魔族という存在
少し長めです。
ティロに合図を送ってこちらが身軽になったことを伝え、弟の援護に向かう。
そのつもりだったのに、見てしまった。
爆発により天井が吹き飛び、その中に居た女性の姿を。
トーニャの記憶の中よりも幾分若い祖母が建物から中庭へ飛び出し、なにかを叫んでいる。その正面、天井が吹き飛んだ建物の中には、最初に廊下ですれ違った白衣姿の女性がある。
白衣の女性は片手で頭を抱え、ひどく狼狽した様子で何かを叫んでいる。けれど内容は聞こえない。きっと自分に向けられたものでは無いからだろう。
なにより、白衣の女性の周囲には火の海が横たわっていて、いまにも白衣の女性を呑み込んでしまいそうだ。
祖母は周囲へと懸命に救援を呼びかけてはいるが、この混乱の中では聞き届けられることは、恐らく無い。
それはつまり女性の命の幕が炎によって焼き尽くされることと同義であり、幻でありながらもトーニャはなにかしてやれないかと考えを巡らせてしまう。
そこへ、白衣の女性の元へ新たな影が現れた。
少し前に見た幻の中で祖母たちと談笑していた、ドレスを着込んでいたあの魔族だ、と思い至った次の瞬間、魔族は上体を大きく反らし、自らの腹部を巨大な口へと変化させ、そして次の瞬間には白衣の女性を丸呑みしていた。
すべては一瞬の出来事だった。
「え?」
思わず声が出た。
魔族はそのまま同じように姿を消し、中庭に残された祖母は何度も何度も、恐らく白衣の女性の名を叫びながら、燃えさかる研究施設を見つめ、今更のようにやってきた消防車やレスキュー隊によって中庭から引きはがされてもなお、祖母は泣き叫んでいた。
そこで幻は終わり、眼下には焼け焦げた廃墟があるだけだった。
「なに……? いまの……」
呼吸が荒い。
鼓動も激しい。
『どうした?』
動きを止めていたのは、たぶん三分も無い。けれどそれを心配したティロが声をかけてくれた。お陰で少しだけ冷静さを取り戻せた。
なのに。
『おまえも見たのか。魔族に飲みこまれたのは、俺たちの母親だ。……あれが、十五年前の真実だ』
なんでそんなこというの。
収まりかけていた鼓動と呼吸が、堤防が決壊したように激しく荒く拡大していく。
母親。
物心ついてからこっち、自分たちのそんな存在がある、なんて欠片も意識したこと無かったのに。
あの日、全頭マスクのティロをテレビ越しでも直覚できたように、その単語を通してあの女性のことを思い出せば、確かに母親なのだと理解できる。
そういう存在が目の前で丸呑みされた。
「ああ、ああああ、わあああああああっ!」
ただただ喚いた。
喚いて喚いて、型もなにもなく暴れ回る以外どうすればよかったと言うのだ。
『落ち着け、トーニャ!』
弟の声も、脳にも心にもまるで届かなかった。
暴れ狂う感情の奔流はプリンセッサにも影響を及ぼし始める。
『トーニャ!』
『うわああああああああああああっ!』
ぼこり、とプリンセッサの背中が膨らみ、盛り上がり、火山が噴火するように機械仕掛けの柱が生まれ、中間で二つに折れ、先端が細く五つに分かれ、一本の手を腕を形成した。
変形はそれだけにとどまらず、腰の左右からも同様に機械の柱が生まれ、足を形成した。
『ああああ、ああああ、うわあああああっ!』
プリンセッサは腹ばいに、出来損ないの蜘蛛のように這いずり回り、近づいた警察のガウディウムをなぎ倒し、引きちぎり、叩きつぶしてなお止まらない。
『止めろトーニャ!』
破壊するものが無くなったプリンセッサは、ついに、増えた手足で自分自身を痛めつけ始めた。
『くっ!』
それを止めてくれたのは、カイゼリオンだった。
暴れるプリンセッサを押さえつけ、仰向けにして馬乗りになり、カイゼリオンのツイン・アイとプリンセッサのバイザー・アイを合わせ、
『引っ張り出すからな』
カイゼリオンから琥珀色の光を照射する。
びくん、とプリンセッサの全身が震え、逃げようともがく。しかしがっちりとホールドされていて身を捩ることしかできない。
『あ、あ、ああああ、んああああっ』
痛々しかったトーニャの悲鳴が徐々に熱を帯び、プリンセッサの動きも落ち着いていく。
『そうだ。俺はこっちだ。手を、伸ばせ』
ずるん、とトーニャの右手がバイザー・アイから抜き出る。右手はふらふらと彷徨うように動いている。
琥珀色の光が強まる。手はゆっくりと引っ張り上げられ、頭が、肩が外に出てくる。
『もう少し、だ』
そのまま引っかかりもなくトーニャはプリンセッサから引きずり出された。
それと同時にプリンセッサの瞳からも光が失われ、三本目の腕と、三本目四本目の足は根元から崩れ去った。
見守っていた署長や、ガウディウムに搭乗していた警官を救助していた者たちも安堵の息を漏らす。
『署長、トーニャを頼む』
『あ、ああ。分かっている』
