として魔素を研究し、魔素機関を開発、運用してきた。
魔素機関を正しく運用するためには光や善の心が不可欠。特にこのカルボン・シティでの犯罪件数の少なさは異常とも呼ぶべき数値なのだ。
そんなカルボン・シティでガウディウムが暴走している。
半年ほど前からトーニャの工房にはアーマー・ギアの修理依頼が増加している。
月光団が活躍し、悪を体現し始めたのも半年前。
人々の心を曇らせた原因がどこにあるのか、ここまで要素が揃えば誰にでも分かる。
『……まさかそれが月光団の本当の目的だった、と言うのかい? トーニャちゃん』
「そこまでは分かりません。そういうのを調べるのは署長さんたちの仕事でしょうし」
一方的に通信を切って、トーニャはやるべきことを暗唱する。
悪のエネルギーを浴びて暴走状態に陥ったガウディウムの動きを止め、駆動キーであるアーマー・ギアを抜き、修理する。
その場しのぎの対処療法ではあるが、他に方法は見当たらないので地道にやっていくしかない。
脳みそを使って使って、ようやく目が覚めてきた。
目的地である農業・工業エリアも見えてきた。
種類で言えばむしろ人型の方が少数の大型機巧体だが、それでも人の制御を離れ暴走すれば十分な脅威となる。
現に今も田畑を荒らしたり、遠くに見える果樹園では重々しい足音とともに葉や実が乱れ舞っている。
現場には対人用のガウディウムを纏った警官たちもいるが、彼らが対応出来るのは小型のものばかり。大型のものは近づくことすらできないでいる。
一輪バイクから降りてハンマーを掲げ、プリンセッサを召喚する。彼女の召還は時を場所を選ばない。凝縮された闇が巨人を型取り、ずしゅん、と見た目以上の軽い足音で着地する。
しかし、バイザー・アイから濃緑色の光は照射されない。
倒すための戦いではなく、取り押さえるための戦いなので彼女ひとりでも熟せる。自分は外でガウディウムを修理しなければいけないから。
「じゃあ、お願いね。プリンセッサ」
うなずいてくれたように感じた。
「ガウディウムの修理はあたしがやります! おとなしくさせたら教えてください!」