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とある世界の日本  作者: 高鉢 健太 
三賢人の日本史
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三賢人の日本史・5

 1854年、ふたたび日本を訪れたペリー艦隊だったが、浦賀沖合で邂逅するものと思っていた蒸気船は姿を現さなかった。

 少々不審がりながらも浦賀沖に達すると、昨年よりも数が増えた動力船が周囲へと展開していく。小型で俊敏な船である為4隻の砲撃が果たして命中するかどうかは怪しく、昨年の目撃情報が確かならば、相手はライフル砲を装備しているので正確に狙われる可能性すら考えられた。さらに、元込め銃を実用化しているという事は、信管を備えた炸裂弾の保有すら想定せねばならず、艦隊や外交使節が日本へ圧力を掛けられる様な状況では無かった。ちょっとした行き違いが起れば帰りの船は無い。そう覚悟するに十分な情報が揃い過ぎていた。


 もちろん、ただ単純に引き返した訳ではなく、日本についてさらに調べ上げては来ていたが、どうやらすでに産業革命が始まっている事、欧米ほどではないが国際法を知る外交官が複数存在する事は確実であることが分かっていた。

 日本への一番乗りこそキメたものの、前途多難な状況で使節団が上陸すると、昨年同様に儀仗隊によって迎えられた。

 が、一部の者たちは儀仗隊が持つ銃を見て目が離せなくなった。それは一部情報を知る事が出来たドライゼ銃に似たナニカに見えたからだ。


 その正体は久米通賢が久米筒を更に進めて当時何とか実用域に達した発条(スプリング)を用いたボルトアクション銃の試作品であった。

 ほぼ構想段階の1840年に通賢は亡くなってしまうが、開発は既に国友の手に渡って進められていた。

 そして苦節10年、何とか発条や閉鎖機構の実用化に成功した12丁がそこに並べられていたのであった。

 アメリカ使節団にはもはや交渉の余裕すら失われていた。世界最新の銃器が日本にある事は衝撃以外の何物でもなく、これでは砲艦外交に晒されているのは自分達であったのだから。

 こうして結ばれた条約はシーボルト事件で示された対蘭関係を例として、領事裁判権は認められない事が確認された。もちろん、外の状況を鑑みてアメリカ側も特に反対することなく調印に至る事となった。


 こうして日米間での条約締結が滞りなく行われていた頃、浦賀に姿を現さなかった蒸気船は北へと向かっていた。

 儀仗隊が久米筒を装備していないのも、正式装備である久米筒を装備した兵は全て北方へと出兵し、江戸に残されていたのが、ようやくモノになったボルトアクション銃だけだったからである。


 日本のクリミア戦争参戦、その報は驚きをもってイギリスへと伝えられた。


 1854年8月30日、ペトロパブロフスク・カムチャツキーに見慣れない旗を掲げた船団が姿を現した。

 話は聞いていたが、まさかここに現れるとは思っていなかった英仏艦隊は驚き、船団へと使者を送っている。 

 その船にはまさにサムライ!と言った風体の者たちが乗り組んでおり、果たして戦力になるのか不安視されるほどだったという。

 さらに彼らと会話が成立したのは乗り組んでいた白人。航海を支援するために乗り組んだオランダ海軍士官数人だけと言うのだから、もはや何から始めるべきかもわからなくなっていた。


 すでにロシアとの交戦は始まっており、悠長に相手の意図を探っていく余裕などない。そんな英仏艦隊はオランダ士官に半ば丸投げの形で幕府艦隊の参戦を認めることになった。

 外見上は貧相で小型の砲を少数搭載するだけのコルベットないしスループが3隻。一隻は煙突が見えるので、まさかのスクリュー式蒸気船。

 驚きもあったが、所詮は貧弱な装備に見えた。


 そんな幕府艦隊は何とか間に合わせたライフル砲と炸裂弾をもってここに出向いていたのだが、実は出港時点からオランダ士官との間に齟齬があった。彼らが目指したのは樺太であり、カムチャツカでは無かったのだが、オランダ士官は日本が参戦すると聞いてカムチャツカだと誤認し、ここへ連れて来ていた。

 乗り組んだ幕府側は疑問を抱きながらも、千島や樺太ではロシアが度々侵入しては陣を敷き、はては役所まで置いた例すら聞いていたので「きっとそうなんだろう」と現状を受け入れていた。

 さらに英仏艦隊へと領有権の有無を確認したところ、彼らにその意思がないことも確認できた。その為、ここは樺太であり日本のために彼らが協力してくれるのだと更なる勘違いまで起きる始末だった。

 翌31日も砲撃が続けられ、幕府艦隊も本格参戦する事になった。


 そして、貧相な小口径砲にも拘らず大きな威力を示し、射程も想像以上に長いことに驚いた英仏軍人の中には、それがライフル砲と炸裂弾であることに思い至った者たちも居た。

 イギリス艦隊司令官プライスもその一人だった。変な連中が飛び入り参加する珍事態に混乱していた彼は、目の前の現実を見てさらに驚くことになった。

 そして、翌9月1日には上陸作戦が敢行され、英仏軍700人、幕府軍300人が上陸し、待ち構えるロシア軍との戦闘が繰り広げられることとなったが、ここでも幕府軍の装備に驚く事になる。

 彼らは密集して隊列を組むでもなく、伏せてロシア軍の攻撃を躱しながら射撃していたのだった。

 英仏軍には何が起きているのか分からなかったが、損害少なく効果的に敵を排除していく幕府軍の活躍によってロシア軍陣地を奪い取ることに成功し、3日にはペトロパブロフスクの占領という目的を達する事になる。

 

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