村田騒動記
村田経芳と言えば、誰もが知る日本のガンスミスである。
村田は薩摩に生まれ、幼少期より鉄砲に興味を持っていたと言われ、戊辰戦争では薩摩藩随一の射手としてその名を馳せている。
そんな彼は明治政府で陸軍へ入り、銃器開発の為に欧米へ視察と留学と向かっている。
現地でもその射撃の腕は健在で、射撃大会に顔を出しては優勝をさらっていたと言い伝わる。
そんな彼が欧州各国を見聞した後、米国に立ち寄り、更なる知識の習得に励んていた時、ウィンチェスター社製のライフルを目にし、特異なその仕様に注目した彼はウィンチェスター社を訪れ、技術者たちと交流する機会を持った。
そして、一説にはこの時、彼が管状弾倉ではなく箱型弾倉式の連発機構を提案し、技術者たちの指導の下でその設計を行ったともいわれている。
ただ、それが事実かどうかは分からない。あくまで村田自身の自伝にそう書かれているだけである。しかし、日本へと帰国した村田がこの後、ウィンチェスター社と密接な関係を持つことになるのは確かであった。
帰国した村田を待っていたのは西南戦争と言う惨禍であった。
すぐさま村田も戦争へと駆り出され、負傷してしまう。しかし、この負傷で彼には時間が出来た。
将来的な日本陸軍の軍用銃をいかにすべきかを考える時間を得るとともに、それまで雑多であった軍の有する小銃を統一するために、自身が設計した新小銃へと移行する事を画策していく。
しかし、当時の日本にはライフル銃を製造するための設備が何もなかった。国に資金すらない状態の中、彼が頼ったのは、ウィンチェスター社だった。
ウィンチェスター社も快く彼の要望を受け入れ、必要な工作機械の手配や技術的な助言を行っている。
その頃、ウィンチェスターは今に繋がる画期的なレバーアクションライフル、M1879を世に送り出しているのだが、それがどこまで関わっているかは分からない。ただ、その成功が村田を支援する余裕に繋がっていたのは確かだろう。
ウィンチェスター社の全面支援があるとはいえ、日本側の体制は万全とは言えず、完成した十三年式村田銃にはコイルスプリングではなく、日本古来の製法で製造可能だった松葉バネが用いられていた。
これは当時の技術で量産可能な妥協の産物であり、ウィンチェスター社を頼った機械の導入だけでなく、量産技術そのものの導入、育成も始めている。そうして改良型である十八年式村田銃では、銃身以外はほぼ国内で製造できるようになる。
この頃、村田は猟銃開発を盛んに訴える様になる。
造兵廠が猟銃とは何事かと批判される事も多かったが、米国の現状を目にしていた彼にとって、あくまで軍の言いなりで銃を作る姿勢に我慢がならなかったらしい。
彼は半ば無断で猟銃開発を行っているが、その資金の出どころは当然のようにウィンチェスター社だった。
村田が設計した猟銃は12ゲージ、および20ゲージの散弾銃だった。ウィンチェスター社のレバーアクションを下敷きとして、管状弾倉を備えたボルトアクションとポンプアクション式の連発銃で、未だ日本には存在しないモノだった。
このポンプアクション散弾銃はウィンチェスター社がその設計を買い取り、M1888ショットガンとして発売し、好評を得ることになる。
その報酬金を元手として、政府を動かし、国産猟銃開発を推し進めようとしたのだが、重い腰を上げることなく、彼は造兵廠において小銃開発をただ黙々と続けることになる。
政府としても、ただ無視や拒否をしたわけでは無かった。国内には散弾銃を製造する鍛冶師、それを販売する銃砲店がすでに存在し、官営工廠がその動きを壊すことを危ぶんだからだった。
村田は十八年式村田銃が完成するとすぐ、連発銃の開発に乗り出した。
すでに管状弾倉に関してはウィンチェスター社のライフルや散弾銃を通して知見があり、自ら設計まで行っていた。
しかし、その欠点にも彼は気が付いていた。
ウィンチェスターライフルがリムファイア式を採用し、軍用銃で一般的なセンターファイアではないのは、尖頭弾では、管状弾倉を用いると弾頭が前の弾の雷管を暴発させる恐れがあり、使用できなかったからだ。
ウィンチェスター社でもこの欠点を克服するため、1876年頃から箱型弾倉への移行を模索していたが、売れ筋であるレバーアクションライフルのモデルチェンジになかなか踏み切れず、二の足を踏んでいた。
村田はそのウィンチェスター社の箱型弾倉技術を、散弾銃と交換で手にしたと言われる。ただ、彼の自伝では、その技術はそもそも彼自身のモノだったとされる。
この事について、研究者の中には、ウィンチェスターがなかなか箱型弾倉に移行しなかったのは、設計者がたまたまやって来た東洋人で、しかも自社に在籍しても居なかった事が原因だと断定する者が居る。
単に村田の自伝だけではなく、ウィンチェスター社にも、その様な話が残っている事を根拠としているらしいが、果たしてそれが村田であったかどうかは、今となっては確認のしようもない。




