15年後の幻
「そこまでだ月光団!」
「だからなんで!」
リーダーは人の反応は無いと言った。リーダーが持っているセンサーはどんな微細な揺らぎも見逃さないのだと。
だがこれ以上困惑したり原因を究明するのはいまではない。自分がやるべきは、ハンマーを握り、この警官たちを無力化すること。
「わああああっ!」
大音声のときの声を上げ、ひとり突撃するトーニャ。今回戦闘員として参加しているのは彼女を含めて五人。いずれも劣らぬ精鋭だが、最前線に配置されていたのはトーニャだけ。ティロは最後尾でリーダーとボスを守っている。
「あたしがしんがりをやります! みんなは早く逃げて!」
いま、警官たちと戦えるのは自分だけ。
「だあああっ!」
まず正面。少しぐらいのケガはがまんしてもらうしかない。
右下から、すくい上げるようにして相手の頭部を狙う。当たる当たらないはこの際考えない。距離をとれればそれでいい。
「せえっ!」
命中。しかし手応えがおかしい。
「受け止めた?!」
それも左手だけで、軽々と。
素材に魔素をふんだんに使っているこのハンマーは、その思いの強さも破壊力に変える。手加減をした覚えなどひとかけらも無いのに、いとも容易く。
よく見れば、受け止めた警官は制服の上から、手甲や胸当てなどの防具を装着している。
だとすれば答えはひとつ。
あの防具は魔素機関を組み込んでいる。
ガウディウムを軽鎧レベルにまで簡素化し、対人用に仕上げたあの防具。おそらくこちらのセンサーを無効化する機能も付与されているのだろう。
どこかでそんな鎧に関わった覚えがあるが、はっきり思い出せなくてもやもやする。だめだ、集中しよう。
こちらは魔素を使った武器を、向こうは魔素を使った防具を使っている。ならば思いの強いほうが勝つ。
「わあああああっ!」
受け止められたまま、トーニャはさらに力を思いを込める。
「ネット!」
直後、鎚が爆ぜ、無数の細い糸へと変化し、警官の左腕へ殺到する。
「くっ」
警官は素早く身を引き、トーニャが放った網を回避する。すぐさまハンマーへ戻し、警官に背中を向けることも厭わず回転し、遠心力と思いを込めて警官の右肩を打ち据える。
「がっ!」
今度はまともに命中した。
揺らいだ警官を蹴り飛ばし、すぐさま倉庫の門扉を閉める。いや、閉めようとした。
「うひゃぅうっ!?」
他の警官たちが大挙して倉庫からあふれ出し、トーニャを押し潰さんばかりの勢いで突進してくる。お陰で変な声が出た。まずい、と一瞬固まったからだを、横からなにかが引っ張って警官たちの津波を回避させる。
「ティロ?」
「おまえじゃこの数は無理だ」
「ちょ、ボスはどうしたのよ!」
「リーダーが守ってる。おまえは他の団員を守れ」
「わ、分かった。気をつけるのよ」
「おまえもな」
優しいじゃないの、と軽口を叩こうとしたが、そんな状況では無くなっている。
「はあああっ!」
薄明かりの中、ティロの白刃が無数に閃く。
ある者は制服を、ある者は防具を繋ぐ紐を、また未熟な者は薄皮を切り刻まれ、次々と無力化していった。
「後ろは彼に任せてあたしたちは逃げましょう!」
それでようやく団員たちは回れ右して走り出す。トーニャも牧羊犬になった気持ちで最後尾の団員たちに発破をかける。
薄情に思えるかも知れないが、団員の安全を考えればこれでいい。後顧の憂いは一応対処できている。問題は前だ。自分も前に出るべきだろうか。それはだめだ。ティロが撃ち漏らした警官が無力な団員に襲いかかれば結果は容易に想像できる。
ティロたちが起こす乱闘の音が小さく鳴り始めたころ、前方で異変があった。
「わああっ!」
「でたあぁっ!」
団員たちの悲鳴。マスク越しに目をこらせば両脇のドアから警官たちが警棒やらを手に溢れ出している。
いち早く気付いた戦闘員たちが対処しているが、ひと部屋からの数も、そもそも出てくるドアも多すぎる。
まずい。
このままでは全員逮捕される。
だからもう、これしかない。
ハンマーを掲げ、叫ぶ。
「みんなこっちへ来て!」
このときほど自分の声が大きいことを感謝したことは無い。混乱する団員たちはトーニャの大音声に導かれるように彼女のもとへ集まる。ティロ以外の全員が集まったのを確認すると、団員たちの輪から外れて叫ぶ。
「ドーム!」
鎚の部分だけを天井に投げつけて大きく半球状に広げ、自分たち姉弟以外の団員たちを包み込む。
これからが本番。
もう一度大きく息を吸い込み、叫ぶ。いや、その直前、別の大音声が通路を貫いた。
「おばあさまがお怒りだぞ! トーニャちゃん!」
─おばあ……さま……?
