自動砲のおはなし
このお話は初夢のリメイクに失敗した結果、艦砲のみにスポットを当てて書いたものです。
話の舞台はチハTank伝説に準拠してます。
戦艦を語る時に持ち出されてくるのが副砲、高角砲論争である。
条約明け戦艦には両用砲を備えた米英仏、副砲と高角砲を備えた日独伊という二つの方向性がある。
そして、よく言われるのが、「大和型は高角砲が優秀なのだから副砲は必要だったのか?」という論議だ。
しかし、副砲か両用砲かという問題には決定的な決め手が実は存在していない。
両用砲があるから副砲が不要になったかと言うと、実際には両用砲は駆逐艦の主砲と同程度の性能であって、接近する駆逐艦を確実に排除できる保証がある訳ではない。
ならば、副砲があれば良いのかと言うと、条約明け戦艦は航空機に対する備えとして高角砲や対空機銃を搭載する関係上、以前の戦艦の様に雷撃を行う駆逐艦や巡洋艦の排除のみに専念する事は出来ず、以前の様に多数の副砲を備える事が出来なくなっていた。
実際にそれ以前の戦艦を見れば、副砲は片弦8~10門を数える。しかし、対空兵装を強化した条約明け戦艦では半減してしまっているのである。これではそれまでのような対処が可能かと言うと、疑問が無いわけではない。
この様に、一概にどちらが正解かという結論が容易に出ず、議論が迷走しているのが常である。
そして、この論争は大和型が計画される以前から存在している。
論争の初端は何と言っても、平賀、藤本の関係から起きていると言って良いが、そこには忘れられがちな話がある。
それが、大和型だけでなく、日本海軍の艦艇を語る上で忘れてはならない艦砲開発史である。
平賀は軽巡洋艦夕張で有名な人物であり、藤本は陽炎型駆逐艦で有名である。
ただ、平賀は既存の概念による思想の設計を志向していたのに対し、藤本は革新的なものを求めていた。
もちろん、夕張が保守的という意味ではない。
しかし、陽炎型のそれは、現代から見ればあまりにも革新的で、何故当時、実現できたのか不思議なほどだ。
この二人が大和型においても争っているが、彼らの争いは両用砲か副砲の装備かという、一般的なものではなく、副砲の役割についてであった。
現在では誰もが九六式55口径14センチ砲を優秀な両用砲として称賛する。
だが、計画段階においては、最上型重巡洋艦に当初搭載されていた60口径15.5センチ砲と比較して、その射程、威力が劣る事で問題視されていたのが事実であった。
陽炎型駆逐艦が積む九六式50口径12.7センチ砲も、14センチ砲と同じ機構を持つ両用砲として、九六兄弟などと呼ばれることもある。
この九六式二種は世界初の自動砲と呼ばれることもある砲であり、今から見ればコレを搭載せずして何を搭載するのかと疑問に思うだろう。
この自動砲開発には藤本の果たした役割が大きいという。
藤本自身は砲を専門とはしていなかったが、装填機構に関しては彼が積極的な役割を果たしたのではないかと見られている。
九六式以前にも藤本が砲の開発に関与していたとみられるのが、十一年式45口径12センチ高角砲だ。
この高角砲は空からの脅威が出現した事に対応して駆逐艦の主砲であった三年式45口径12センチ砲から発展したもので、尾栓を変更して発射速度向上を図ったものだった。
藤本がこの十一年式12センチ砲を駆逐艦主砲に使い続けた事は有名である。
後に八九式12.7センチ高角砲が開発されると高角砲としての役割を終えることになったが、発射速度のさらなる向上を図りながら駆逐艦主砲に限らず利用され続けていた。
しかし、12センチ砲では駆逐艦主砲として威力不足であるという指摘が各所から出ることになり、吹雪型はじめ、特型駆逐艦に採用されていた三年式50口径12.7センチ砲の再搭載を望む声が大きくなっていったのも事実である。
この頃、八九式12.7センチ高角砲は計画された発射速度をほとんど発揮できていないという問題があり、発射速度だけを見れば十一年式に分があった。
そして、十一年式が高角砲であるため、平射を主眼に置いた三年式よりも発射速度があるという利点を、藤本は捨てきれなかったのだという。
もちろん、威力不足の点は改善出来ていないので、三年式へという圧力は増すばかりであったが、その解答のために藤本が積極的に関与していたのが自動砲の開発だった。
初めて記録に自動砲開発の文字がらわれるのは1926年の事だった。
随分早い事に驚かされると思う。
ただ、この時開発を始めたのは14センチ砲だった。
ワシントン条約によって戦艦の建造が途絶え、条約の規定によって巡洋艦は2種類に分けられたことから準主力艦として20.3センチ砲を備えた重巡洋艦が建造されていたが、それだけではすぐに建造枠を使い切ってしまう事は明白だった。
では、軽巡洋艦はどうすべきか?
軽巡洋艦は主砲口径を6.1インチ、15.5センチ以下と定められ、日本では重巡洋艦の枠を使い切った後、軽巡洋艦枠を使って、重巡洋艦に迫る性能を持った長砲身15.5センチ砲を搭載した艦の建造を計画していた。
しかし、それでは純粋な水雷戦隊の指揮艦が消滅してしまう。
そこで、軽巡洋艦のうち、主力艦とするもの以外に、水雷戦隊へ配備する艦の必要性が問題となっていた。
準主力艦である大型のモノより排水量を大幅に抑える関係上、14センチ砲を備える事を前提とし、夕張の様な小型化も検討された。
そこで、最小限の艦形に最大限の火力を要求するため、既存の14センチ砲を遥かに上回る投射量を求めることになった。
艦形が小さいのだから砲門数は増やせない、夕張は小型にすぎる事もあり、5500トン型程度の艦は必要とされながら、それでいて更なる能力向上という無理難題が突き付けられることになった。
その解答として、三年式50口径14センチ砲を超える射程を持つ試作55口径砲を用い、発射速度を20発前後にまで向上させることが計画された。
ここで示されたのが自動砲の開発であった。




