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とある世界の日本  作者: 高鉢 健太 
鋼鉄の守護神
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鋼鉄の守護神4

 四式中戦車は確かに、85ミリ砲を備えるT44ほどの攻撃力はないし、日本国内の鉄道輸送を考慮したサイズに抑え込んだために装甲も薄く、重量も29tと小柄だ。

 しかし、機動力に関してはほぼ互角であり、満州で遭遇したT34とは互角の戦いを演じている。幸運にもT44はごく少数しか投入されておらず、砲火を交えていないものと推定されている。

  能力的にも76ミリ砲装備のT34の攻撃を防ぐだけの装甲を有し、54口径ある主砲は攻撃力で上回っていた。

 四式中戦車の生産は1943年から始まり、1944年には二式中戦車の生産は中止され、完全に移行している。

 それまでに生産された二式中戦車は462両と記録され、四式中戦車についてはそれより多い573両だとされる。

 二式中戦車よりも多い理由は、1944年には戦時体制が整い、戦時中最高の生産高を記録した事が大きいとされるが、四式中戦車生産のあおりを受けて、装軌式装甲車両の多くは生産中止となり、以後、生産は四式中戦車と五式重戦車がほぼ独占していたことも影響していたと言われている。


 

 こうした戦争末期の戦場で十分な強さを発揮できた四式中戦車ではあるが、相手がKV1やIS2では全く歯が立たなかった。


 もちろん、それは日本も承知していた。


 そして、本命として開発されていたのは四式中戦車では無かった。


 ノモンハン事件の後に戦車開発が中止された際、以後の戦車開発の方向性で揉めることになる。


 確かに「ノモンハンのバケモノ」は重装甲で機動力も悪くはなかった。


 ただ、その戦場にはSMKないしT100と思われる多砲塔戦車の姿も報告されていた。そちらは撃破も調査も行われていないので、一概に「ノモンハンのバケモノ」こそが強力であるとは確信が持てなかった。


 その為、多砲塔重戦車がより強力であっただろうという主張もなされ、その開発も行う事となったが、それはあくまで研究は行うが、実用化を前提にしては居なかった。


 常識的に考えて、砲塔を二つも三つも持てばその部の大きく重くなる。重量を軽減するには装甲を減じなければならない。 

 それでは「ノモンハンのバケモノ」を打ち破るという目的を果たせる戦車とはなり得なかった。


 実際、オイ車として実際に試作されたそれは100トンを超え、時速30キロにも達しなかったのだから、それでは85ミリ砲を備える敵からはただの的でしかない。


 そう考えた主要な開発者たちは、「ノモンハンのバケモノ」を研究し、高性能戦車を目指して開発に邁進した。


 当初は85ミリ砲を搭載する事も考えられたが、それでは敵が改良を施せば劣勢になるのは明らかで、より強力な攻撃力を求めるようになった。


 かといって、90ミリ級を新規に開発するのでは陸軍の補給系統に負担となる。生産に際してもそれは同じだと考えられた。


 その為、陸軍が有する火砲の口径、流用できればなお良いという事で見回したところ、九二式十糎加農砲に行き着いた。


 ただ、そのまま戦車砲としてもその性能は85ミリ砲を凌駕するというところまではいかなかった。そこで同じ105ミリでより高威力の砲として開発されたのが、四式十糎半戦車砲である。


 51口径105ミリ砲と言えば、後のオードナンスL7砲が有名であり、性能ではこちらに軍配が上がる。

 とはいえ、当時の日本にとって四式十糎半戦車砲は十分な性能であった。


 肝心の車体の開発は紆余曲折があり、1941年頃には2サイクルエンジンが失敗した場合に備えて、二式中戦車エンジンの排気量拡大型を用い、出力500馬力程度で我慢する事も念頭に、正面装甲のみ厚く、側面は40ミリ程度で凌ぐ38トン案が提示され、側面でも70ミリ以上を確保する45トン案より有力視されていた。


 しかし、2サイクルエンジンが実現可能となると、再度45トン案へ戻り、「ノモンハンのバケモノ」を参考に、極力低いシルエット、コンパクトな車格、分厚い装甲という、まさにソ連重戦車の思想を体現していく。


 ただ、それでもやはり105ミリ砲を積む戦車であり、コンパクトな車格にも限界がある、日本国内での鉄道輸送は弾丸列車開通まであきらめるという決定が行われ、車幅は3.3mとなっている。


 四式中戦車用にV型8気筒が開発され、後の五式重戦車となるジハ車には45トンの重量を動かすV型10気筒2サイクルディーゼル620馬力が開発された。


 五式中戦車は1944年暮れから生産が始められ、終戦までに最大で178両生産されたとされているが、記録が曖昧で、最小では100両前後ではないかとみられている。


 四式中戦車や五式重戦車は当然ながら既存のデリックを用いた陸揚げ作業では揚陸できず、戦車の重量化を見越して開発された専用の輸送艦船を用いて輸送が行われている。


 その甲斐あって、四式中戦車は沖縄や硫黄島、占守島などへも配備され、本土での陸上輸送がほぼ不可能な五式重戦車の遠距離移動は主に輸送艦船を使う事が決定されていた。


 こうして配備された四式中戦車の沖縄や硫黄島、占守島での活躍はここで語らずとも有名であるし、南樺太に配備された五式重戦車の活躍は小説にまでなっているのだから言うに及ばずだ。


 戦後、進駐してきた米軍は四式中戦車と五式重戦車を調査し、大いに驚愕している。もちろん、米国の技術力からすれば至らない部分も多く散見されたが、その性能は米軍戦車を凌ぐモノであったことは疑いようがない。


 戦後、自衛隊が発足したのちにも、戦車の国産化に際して四式中戦車を主力とすべきか五式重戦車を主力とすべきかで論争が起きている。


 戦後だというのに、この二車の配備が検討されていたし、実際に採用されたのは五式重戦車をベースに米国から導入された最新技術で再設計した61式戦車であることは今更語るまでもないだろう。


 ただ、戦後、弾丸列車構想を引き継ぐ形で完成した新幹線に貨物列車は無く、弾丸列車による輸送はついぞ実現することなく終わっている。

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