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とある世界の日本  作者: 高鉢 健太 
蝦夷と日本
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蝦夷と日本 3

 この、蝦夷による日本侵攻という事態は国際連合でも大きく取り上げられることとなった。


 しかし、開催された安全保障理事会においてソ連が蝦夷擁護の演説を行い、日本の排工貴農運動による人権弾圧を厳しく批判した事で、米国は日本支援の姿勢を取る事が出来なくなってしまった。

 当時は未だ、日本に対する不信感や警戒心を持つ国々が多く、米国による一方的な「未だ残る日本帝国主義」蝦夷を攻撃するだけであれば、日本支援が支持されたのだろうが、ソ連による日本批判と蝦夷がソ連の完全なコントロール下にある国であるという説明に支持や理解の天秤が傾いてしまった。明らかに米国による占領政策の失敗であったが、今更その事を悔いても事態は好転せず、日蝦の頭越しの米ソ交渉によって事態の打開が図られることとなった。


 その結果、気仙沼、一ノ関、湯沢、由利本荘を結ぶ線を停戦ラインとして事態の打開が図られることとなる。これが日本と蝦夷の国境として画定した瞬間だった。


 ただ、これにはさらに続きがある。


 1952年12月、米ソ間での日蝦戦争交渉が持たれている最中、高句麗軍が対馬、さらには隠岐へと侵攻したのだった。

 これに慌てた米国はすぐさま軍を動かし高句麗軍を対馬、隠岐から排除する事となったのだが、一部はすでに美保湾から上陸、皆生温泉周辺での略奪暴行にまで及んでいた。


 事ここに至って日本政府も憲法や条約堅持といった話を撤回し、米国主導による再軍備に同意する事となった。


 しかし、具体的な話になるとやはり軍備の保有に二の足を踏む議論が巻き起こり、排工貴農運動の反省として、工業再建に対しては、排工貴農運動推進者の襲撃やつるし上げが各地で巻き起こる事となり、治安の悪化が顕著となっていくこととなった。


 この事態に陸上においては警察力の強化を第一義とし、再軍備は主として掃海や海防のための海軍力、蝦夷軍による空からの襲撃に備える防空能力の保有として政策が決められていった。


 この動きにサンフランシスコ中立保障条約締約国から異議や疑問の声が噴出したが、米国は新たに日米防衛条約を結び、作戦統制権を米軍司令部が有する形とすることで何とかその声を抑える事が出来た。


 こうして日本には海軍が再建されることになったが、旧日本陸軍の面々が中心となって組織された蝦夷人民軍が「侵略行為」に及んだことから、日本における陸軍創設は明確に禁止されることとなった。

 その為、平時は警察力による警備を主として米海兵隊をモデルとした海軍陸戦隊が有事には主要な港湾や沿岸沿いへと展開して敵に対して反撃する事とされた。


 こうして日本軍が再建され、憲法もそれに合わせて改正されることとなったが、軍の行動は米軍の指揮に委ねられることとなった。もちろん、中立保障条約締結国の懸念に配慮して、日米防衛条約において日本軍の行動範囲は「日本の領域」と明記されたが、その解釈が現在の日本なのか、蝦夷を含むのかは未だに意見が分かれる問題とされ、現在の樺太紛争においては「広義の日本」と解釈し、蝦夷への軍事支援が行われている。

 同時に排工も撤廃され、産業界も再始動する事になったのだが、時すでに遅しという状況であり、ソ連にシンパシーを抱いたり社会主義への嫌悪感を持たなかった人々は蝦夷へと渡り、ソ連や社会主義への疑念を抱いた人々は米国へと逃れた後だった。今更「やっぱりあれは間違いでした」と言ったところで、排斥された人たちがハイそうですかと日本へ戻ってくるはずもなく、ただただ米国資本による工場が旧工廠や財閥系に代わって幅を利かせる状況が現出する事となっていった。

 もちろん、戦前に日本にあった財閥や新興企業群など残ってはいなかった。財閥系の技術者、特に兵器開発に関わった人々はほぼすべてが蝦夷ないしは米国へと渡っている。

 その為、日本は再度、明治維新からのやり直しを強いられ、蝦夷との和解が正式に行われた1992年まで経済的な困窮が続くこととなってしまった。


 この日蝦戦争のもう一方の当事者である蝦夷だが、対日侵攻計画をスターリンへと提案した鳩山一郎は戦争の終結を見ずに脳溢血でこの世を去り、作戦を立案、指揮した軍首脳の多くも「敗戦責任」を問われて粛清され、その後を岸信介を中心とした革新官僚とそれに与した革新将校にとってかわられている。

 現在公開されている史料によれば、この政変劇は米ソによって蝦夷人民軍には強力な海軍を持たせないという密約が交わされた結果、上陸作戦を立案、指揮した海軍軍人を中心とした粛清劇をカモフラージュするため、作戦立案に関わる全ての軍人が対象になったとされている。当然だが、岸信介はKGBによる指導を受ける立場にあったとされている。

 その後の蝦夷人民軍は上陸作戦を用いた作戦を放棄し、地上からの関東打通を基本とした電撃戦を指向する事となり、海軍戦力は主要海峡である津軽海峡の防衛を主とした小規模な艦隊整備に終始している。


 この陸軍重視の姿勢が、日本に対してより一層の陸軍嫌悪を醸成し、今に至る反陸軍世論の下支えとなっているのは、果たして米ソによる策略なのであろうか。

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― 新着の感想 ―
[一言] 大衆主義ここに極まれりてか… ここでも日本のマスゴミは掌返しと偏見報道で忙しそうですなぁ(滅びろ)
[気になる点] 排工貴農運動は流石に非現実的過ぎないですか。 鉄道や国内航路の維持すら困難になり、物流は回復出来ず、下手すると飢饉が起きる可能性があるのでは?。
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