その単語が、トーニャを深い深い眠りの海から引きずり上げていく。
それと平行するように彼女のからだを心を畏怖が包み、自分が何をやろうとしているのか、何のためにここに居るのかがはっきりと認識され、恐怖となってからだを締め付けた。
あのひとに逆らってはいけない。
だっておばあはいつも正しい。
幼いあたしたちにも分かるように、ゆっくり噛み砕いて、納得して実践できるまで根気よく教えてくれた。
「っ!」
また、幻が見えた。
先ほどの白衣の女性と、彼女と談笑する黒のドレスをまとった魔族らしき女性。
「え」
まるでこちらに気付いたように白衣の女性がこちらに微笑みかけてきた。
やはり違った。困惑するトーニャのすぐ脇を、足袋に紺袴と胴着をまとった熟年の女性が涼やかな足取りで、白衣と黒のドレスの女性たちへ歩み寄っていく。
おばあだ。
自分が知っている祖母よりも幾分若く見えるが、それでもはっきりと分かる。
二、三言葉を交わしたあと、祖母は急にこちらを振り返り、言った。
『あなたが心の底から正しいと思うことに身心を委ねなさい』
そして首を傾げる女性ふたりに向き直って談笑を続け、やがて幻は風に巻かれるようにして消えていった。
なによもう。
幻になった時までお説教してくれるなんて。
だからもう、大丈夫。
改めて息を吸い込み、叫ぶ。
「来て! プリンセッサ!」
高くは無い天井に闇が収縮し、凝縮されていく。拳大にまで凝縮した闇の塊は一転、巨人の姿を形作りながら通路ではなく天井へと膨張していく。闇の膨張の余波で天井に亀裂が無数に入り、やがてぼろぼろと崩れ、隙間から闇夜を覗かせる。
うつ伏せの姿勢だった闇の巨人は両腕を両足を下に伸ばし、壁や窓を破壊しながらゆっくりと起き上がっていく。
完全に起き上がった闇の巨人は全身に纏う闇を自ら引きはがし、夜空に放り投げる。
そこに現れたのは、夜空よりもなお昏い漆黒の巨体。唯一、濃緑色に淡く輝くバイザー・アイはまるで夜空にかかる虹のよう。
「お願い」
トーニャの合図でプリンセッサは手を下に、鎚で作ったドームに降り積もった瓦礫を払いのける。それが終わるとリノリウムの床に両手の指先を突っ込み沈み込ませ、ドームをくり抜くようにぐるりと回転させて床ごと引き上げた。
「戻って、ハンマー」
ばしゅん、とドームが解け、鎚を形成し、激しく回転しながらトーニャが掲げる棒の先端に突き刺さる。
「丁寧に運んでね」
団員たちを両手に乗せたプリンセッサは胸元まで両手を引き寄せ、ゆっくりと振り返る。手の上の団員たちはそれぞれ指に掴まったりして落下を免れているが、バランスは悪そうだ。
「あたしは時間稼ぎをやる!」
呆気にとられていた警官たちがトーニャの大音声に我を取り戻し、一斉に彼女へ視線を向ける。
ごんっ、と鎚を床に、石突きに両手を乗せ、吠える。
「行きます!」