すくい上げたトーニャのからだをプリンセッサの腹部に横たわらせ、カイゼリオンは夜の闇に消えていった。
*
気がついた時、トーニャは自宅のベッドに横たわっていた。
どうやって帰ってきたのかも分からない。
うっすらと、ティロがプリンセッサから引きずり出してくれたような記憶はあるけど、その程度だ。
ただ目につくものを破壊し、粉砕し、塵芥と化すまで止まれなかった。
自分の中にあんな破壊衝動があったなんて。
いや、そんなことよりも、考えなくてはいけないことがある。
月光団のメンバーは無事逃げおおせただろうか。
ガウディウムに乗っていた警察のひとたちは無事だろうか。
ハンマーで殴ったひとたちに重傷者はいないだろうか。
心配で心配で胸が張り裂けそうになる。
自分が逮捕されるのはいい。だったらいっそ署長に連絡を取ってみようかとさえ思ってしまう。
そうだそうしよう。
意を決し、手早く普段着兼作業着へ着替え、家を飛び出すようにドアを開ける。
「ああよかった。まだ居てくれたんだね」
玄関先で穏やかなまなざしをくれたのは、その署長だった。
姿勢を正し、深く深く頭を下げ、トーニャは懇願した。
「署長さん、あたしなら逮捕してもらっても構わないです。だから、あの後どうなったのか、教えてください」
一瞬の後、署長は困ったように眉根を寄せ、優しく言った。
「逮捕なんてしないよ。署長の名において約束する。だけど、少し話しをさせてくれないかな。トーニャちゃんがあの晩なぜ月光団として盗みを働こうとしていたことも含めて」
口調は穏やかだったが、その芯には有無を言わさない圧力があった。
「もちろんです。あたしが知ってることは全部、お話します」
署長を招き入れ、お茶を用意し、茶葉の香りをかいで幾分落ち着いたトーニャからは緊張の色は無くなっていた。
ちなみに、署長はたったひとり。名目上は事情聴取だが、トーニャを無駄に緊張させてはいけない、との配慮から書記官も連れてきていない。
「警官たちに重傷者はいない。月光団とやり合っている間に若い連中も荒事に慣れてきてね。実戦でも急所を外したり受け身を取ったりが自然と出来るようになっているからね」
はい、と神妙な面持ちで頷くトーニャ。まだ半分しか安堵できないから。
「あと、月光団の足取りも誰一人掴めていない。まあトーニャちゃんは例外だけど、ティロ君も行方知れずさ」
その言葉を聞いて、しっかりと呑み込んで、トーニャは深く深くため息を吐いた。
「そうですか。よかった……」
胸をなで下ろすトーニャ。抱えていた心配ごとが無くなって安心したのか、他愛ない疑問が沸いてきた。
「でもなんであたしだって分かったんですか?」
出されたお茶を静かにすすり、署長はトーニャを仕草で座らせる。
「予告状が届いた時に、一応こちらに連絡を入れたんだ。でも繋がらなかったからね。月光団になにかされてる、とは予測していたところに、だよ」
「す、すいません……」
「や、謝らないでくれ。話を聞く限り、トーニャちゃんたち月光団のメンバーは深い催眠状態にあった。それを行ったのは、白いワンピースの女性。それもおそらく魔族だ」
「なんで断定出来るんですか?」
魔族には、ヌェバには少なからず恩がある。彼に冷たく当たる理由の半分は照れ隠し。もう半分は言ってしまえば甘えだ。
「私がまだほんの子供だった頃は、そうやって人族の女性を家畜状態にして精神エネルギーを得ていた魔族が居たんだ」
少し暗い表情に変わった。
「実際、私の母や姉も餌食になっていた。あ、いまはもうぴんぴんしてるよ。で、その家畜化していた魔族は、結局ほかの魔族からひんしゅくを買っていまはもう普通に人族と接している」
「なんでそんなの放っておいたんですか!」
トーニャの突然の怒りに署長は驚きつつもきちんと答えてくれた。
「放っていたわけじゃない。気付かなかったんだ。本人たちにその自覚は無いし、多少の違和感や会話の齟齬はあっても、日常生活は問題なく送れていたからね」
「いまは、無いですよね、そういうの」
「それはなんとも言えない。けれど、魔族が言うには、「ひとの精神エネルギーはなんの操作もしていない方が高い純度で摂取できる」らしい。結局人族は、繋がれているかそうでないか、というだけで連中のエサなのかも知れないね」
じゃあヌェバも、と思ったが口にはしなかった。
それを口にしたら、ティロだけでなくヌェバとも縁が切れてしまいそうだったから。
「まあ、そういう経緯があるから、魔族だと考えた。ひょっとしたら人族がやったのかもしれないけどね」
「そうですか……」
静かに座るトーニャに署長は優しく微笑みかけ、次の話題へと切り替える。
「でも結局ボスの行方は分からず仕舞い。またいちから捜査をしなければいけないけれど、朗報もある」
「なんですか?」
「月光団の解散宣言がボスの名の下、署やマスコミ各社に出されたんだ」