蝦夷と日本 4
米ソ密約によって蝦夷は沿岸海軍しか有していない。
そう言うのは簡単ではあるが、米国は自国とがっぷり四つに組んで大洋をまたに戦えた日本海軍を警戒していた。
そして、ソ連はというと、対峙していた関東軍への警戒とその実態調査から日本陸軍の欠点だけでなく長所もまた理解していた。しかし、日露戦争以後、大洋へと進出できる海軍をついぞ再建できなかったロシア・ソ連は日本海軍について理解が及んでいなかった。その事が結果として米国の提案にソ連が同意し、密約という形で取り交わされたのではないだろうか。
もし、ソ連が日本海軍というモノをより真剣に意識し取り込もうとしていたならば、冷戦の推移やソ連・蝦夷海軍の勢力図も大きく変わっていたのかもしれない。
1956年、その年は日本や蝦夷が国際連合へと加盟を果たした年でもあるが、昨今の極東情勢を決めた遠因の年でもあった。
この年、蝦夷社会主義人民共和国は独立国でありながら、半ばソ連への参加国に数えられるようになる。そう、いわば東側票の水増し工作とソ連本国の体力強化を同時並行して行ったようなものだ。
この準参加国となる記念として、ソ連は北樺太を蝦夷へと「貸与」することとなった。この解釈が60年後に問題化する事になるが、この時は誰もその懸念は抱けずにいた。
この当時、すでに満州にあった資産と米国による膨大な資本投下によって繁栄が約束された高句麗への対抗として、ソ連は自主的政府の尊重、ソ連本国並みの経済という二つを蝦夷へと約す事となり、極東の兵器廠として大きな飛躍の時を迎えることとなった。
ソ連極東には多くの資源が眠っていた。そして採掘もなされていた。しかし、それを加工すべきコンビナートははるか遠くにしか存在していなかった。シベリア内陸部などに半ば孤立して設けられた都市がいくら発展しようと、それ自体がソ連を大きく飛躍させることはない。あまりにも限られた生産力しか見込めないからだ。そこからさらに沿海州や中央アジアへと運び出し、製品を生み出してはじめて経済が回り出す。
そして、ソ連は蝦夷にその使命を与えたのだった。幸か不幸か日本を逃れた多くの技術者が蝦夷にはおり、蝦夷はソ連の極東コンビナートとして動き出す。
それが小山設計局や種子島設計局であり、石狩トラクター工場だった。
蝦夷において旧日本軍が得ていた技術、兵器をベースとした開発が始まったのは独立した1948年であるが、多くの「避難者」を受け入れて本格的な開発が開始されたのは日蝦戦争後の1953年頃であった。
しばらくは基礎研究が主であったが、小山設計局が設計したKy-1が1958年に初飛行したのを皮切りに、土井設計局のDi-5や堀越設計局のHs-7など多彩な機体が開発されていくことになった。
蝦夷ではソ連からの指示によってソ連防空軍で運用する戦闘機や攻撃機を開発しており、必ずしもソ連軍で採用されるわけでは無かったが、蝦夷人民軍での採用やソ連を介した輸出が行われていた。
蝦夷において航空エンジンを開発していた種子島設計局では、旧日本軍のネ20を母体とした軸流式ターボジェットを主として開発し、ソ連や蝦夷の各設計局の航空機への提供を意図していた。
種子島設計局はソ連における主要な大出力エンジンではなく、中型から小型の高耐久エンジンへとその後に開発をシフトし、ミグ29と野戦戦闘機の座を争ったHs-19はより小柄でありながら多くの面で優秀な性能を示し、ソ連軍での採用こそ無かったものの、主力輸出機として多数輸出されることとなった。
Hs-19は米国のF-5やフランスのミラージュF1などの小型戦闘機の対抗馬として開発されたHs-11の後継機として開発され、米国のF-16とそのコンセプトはよく似ている。しかし、Hs-19は種子島製小型エンジンを搭載する関係から双発機として設計され、似たような推力のエンジンを備えた台湾の経国戦闘機と対比されることが多いが、蝦夷の電子技術を生かしたレーダーやアヴィオニクスを備えている関係から、本家ソ連以上の高性能が保証され、米仏戦闘機を相手に全くそん色ない戦果を築き上げている。
蝦夷の技術は源流が日本のソレというわけではなく、多くの場合、高句麗経由の西側技術であった。現在では汚職度ランキングでロシアと下位争いを演じる高句麗であるが、1980年代まではその事はあまり問題視されていなかった。しかし、実体は当時すでに超低空飛行状態であり、金さえ積めば誰にでも情報を提供していた。当然、それが東側であっても。
ただし、ソ連はそうして得た技術をそのまま自国で活用しようとはしなかった。まさか、共産党指導部に対して「西側の技術はソ連より上」などと報告することはなく、自国ではなく、兵器廠である蝦夷へと情報を流し、それを逆輸入する形でソ連が利用していたが、「我が国で研究したデータを蝦夷に実験させ、得られた成果がコレ」という形で指導部へと報告し、自己の栄達に利用していたのだった。もちろん、そんな事をすれば自国より蝦夷が技術で先行してしまうのだが、その事には全く関心を向けてすらいなかった。
蝦夷はソ連からの潤沢な開発資金によって様々な兵器開発が何の不満もなく行える環境にあったが、唯一、自国の規模が小さく、ソ連向けには重厚長大な爆撃機や輸送機、大型戦闘機などを開発しながらも、自国配備はHs-19の様な小型機が中心だった。だからと言って性能に妥協する気は無いので、ソ連本国仕様よりもさらに高性能な電子機器が装備されることが常となっていた。




