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とある世界の日本  作者: 高鉢 健太 
らのべっぽいみたいな回想録
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らのべっぽいみたいな回想録 5

 1939年9月には欧州で戦争が勃発している。


 物語ではこれが如何なるものかを詳細に説明している記述があり、ドイツへいくつかの情報と技術の提供を行う事が決められたという。


 実際、ノモンハンへのT34の投入が無かったにもかかわらず、日本はどこかからその情報と写真を入手し、ドイツへと提供しているのだが、物語では未来人が手配した事になっている。実際、どこで入手したものか、今もって謎とされるだけに、こうした仮定には一定の説得力があるのかもしれない。


 日本が提供したのはT34の資料だけでなく、未だ試作段階であったゼロ戦の資料も含まれていた。

 なぜ、その様なものを提供したのか首をひねりたくなるのだが、物語では未来人の仕業として簡単に結論付けている。


 この時、ドイツに手渡された資料は非常に細に入り微に入りリアリティがあったとされるが、現物は残されていない。ドイツで保管されていた資料がいつの間にかインクが飛んでただの白紙だったという信じられない話まで存在するが、その真偽を確かめるすべは今や存在していない。


 こうして日本から資料を得たドイツでは、ソ連侵攻までに僅かではあるが、重戦車とⅣ号戦車長砲身型が配備されていたという。


 日本でもその情報を基に新型戦車の開発が急ピッチで行われ、57mm砲を備えた一式中戦車が採用されている。この57mm砲では海軍の技術協力によって装弾筒付き徹甲弾(APDS)が使用されたことで、75mm砲を備えたT34やM4に対しても対抗戦力となり得る存在だった。当時、75mm砲戦車が採用されなかったのは、国内インフラや運搬船舶の問題だったという。ちなみに揚陸艦の目途が立った1943年には三式中戦車が採用されている。

 物語においては、インフラよりも技術的に57mm砲で十分と見積もっていたとされている。

 実際、57mm徹甲弾は、従来弾では500mで90mm程度の貫通力しかないのに対し、APDSを使えば140mmにも達しており、わざわざ大きな75mm砲を用いることなく敵戦車の撃破が可能だった。もちろん、1000mで180mmを貫通できる75mm砲と比べてしまえば、確かに見劣りはしたが。



 さて、物語では油田の採掘が軌道に乗り、石油供給量が確保できたことから対米開戦は必要ないとの意見が多く出るようになっていたという。

 しかし、米国側から仕掛けてくる可能性を考慮し、海軍の整備も忘れない様にとの意見がこの頃出される。

 史実においても戦車開発と空軍戦闘機に重点を置いた整備がこの時期にはなされている。


 しかし、1940年には未来人の予測より悪化することになる。


 米国の対日要求が未来人の予測より早く行われ、支那からの撤退、満州事変以前の状態への回復という要求に加えて、油田の割譲という項目がそこには追加されていた。

 当然だが、日本側が飲める内容ではない。


 それまで政府系新聞として世論を抑える役目を負っていた新聞紙面に米国の対日要求がそのまま掲載されてしまった事は反米感情に火をつけるに十分だった。

 なぜ、検閲を素通りして掲載されたのか、今でもわかっていない。物語では未来人がミスで載せたとしている。


 対米交渉は始まる前から国内で紛糾したが、支那からの撤兵はすぐさま発表された。

 すでに全く軍中央の指揮を受け付けない支那派遣軍を切り捨てるという形で行われたものだったが、これは米国に対しては逆効果となった。


 支那派遣軍は軍から切り捨てられると現地軍閥の一部と化して猛威を振るい、朝鮮から独自に兵員を補充する道筋まで確保していた。

 こうした状態を見た米国は日本側の宣言不履行に不満を表明し、撤退ないし鎮圧を要求する。ただ、鎮圧とはさらなる派兵を意味するので同意できるものではなかった。

 満州の原状復帰もすでに不可能と言って良かった。

 そこには皇帝溥儀を首班とする国家建設が行われており、原状復帰はその解体、そして無法地帯化を意味したが、それではソ連軍の侵攻が現実となってしまう。まったく飲めないところまで来ていた。


 支那派遣軍はすでに国の指揮下にはない事を説明し、満州国解体はソ連の南下と更なる支那の混乱を招くことを主張したが、全く受け入れられることは無かった。


 物語において、未来人は言う。


「まさか、歴史を弄るとここまで予測不能な事が起き、史実における規定事項がここまで修正力、強制力を持って居るとは思わなかった」と。


 物語における未来予測は完全に崩れ去っていた。そして、予言した対米開戦のみが刻々と近づいている状況だった。まさに、想定外なのだろう。


 後の資料を見ると、この頃すでに支那派遣軍は米国側と接触して自身を韓国解放軍として受け入れるように求めていた。


 国内に無用な混乱を招かないように朝鮮で募兵を行ったことが裏目に出た形となっていた。幸運な事に、米国は彼らをまるで相手にしてはいなかった。まさか、それまで散々批判してきた部隊を公然と支援する理由が無かったからに他ならない。


 しかし、事態はさらに悪化の一途をたどる。


 米国によって段階的に対日禁輸や資産凍結が行われるのだが、要求は資産凍結に留まらず、「不正に」米国で行われた株取引の差益の返還要求まで加えて来た。何をもって不正かではなく、日本の投資家による取引が不正という言いがかりそのものではあったが、当時の米国ではそれが当然と見做される空気があった。

 なにせ、大恐慌の発生からルーズベルト不況までの間に大きな利益を上げ、様々な米国企業の買収まで演じたのは、日本の投資家だったからだ。米国の優良企業がガタガタにされ棄てられたという反感が米国では渦巻いていた。

 いくらかは事実だったが、その多くは政権による誇張されたデマだったのだが、この時点で米国市民はその実態を知らなかった。


 米国の要求は客観的に見ればあまりにもおかしいモノばかりだったが、英国もそれを支持し、日本への批判を強めていた。


 日本は打開策として支那派遣軍を国府政府と共同で攻撃することを提案する。そして、支那派遣軍を朝敵として討伐対象とし、国府政権からも了解を得る。


 1940年9月、朝敵討伐軍が派兵されたのだが、支那派遣軍は韓国解放軍を名乗り、欧米への支援要請を行った。

 米英が名乗りを上げ、国府政府も日本との合意を反故にして韓国解放軍支援を表明するに至った。


 11月には実際に現地に上陸した討伐軍に対し、解放軍と共に国府軍が攻撃を加える事態となるに至り、日本政府は国府政権へ抗議を行うが、返ってきたのは韓国解放と中華領土の自衛のための正当行為という声明だった。


 米英も日本の侵略行為として厳しく批判し、国府軍と解放軍支援を表明する。完全に問題のすり替えと言って良かったが、日本の抗議はむなしく響くだけだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 当時の日本の船舶のデリックが基本5トン、25トンだから実際問題としてチハタン系統が限界なんだよね。チヌがギリギリ。 チト、チリなんてオーバーだしね。 この世界のチヘは18トンくらいにな…
[良い点] アメリカはこうでなきゃ。 未来人が居れば上手くいくってのは幻想だというのがよく伝わってきます。 [一言] 後世の架空戦記系スレで支那派遣軍は即座に抹殺されるなこりゃ。
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