ゼロの追撃者
二式艦戦こと二式艦上戦闘機、それはかの有名なゼロ戦の影に隠れた戦闘機である。
そして、二式艦戦の特徴は、それが軍の命令ではなく、企業によるプライベートベンチャーだった事に尽きる。
二式艦戦の設計が行われたのは戦前の事になる。
外観はゼロ戦と一見おなじであり、実際、三菱より正規の許可をうけていた。だが、中身は全くの別物といって良く、ゼロ戦とは違い、まず第一に生産性が重視されていた。そして何より大きな違いはそのエンジンにある。
ゼロ戦が小径の戦闘機用エンジンである栄を積むのに対して、二式艦戦が積んだのは中型機用の金星だった。
その為、外観がほぼ似通っていながら、実際の二機を並べるとその違いは一目瞭然となる。
片方だけでは分からないが、二式艦戦の方がずんぐりしており、僅に短い。
そんな二式艦戦が初飛行したのは1942年春のことで、海軍に提案されたのが7月だった。
これが1ヶ月早ければ全く見向きもされていなかったかもしれない。しかし、ミッドウェイ海戦により混乱していた海軍には救世主に見えたようだった。
当時、海軍ではゼロ戦の改良型開発に躍起になっていたが、そこに、ボツにした金星搭載型でしかも、ゼロ戦よりも性能がよいとなれば飛び付かない訳がない。
ただ、実際に飛び付いて制式化した頃に求められたのは、二式艦戦の戦闘能力ではなく、ゼロ戦の航続力であり、長距離戦闘機としてのゼロ戦はそのまま生き残るのだが、今ではその様な当時の情景すら忘れられ、二式艦戦がゼロ戦の後継機の様に語られることが多いが、事実はまるで違う。そろぞれの性能により住み分けした同世代機というのが本当の姿である。
この二式艦戦だが、謎や疑問点も多い。
まず、二式艦戦は不思議なほど的確にゼロ戦の弱点を潰して造られた機体である。かといって、機体には極端な先進性はない。
この先進性の無さが一部では曲者と見られている。何せ、生産性を重視し、金星を搭載したことによる余裕から、極端な軽量化や複雑な機構を省く事で出来上がった機体である。一つ指摘するならば、三菱より中島の設計に近く、外板を厚く、鋲を減らす工法を中島より先に採用したことが先進性と行ってよいだろう。
さらに、ゼロ戦では大型機対策として20ミリ機銃を積むが、当時の弾倉は60発でしかない。後にベルト給弾になって125発になるが、常用する7.7ミリ機銃は弾数こそ700発と多いが、開戦時点で既に威力不足だった。
それに対し、二式艦戦は当初から13ミリ機銃で統一し、240発と20ミリ機銃の倍も弾を積むことが出来た。
そして、極めつけは、そのエンジンである。
二式艦戦に搭載されたエンジンは、正確には金星ではない。三菱より正規の生産委託を勝ち取ったこの企業によるライセンス生産型だった。
しかも、このエンジンは当時の技術や理論より進んだ構造を持っていた。そう、ただの委託生産型ではなく、独自に改良されたエンジンだったのだ。ただ、いまでは改良というより偶然の産物と言う見方が大勢である。
三菱より提供された設計図を自分達で製図する際にたまたま間違ったのが、このエンジンで、それに気付かず製作したら性能が向上していたとされる。
戦時中はその事実は見向きもされず、戦後は航空機用レシプロエンジンの衰退で忘れ去られていたが、米国でレストアした二式艦戦にオリジナルエンジンを積む計画が持ち上がり、三菱製金星とこの金星改良型である祭を分解、検証した際に、祭の設計が70年代の最新理論より進んだものであることがわかり、話題となり、日本でも注目された。しかし、そこにはレストア参加者の計測ミスなどもあり、結局、幻の話題として忘れ去られているが、一部には、これが未来の設計であると信じるものが存在するのも事実である。
そして、そのエンジンを積む二式艦戦は、ゼロ戦より30キロほど優速だったことはたしかであるが、これは当時から金星を積めば当然と受け止められていた。しかも、航続力が金星搭載の場合より良好とはいえ、局地戦闘機より多少優れた程度ではゼロ戦にとって替わるものではなかったが、遅々として進まないゼロ戦の後継機完成までの繋ぎとして量産することとなり、更には地震の影響で三菱の軍需拠点が被害を受けると、必然的に三菱製ゼロ戦の肩替りとして重要視されていく。
様々な偶然や幸運が重なったからと言えばそれまでなのだが、これが駆け出しの企業による成果だという事実にどうしても素直に納得できないものがある。
そして、1945年においてもF6FやP51と互角に近い戦闘が可能であった事実は大きい。
搭載エンジン祭も最終的には1650馬力まで上がり、主翼の頑丈さを実現したことでゼロ戦相手のように急降下したら助かる、上昇したら付いてこれないという対ゼロ戦戦術は無効となり、ゼロ戦と誤認して撃墜される米軍機も多かった。
二式艦戦にはゼロ戦の様に20ミリ機銃は装備されていない。設計当初から13ミリ機銃が前提であり、左右翼に各3丁というアメリカ式の搭載法が採用されたのである。この為、操縦性の良さ、余裕のあるエンジンによって追加された防弾、20ミリ機銃の倍になる各機銃弾薬数からくる安定感、安心感を買われて新人がまず乗り組む機体となってゆく。
二式艦戦のこれらの特徴により、ゼロ戦より遥かに生存率も良かった。二式艦戦だから助かった搭乗員も多く居たのだが、当時はあまりその事が認識されておらず、ゼロ戦と同等との認識がなされていた。
そんな機体であるが故に、日本兵の間では「ゼロ戦改」と呼ばれ、米軍に至っては最後までゼロ戦との誤認が常態化していた。
実際にそこにあったのは、徹底してゼロ戦の弱点を潰すことで造られた「理想のゼロ戦像」の一つであり、その通りに活躍している。 ただ、あまりにゼロ戦と似通った機体であるが故に、常にゼロ戦と比較され、低い評価しか受けていない。不幸な様に見えるが、もしかしたら設計者の意図は、この目立たない黒子の様な活躍だったのではないか。ふと、その様な感想が沸いてきてしまう。