異聞「烈風」秘話 3
1943年12月にようやく生産を始めた烈風が実戦デビューを飾るのはマリアナ沖海戦での事だった。
しかし、当時の日本海軍はアウトレンジ戦法を指向しており、ゼロ戦並みの小柄な機体に大排気量高出力エンジンを積んだ烈風の航続距離は明らかに不足していた。
しかし、だからと言って、ゼロ戦の生産を置き換えて烈風を生産しているのだから、他に搭載できる戦闘機がある訳でも無いく、仕方なく艦隊防空という形での運用を行うとして攻撃隊への参加を行わず、艦隊上空の警戒や艦上での待機という形がとられることになった。
当然、制空隊が減る事に将兵らは不満だった。
しかし、いざ米攻撃隊が来襲するとその性能をいかんなく発揮する事になる。
日本機としては鈍重であり、ゼロ戦の様な旋回性能がない。
若手技師たちはゼロ戦の脆弱さを目の当たりにし、大出力にも耐えるためにとにかく堅牢な機体に仕上げた事で、他に類を見ない強度を得たが、それは重量増に直結している。
そうなってしまうと軽快な旋回性能などは期待できず、運用法が自然と米機に近いものとならざるを得なかった。
そうではあったが、翼に並べた20ミリ機銃4丁の破壊力と米機の急降下に追いすがれる堅牢さは戦果へと結びついていく。
新型機であり、米側に何のデータも無かった事。攻撃に参加できないことで多くの戦闘機が艦隊に留まっていた事。
それらの要素がデビュー戦に幸運をもたらすことになった。
マリアナ沖海戦と言えば「七面鳥撃ち」というフレーズが有名だが、日本艦隊上空で行われた空戦もまさに「鴨撃ち」と言われる一方的な展開となっていた。
データ上、F6Fは600kmに達しない速度でしかなく、対する烈風21型は時速622kmに達していた。
そして、日本機としては旋回性能が悪く空戦は苦手と批判されるが、F6Fに対しては速度で勝り、降下速度でも優り、旋回性能も悪くはなかった。もちろん、航続力を満たすために燃料搭載量が多く、米機に比して防護力は低かったが、当たらなければどうという事はない。
速度で勝り降下速度で勝るのだから、戦い様は幾らでもあったし逃げることも可能であった。
さらに、小型の機体に大出力エンジンと言う、聞くだけでピーキーそうな機体ではあったが、実際の操縦性は良好で、ゼロ戦よりも無理が効く事から若手パイロット向けの機体であったことだろう。
ゼロ戦を狩るために襲い掛かったはずのF6Fだったが、同等の出力と堅牢さを持つ烈風の前には、ただの鴨でしかなかった。唯一、日本側の技量が緒戦の頃に比べて低下していたことから一方的展開にこそなってはいないが、それが日本側を錯覚させていただけだった。
烈風の出現に米側は恐慌状態に陥っていたと言ってよく、躱す事の出来ない強敵の出現は衝撃以外の何物でもなかった。
もちろん、烈風に欠点がなかった訳ではない。
航続距離が短く、発展性に欠ける事は大きな問題であったし、エンジンに見合わない小柄な機体に仕上げた事で滑走距離も伸びており、攻撃隊に先んじて発艦するするには無理があった。
先でも述べた様に、大出力エンジン、高速力を受け止めるには、いくら機体を小型化しても強度が必要であるため軽くは作れない。
ゼロ戦並みのサイズでありながら、4.5トンもの重量になるのだから、ゼロ戦の様にフワリと飛び上がれるはずがない。
空に上がってしまえばどうにかなったが、この重量と発艦性能には海軍もかなり不満を持っていた。
もちろん、何の対策もなされなかった訳ではなく、高揚力装置の改良や翼型の研究、翼面積の増大には並々ならぬ苦労がはらわれはしたが、カタパルトなしで全てを解決することは不可能であった。
これが烈風の限界であり、日本の限界でもあったし、征風の「肥満化」に対する反証ともなろう。
征風が大型化した最大の要因は、烈風のこの欠点であったのだから。
とはいえ、征風については40ℓに満たない排気量、1200ミリ未満の小径でもって辰星以上の2000馬力を絞り出し、より軽量な誉エンジンに拘ったあまり、目指す性能に達することなく開発が難航していたのだから、どちらが良かったのかは分からない。
こうした欠点から烈風の艦上運用は不適格の烙印が押されたが、征風が完成するまではゼロ戦と烈風で凌ぐしかなかったのだが。
それになにより、海軍が誉エンジンを戦闘機に要求する以前に開発出来ていたことの方が幸運と言えただろう。
誉エンジンは辰星に触発されて開発された排気量39ℓ、直径1190ミリと言うエンジンであったが、燃料事情の悪い戦争後半においては、もはやその高性能を維持する事は出来ていなかった。
辰星が31型で1900馬力を安定して引き出せるのに対し、カタログ上はより上の2000馬力としながら、実質1600~1700馬力しか出せず、完成が遅かったことで成熟も進んでいない。戦前に一応完成させ、成熟や改良を重ねることが出来た辰星を搭載出来た事こそが、烈風最大の幸運であっただろう。
だが、そこにはいくつもの「なぜ」が存在している事も知られている。
金星開発を主導した深尾技師は火星開発のおり、なぜか金星18気筒化を強く主張し、火星に次ぐエンジンに関して、火星の18気筒化を進めようとした会社側を押し切って、強引に辰星開発を推し進めているが、何故そうしたのか、彼は何も語る事は無かった。
ただ唯一、小野田技師との対談において、「ハ43の悲劇を回避できた」という言葉を語っているのだが、ハ43とは辰星完成の後、会社側が希望し開発された火星の18気筒化エンジンである。
戦時中の開発で、ついぞ完成できなかったハ43の悲劇を「回避した」とはどういう意味なのか、誰もその答えを見つけ出した者は居ない。
そして、苦し紛れに側方集中排気を編み出した小野田技師は、後に三菱自動車を「ラリー帝国の三菱」と呼ばれるまでに育て上げた功労者であり、晩年はWRCにおいてアウディ・クワトロと鎬を削ったランサーターボ4や後継車両であるランサー・エボリューションやミラージュ・ラリーアートの開発に携わったことで知られる。
彼にしても、不思議な言葉を残している。
「僕の作り出した『烈風』も、ラリーカーシリーズもカンニングですよ」と。
確かに、アウディが先に同コンセプトのラリーカーを出したのだから、ランサーはカンニングかもしれない。しかし、烈風の何がカンニングなのかは様々な憶測を呼び、中には彼が転生者であったとまで言い出す者まで居るほどだが、何がカンニングであったのか、答えを知る者は居ない。
烈風と言う名で生まれた和製ベアキャット。
米国ほどの空力データが無い、カタパルトを含む周辺設備が足りない、そんな日本でうまく扱えるかは少々疑問な機体になってるけれど、分かる人間が扱えば何とかなるんじゃね?と言ったところかな。
ハ43とハ42の開発が交換されているから、優秀なハ43が誉みたいに色んな機種に?
と言う事にもなってはいない。
18気筒という機械的な難しさと重量増が火星やハ5系というよく似た性能を持つ発動機より優位とは思えないし、敢えて複雑で重い発動機を選ぶ動機が見当たらない。と言う事をしっかり強調するために出力を1700馬力に抑えて登場させている。
それでももしかしたら18~19年頃開発の機体にはいくつか採用例が出て来るだろうが、実用化まで持っていけるかどうかは分からないという事で、「ない」事にしている。
まあ、史実ハ42的な立ち位置の発動機と言う扱いにしているんだよね。




