魔素の記憶
自然と姉弟背中合わせになっていた。
最初はマスクを通して、でもいまはそんなもの無くても相手がどう動きたいのかが分かる。いまも左右から同時に警官が迫ってくる。けど自分は右、ティロは左に対処するのだと考えなくてもからだが動いてくれる。
師匠は違ってもおんなじ流派を学んでいるからなのか、双子だからなのか、それとも単純に相性がいいだけなのかは分からないけど。
それよりも、さっきので最後だと思っていた、祖母やふたりの女性の幻が視界の隅どころか警官たちに紛れて見えるのは、正直やめてほしい。それはティロも同じなようで、時々何も無い場所を攻撃したり、ふいに肩を縮ませたりしている。
コンビネーションにも警官たちの猛攻にも慣れてきたので、舌をかまないようにしながら話しかけてみる。返事は期待せずに。
「あんたもおばあ見えてる?」
『うん。腰が入ってないとか言われてる』
返事があった。うれしい。
「あたしも。でもたまに褒めてくれる」
『んだよそれ。ずりぃ』
「ふふん、おねーちゃんだもん」
『意味わかんねえ』
なぜだろう。
祖母の葬式が終わった後。弔問客もすっかり帰ってヌェバとミィシャと一緒にお茶を飲んでいた時、ティロとこんな風に軽く冗談を交わしていたことが思い出された。
そっか。
これでさいごなんだ。
弟はこの事件が終わったらまた家を出て行く。
そして今度こそ帰ってこない。
あたしはもうひとりでも大丈夫。
だから、もう、あんたの好きにしていいよ。
お互いもう、子供じゃないんだから。
「てあああっ!」
妄想とも空想ともつかない思索を振り払い、トーニャはハンマーを振り下ろす。
右に避けられるがこれは囮。こちらの背中に隠れていたティロが右に飛び出し、まだ体勢の整っていない顔面に右ストレートを叩き込む。カウンターとなった一撃は警官の意識を刈り取り、見事な前のめりダウンを奪った。
ふう、と息を吐いて次を、と視線を巡らせるのとプリンセッサから搭乗要請が入ったのは同時だった。
「ごめん、お願いっ」
迷わず、返事も待たず、崩れ落ちた壁の残骸を飛び越えてプリンセッサへ向かう。
追撃に入る警官たちをティロは巧みに封じ、時間を作る。
そんな弟の気遣いを背中に受けながらトーニャは走る。
壁の向こうは研究室が。その向こうがプリンセッサの待つ中庭が広がっている。
ハンマーで障害物を破壊し、一気に中庭に出る。
「プリンセッサ!」
両手に団員たちを抱えたまま、彼女は立ち往生していた。
なぜならば、人型、車両型問わず多数のガウディウムに囲まれ、逃げ道を徐々に奪われている。
トーニャの決断は早かった。
「ティロ! カイゼリオン出して!」
叫ぶと同時にプリンセッサへ走り出す。トーニャに気付いた警察のガウディウムがぬぅっ、と手を伸ばして捕まえようとする。
「伸びろぉっ!」
ハンマーを一本の長い棒へと変化させながら、伸び続ける先端を地面に突き刺し、棒高跳びの要領で天高く舞い上がる。プリンセッサの頭頂部よりも高く。棒をハンマーに戻し、すぐさま鎚を団員たちの頭上に投げつけ、ドーム状の格子へ変形させて彼らの視界を確保させたまま、手の平から落下しないよう保護する。
落下するからだがプリンセッサと同じ高さで視線が合う。
「プリンセッサ!」
相棒を呼ぶ。それを受けてバイザー・アイから濃緑色の光が伸び、中空のトーニャを包み、次の瞬間には握った棒共々かき消えていた。
『ティロ、早く!』
緊急時なので口上も無しだ。
さりとて、トーニャがプリンセッサに乗り込んだだけで状況が変わるはずもなく、両手が使えず、大きく動くこともできないいまはただ援軍の到着を待つしか無い。
─どこか、逃げ道は……
せわしなく視線を巡らせて、十重二十重の包囲網に隙は無いか探す。いまトーニャたちは中庭のほぼ中央、L字型の研究施設を左前方に見る位置で立ち往生している。後方と右側はもとより施設の屋上にも配置されたガウディウムたちと投光器が睨みをきかせている。
─あれ? 右、空いてる?
右側に並ぶガウディウムのさらに奥には、事故のために廃墟となった施設跡が存在し、現在の施設と合わせればコの字型を形成するのだが、旧施設の中庭に警察のガウディウムたちは足を踏み入れていない。
罠かも知れないけど、あの署長が罠を仕掛けるとも思えない。
よし、あそこだ。
ティロが来たらあそこへ飛び込もう。ティロが来るまではそれを悟られないようにじりじり動きながら、団員たちの安全を最優先に動こう。
『トーニャちゃん、投降してくれ! 悪いようにはしないから!』
署長が拡声器を使って説得を始めた。悪いけど応じるわけにはいかない。
『ごめんなさい! あたしはトーニャじゃないです!』
聞く者が聞けば丸わかりなウソをついてトーニャは視線をティロの居る施設へ視線を向ける。ここから崩れた施設を見ると、ぼろぼろの虫歯に群がるバイ菌みたいで少し面白い。
でもそれは自分がやったことだ、と思い至り反省する。
『カイゼリオン!』
やっと援軍が来た。
闇夜に艶めき、投光器によって照らし出されるカイゼリオンの白銀は、地上の満月が如く輝いている。
夜だから余計に眩しいなぁ、と思いつつもふたりにしか分からない合図で自分が廃墟へ抜けることを伝える。ティロは一瞬難色を示しつつも受け入れ、ふたりは動く。
戦力は倍になったが、機体数はまだ十倍近く開きがある。
けれど、さっき生身で呼吸を合わせて分かった。
この程度の数なら難なく突破できる。
あたしたちふたりなら。
ティロが大きく動いて視線を集めつつガウディウムたちを沈黙させ、その隙をついてプリンセッサは廃墟へと近づいていく。手の中の団員たちもトーニャの意図を感じ取ったのか、声を出さないようじっとしてくれている。
そのままそろそろと廃墟に足を踏み入れる。
『そっちへ行っちゃいけない!』
署長が悲痛に叫ぶがもう遅い。
廃墟に踏み入れた瞬間、風景が一変した。
ごうごうと足下で建物で炎が巻き起こり、狂乱の中逃げ惑う人々がプリンセッサの足下をわらわらと駆け抜けていく。
「幻……だよね。おばあと一緒で」
幻だと分かっているので、炎にも逃げ惑う人々にも慌てず騒がず、手の中の団員たちを塀の外へ逃がすため、ゆっくりとプリンセッサを動かす。塀の外にはガウディウムはおらず、警官たちは少なからず居るが手の中の団員たちにはリーダーを含めて荒事担当の者はいる。どうにか切り抜けるだろう。
彼らを信頼して団員たちを乗せたリノリウムの床を塀の外にそおっと置く。格子のドームネットを解除し、鎚だけをプリンセッサの眼からトラクター・ビームを照射して回収する。
ティロに合図を送ってこちらが身軽になったことを伝え、弟の援護に向かう。
そのつもりだったのに、見てしまった。
爆発により天井が吹き飛び、その中に居た女性の姿を。