異聞「自衛隊」史
山口多聞さんの割烹で見た、陸軍悪玉論が煽られて陸自が編成されなかった世界線のお話を書いてみた。
日本は世界でも特殊な環境に置かれた国であることは論を待たない。
まず第一に、第二次世界大戦の結果制定された日本国憲法において、陸海空軍その他の戦力を持たないと定められ、実体はともかく「軍隊」を公式に保有する事が出来ない。
そして第二に、今ではかなり緩和されたとはいえ、先の大戦における「戦犯」として、陸軍の罪がことさらに強調され、いわゆる陸軍悪玉論が吹き荒れていたため、陸軍や陸上戦力というモノがとにかく嫌悪される風潮が今も見受けられる。
こうした事が日本を世界でも特殊な国へと追いやっている原因であり、世界でも稀な軍事組織を有する事に繋がっている。
世界各国には、陸海空軍が存在する。しかし日本には正式に軍隊を名乗る組織がない。
その代わりとして、自衛隊という名称で、世界的に軍隊に類する武装組織を有しているが、その組織を一般的呼称で表現すれば、海空軍という事になる。
端的に言って、日本には陸軍に類する組織が存在していない。
こう記すと多くの反論がある事は承知している。しかし、それはあくまで俗称として命名されているだけであり、正式名称は、海上自衛隊戦闘掩護部隊であり、航空自衛隊広域基地警備隊である。あくまで、陸軍に類する独立した指揮系統を持った組織ではなく、海軍や空軍に隷属する地上作戦部隊という性格を持つ。
こうなった経緯は、当然ながら、陸軍悪玉論であり、時の総理大臣が殊の外陸軍、何より憲兵を毛嫌いしていたからに他ならない。
しかし、日本におけるいわゆる再軍備は陸軍に類する警察予備隊の創設から始められているのだから皮肉と言うほかない。
警察予備隊はポツダム政令と呼ばれる、当時日本を実質的に統治していた米国占領軍司令部から発せられた指令であり、当時勃発した朝鮮戦争に伴う日本から朝鮮半島への米軍の移動が大きく関係している。
ただ、その創設に当たって国会では大論争となった。
名前がどうであれ日本に武装組織が編成される。この事はそれまで日本の再軍備を警戒していた中国や豪州よりも、日本国内の政治家や世論、メディアを震撼させた。
そして、それは国会での大論争となり、警察予備隊には一切の陸軍士官入隊を禁じ、尚且つ、警察予備隊はあくまで時限組織とすることがとにかく強調され、何とかその創設が可能になったほどである。
当時、総理は国会答弁において、最長でも5年しか陸軍の様な忌まわしき組織は保持しないと答弁し、その事は法律においても明記されるに至る。
その後、1952年に海上警備隊が創設されるときにも同じような論議となるが、この時には陸軍と海軍の違いが強調され、仮に陸上組織を存続させる場合には、警察予備隊を海上警備隊の隷下に置き、なおかつ、縮小する事までが追加で言及されるに至った。
ただ、米国は待ってはくれず、1954年に日本の再軍備となる自衛隊の発足を強く要求し、日本も拒否する事が出来ずにそれを受け入れた。
ただ、この時に成立した自衛隊設置法には、陸上組織の名は無く、あくまで海上自衛隊と航空自衛隊の編成のみが記されているのみであった。
しかし、現実的に艦船と航空機だけで国防が成立する訳がない。どう考えても地上部隊なしには無理がある事は、誰もが認識していた。
そこで、あくまで基地警備という名目で陸上部隊を組織する事となり、解体された警察予備隊のうち3万人を海上自衛隊戦闘掩護部隊として編入、4万5千人を航空自衛隊広域基地警備隊として編入することで、一応の体裁を整えることとなった。
まず編成を大きく変更したのは広域基地警備隊であった。
航空自衛隊は陸上に広大な飛行場を設け、そこを拠点とするだけでなく、各地にレーダー監視施設を持ち、飛行場やレーダー施設を守る防空部隊も有する事になっていた。
広域基地警備隊とは、それらを更に外から守る地上部隊として整備が進んで行く。
中でも北海道に配置された千歳基地の防護が重視され、ソ連軍の北海道侵攻への備えから、米国より戦車や大砲の供与を受け、一部からは「日本のゲーリング師団だ」とまで揶揄されるようになっていた。
