自動砲のおはなし 2
自動砲開発は非常に難航した。
そもそも、14センチ砲で既存砲を倍する発射速度を得ること自体に大きな無理があった。
それでも中止されることなく開発は継続され、発射速度を毎分15発まで落とす事で何とか開発の目途が立った。
最も問題だったのは装填機構と尾栓だった。
自動装填に適した尾栓の開発。自動装填を行うための機械構造の信頼性。
ここに多くの努力がはらわれた結果、1932年には開発の目途が立つ。
そうなると、この頃発射速度の遅さが表面化していた八九式高角砲への自動装填機構採用が出来ないのかという話が出て来るのは当然の流れであったが、そもそもの問題として、対空砲弾の信管を自動で調整する自動調定装置の問題解決が無ければ採用できないという事で見送られることになった。
ならば、三年式12.7センチ砲に応用できないのかという話が出て来た。
14センチ自動砲では熟練兵でなくとも毎分10発以上を実現できる。しかも、兵員の体力に関係なくその発射速度が維持できるというのは大きな魅力であった。
そして、12.7センチ自動砲の開発も併せて行う事になり、こちらは毎分20発が目標になる。
これに多くの関係者が狂喜し、九六式の制式名称が与えられることになった。
そして、ロンドン条約の延長を拒否した日本は制約のなくなった駆逐艦計画にこの九六式12.7センチ砲を採用する事になる。
そのために設計されたのが陽炎型であり、単装型1基、連装型2基を搭載している。
自動砲については当時公表されておらず、既存の三年式50口径12.7センチ砲としていた。
しかし、そのマストや艦橋はレーダー搭載を前提にした形状であり、初期の対空電探を初めて搭載した事から、世界的に注目されることになった。
実際には優れた発射速度をもつ自動砲こそがセールスポイントであったが。
この自動砲の成功が新型戦艦の副砲論争に火をつけることになる。
平賀らは15.5センチ砲と八九式高角砲の装備を主張し、藤本らは九六式55口径14センチ砲と50口径12.7センチ砲の搭載を主張した。
普通に考えれば、高角砲は自動調定装置のある八九式一択のように思われるが、なぜか藤本は九六式兄弟の搭載を譲ることは無かった。
その後、電波信管の実現が現実味を帯びると一気に九六式で決着するのだが、電波信管が実現する以前、その存在すら未だ知られていない時期に採用を主張した藤本の意図は、今もって不明である。
そして、九六式の制式化や最上型の重巡化に伴ってかねてよりの水雷戦隊用軽巡の計画も動き出す。
この軽巡洋艦には当然ながら九六式14センチ砲が連装砲塔として搭載されている。
そして、対空砲として採用されたのが、九六式の後に電波信管を前提として開発されていた九八式自動砲シリーズである。
九六式は対水上戦闘を主目的に開発され、一応の対空射撃も行えるという意図のもと、仰角(14センチ砲は)65~(12.7センチは)75度を可能としていた。
対して九八式は当初から高角砲として開発されたため、85度である。
九八式は九六式12.7センチ砲を超える発射速度を求め、その構造はボフォース40ミリ機関砲を参考としている。
ボフォース40ミリ機関砲を参考とした速射砲にイタリア製76ミリ速射砲があるが、あちらは戦後に開発されたものだ。
しかし、日本ではボフォース40ミリ機関砲と同じような機構を1933年から開発している。
そして、多くの書籍等でもボフォース40ミリ機関砲を参考にしたと述べられているが、ボフォース40ミリ機関砲のセールスが開始されたのは1934年の話であり、日本がボフォース社にコンタクトを取ったのは1937年の事であった。
しかし、日本戦車の父とも呼ばれる原 乙未生が北欧視察の際に持ち帰った資料にボフォース40ミリ機関砲の構造図面があったと言われており、自動砲開発に際して原と親交のあった小野田を介して艦政本部へと図面がもたらされたとする説がある。
その様な経緯で開発された九八式50口径8センチ高角砲はその構造から毎分40発という当時の日本では驚異的な発射速度を実現し、八九式高角砲の後継を目指す55口径10センチ砲でも毎分28発である。
九六式の自動装填機構は九八式とは異なり、既存の大型艦砲の装填装置から発想を得た装填腕を用いた方式であり、九八式や先に例に出したイタリア製76ミリ速射砲のような発射速度を実現するのは構造上困難である。
さて、こうして開発された自動砲を、軽巡洋艦計画では主砲に14センチ連装砲2基、対空兵装として九八式8センチ単装高角砲6基が装備された。
主砲が4門とそれまでの軽巡より少ないが、発射速度が大幅に向上しているため火力としては問題ないとされ、艦後部は利根型重巡洋艦同様に航空艤装に割いている。
この様な情勢の中で大和型の備砲となった九六式だが、すべてを満足できる性能があったかと言うと、やはり、制約は存在した。
14センチ砲は対空射撃を副次的にしか担わないので良いのだが、12.7センチ砲には大きな問題があった。
そもそも、砲塔内には自動装填装置が装備されているので人力とは比較にならない正確さで持続射撃が可能なのだが、装填腕まで砲弾薬を送り届ける揚弾筒の能力は単装砲に対応はしていたものの、複雑化を避けるために連装砲でも同じものをそのまま採用する事になっていた。
その為、揚弾能力が毎分25発しかないという欠点を有する事になる。本来であれば持続能力を考慮しても1門あたり14発程度は可能なのだが、揚弾能力の関係から12発程度に制約されてしまう事になった。
もし、全力射撃を前提に揚弾筒を用意した場合、砲塔重量は50トンを超えることになった。連装砲塔は揚弾筒を簡素化してなお40トンに達しており、コレが原因で駆逐艦の1番砲塔を単装砲とせざるを得なかったほどに問題を抱えていた。
それでも大和型には片舷5基の連装砲塔を配置する事から問題ないとされた。
そもそも、平賀らの15.5センチ砲を装備した場合、副砲を4基装備することとされたので、艦中央部両舷には15.5センチ砲塔が鎮座し、高角砲は3基しか配置できなかったのだから、その優位性は歴然だった。
もちろん、14センチ砲では2番主砲後方両舷、後部は3番砲塔都の背負い式の連装砲塔3基という、たった6門の装備である。
片舷に9門を指向出来る15.5センチ砲が一見有利だが、発射速度の関係で逆転できるとしていた。
副砲門数が少ない代わりとして、配置上の余裕を生かし12.7センチ砲を平賀らの案より増設して不測の事態に対応する事とした。
戦時中はそれでも対空火力が足りないとして、さらに2番主砲後方に台座を設けてその上に九八式8センチ単装高角砲を、さらに12.7センチ砲が並ぶ下の甲板上にも左右各3基を配置して対空射撃能力を引き上げている。