たしかに、ソ連軍の上陸を想定して戦車を集中配備した千歳基地広域警備隊、第2基地師団は機甲師団としての編成を有し、さらに防空ミサイル部隊が発足すると、それを守るために第3基地師団が連隊より増強改編され、北海道には確かに「陸軍」が存在する状況が出来上がっていた。
海上自衛隊も大湊地方隊隷下部隊として津軽海峡周辺へ戦闘掩護部隊を配置し、海峡監視の任に当たった。
さらに北海道では、余市、稚内へと部隊配備が拡大していき、大湊地方隊隷下で最大の余市警備旅団が1970年に発足している。
海上自衛隊戦闘掩護隊は水際作戦や上陸作戦を主体としており、俗に海兵隊などとも呼ばれることになる。
ただ、それぞれ、ゲーリング師団や海兵隊という俗称には忌避感もあり、それらは時折国会でも論争の的となった。
そうした事から1970年代ごろからはそれに代わる愛称や俗称を模索するようになり、海上自衛隊では当時はやった小説から、戦闘掩護部隊を「海援隊」と通称するようになる。
航空自衛隊はゲーリング師団という批判や侮蔑に対し、当初は無視を決め込んでいたが、沖縄返還に伴う南西混成航空団の編成に伴い、基地警備隊もこれまでの重装甲部隊だけでなく、空輸や降下主体の機動部隊を編成した事から、左派の中には、ソ連の空挺軍をもじって空挺自衛隊と呼ぶものが現れ、いつの間にか航空自衛隊自身、広域基地警備隊を空挺自衛隊と自ら自称する事も行うようになる。
この様にして、1975年頃には、海上自衛隊戦闘掩護部隊は「海援隊」、航空自衛隊広域基地警備隊は「空挺自衛隊」の呼称が一般化し、その後の在り方もその名に倣うようになっていく。
「海援隊」は1980年代には実際に海兵隊を範とした水際作戦や上陸作戦を行う部隊としての性格をより求める様になり、AAV7の導入やソ連のPT76に倣った水陸両用戦車の開発を行い、国産90ミリ砲を装備する76式水陸両用機動車を制式化し、「空挺自衛隊」でも同じ砲を装備した空中輸送が可能で空中投下も考慮した78式機動戦闘車を制式化している。
冷戦後の「海援隊」はよりいっそう海兵隊化を進化させており、76式水陸両用機動車の後継を105ミリ砲を装備した火力支援車両、30ミリ機関砲を積み、搭乗戦闘員を10名乗せる歩兵戦闘車、対戦車ミサイルを運用する車両や対空ミサイルを運用する車両などをファミリー化した新世代車両を海援隊構想として開発、米国でとん挫したEFV水陸両用戦闘車を一部実現させた新型装甲車ファミリーとして2010年から2016年の間に相次いで制式化している。
それら車両を輸送するための輸送艦も5000トン級ドック型輸送艦6隻、9000トン級強襲揚陸艦型輸送艦3隻が整備されている。
「空挺自衛隊」の装備も北海道と九州にM1A1戦車を配備するほか、78式機動戦闘車の後継として、西側標準の120ミリ砲を低反動化し、20トン程度の軽量車体に搭載する事を計画、「海援隊」に対抗する形で空挺装甲車ファミリーとして開発に着手したものの、大型輸送機の国産開発やC-17の導入などもあり、計画は縮小され、火力支援車のみ、M1A1を補完する装甲車両として開発が継続され、2018年に18式機動戦闘車として制式化している。
18式機動戦闘車はロシアが開発中のスプルートSD同様に軽量なため、対戦車戦闘や対戦車ミサイルに対する防御力が低く、その必要性が疑問視されているものの、昨今の中国との緊張によって、その緊急展開能力が再評価され、現代の空挺戦車として評価する論評が主流となっている。
ただし、諸外国はこのような海上輸送や航空輸送を専門の部隊が受け持つのはともかく、地上戦闘部隊が全く別の組織という事は無いので、装備の効率化が進んでいるとの指摘もある。
そうした理由から、「海援隊」と「空挺自衛隊」の統合を提唱する論調も一部に散見されるが、未だ多くは「陸軍の再来は悪夢をもたらす」という意見が過半数を占める状況であり、客観的に見て非効率な陸上部隊の重複編成が今後もしばらくは継続されるものと思われる。




