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とある世界の日本  作者: 高鉢 健太 
チホたん秘話
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チホたん秘話 3

 1941(昭和16)年末に百式中戦車として採用されたチホはすぐさま生産が開始された。


 本来であればもっと早くに生産を開始したかった事もあり、事前に生産ラインが整えられていた為1942(昭和17)年だけで350両程が完成している。

 試作車両がフィリピン攻略やマレー電撃戦において米英戦車の装甲を紙のように撃ち抜いたのは今でも伝説的に語り継がれているので有名である。

 しかし、搭載するエンジンの不具合解決にさらに時間を要し、本格的に戦場へ送られるのは1943(昭和18)年を待たなければならなかった。


 その間も足立が口にしたように更なる開発も着々と行われ、戦車用新型対向ピストンエンジンの試作機では390馬力を発揮するまでになっていた。

 では、それを搭載すべき戦車はどうかというと、チホ車の後継開発が迷走状態に陥っている。


 チホの問題点は何と言ってもコンパクト化しすぎた事であり、それをチヘ車程度の車格へ拡大する計画が持ち上がる。

 本来であれば問題が顕在化しているのでトントン拍子で開発が進むはずである。チヘ車という既存の開発事例もあるのだから、問題も少ない。

 しかし、その計画が動き出した頃、欧州では既に戦車の主砲は75ミリ長砲身であるという情報が舞い込んで来た。


 そうなると既存の57ミリ砲での開発継続ではなく、75ミリ化を望む声が強くなるのは当然で、57ミリ砲で開発をスタートしたチト車はモックアップ段階で破棄され、九〇式野砲をベースとする75ミリ戦車砲を積むチリ車へと計画が移行したが、その完成までは待てないと、チハをベースに九〇式野砲をベースとする二式戦車砲を備えた砲戦車ホニを開発したのだが、実のところ開発が進む徹甲弾の進歩は目覚ましく、75ミリ砲であっても38口径程度の野砲ベースならば57ミリ砲と貫通力に大差がないという結果から、自走砲としての性格が強いものへと仕様が変更されている。

 もちろん、射距離1000mを越えると威力は75ミリ砲優位となるので、全く無用とは言えなかったが、57ミリ砲を凌駕するには中国で鹵獲したボフォース75ミリ高射砲ないしは、一部陸軍船舶にも採用される海軍十一年式8センチ高角砲を採用する必要性が浮上し、更なる装甲強化を行った35トン級戦車チヌの開発まで始まってしまった。


 こうなっては何を優先すべきか分からなくなる。


 そんな所に次々と欧州での戦況や戦訓が舞い込むのだから、仕様の朝令暮改による混乱など日常茶飯事である。


「ドイツの虎戦車は1000mで130ミリを超える貫通力を持つ砲を備えるというではないか、米英の75ミリ砲でさえ80ミリを超えるという。そんな大威力の砲弾を弾く戦車でなければこれからは無理がある!」


 などと言う意見が席巻してくるようになると、75ミリ高射砲や8センチ高角砲ですら物足りないという話となり、装甲厚に関してもそれまでの50ミリや75ミリといった数値が100ミリや150ミリへと一挙に跳ね上がる事となった。


「こんな厚みの装甲を用いては重量が40トンを超えてしまう!」


 そんな声が出て来るのも仕方がない。しかし、40トンなど過小な話で、50トンとなっても不思議ではない程の話しがどんどん湧いて出て来ていた。


 そして問題となるのは主砲である。


「その様な装甲を備えた戦車を多数有するドイツを相手としている米国も相応の戦車が開発されているらしい。重量は50トンを超えるというから、虎戦車と変わらん装甲を有するという事になるだろう」


 もちろん、その分析には間違いも含まれている。米国が当初開発していたT1重戦車の装甲はそこまで厚くはなく、旧態依然の多砲塔戦車の系譜であったのだが、この頃の日本ではドイツのティーガーⅠの情報から、米国でも同等の重戦車を開発中だと誤解されていた。


「おい、では1000mで100ミリ以上の装甲を貫く砲を備えて、自らの弾を弾けるというのか?ならば、もはや75ミリ砲など無意味ではないか。替わる砲は無いのか?」


 そんな声が出るのも仕方のない事だった。


「あるにはある。ジッカと同じ10センチ半が」


 そう言った人物を、「やはり海軍砲じゃないか」という目で皆が見つめる。


「数を確保できる唯一の砲が、10センチ半高射砲しかない」


 言い訳がましいがそれも事実である。ボフォース75ミリは量産に成功していないし、8センチ高角砲だってかなり昔に生産を終えてしまっている。対して10.5センチ高角砲ならば絶賛量産中なので、多少の融通は利くと踏んでいた。海軍由来の57ミリ戦車砲で味をしめたなどと言ってはいけない。


「だが、10センチ砲だろう?今使えるエンジンは390馬力だ。45トンや50トンなどと言う戦車には非力すぎないか?」


 常識的にそのとおりである。だからと言ってエンジン開発まで一から始めるのでは到底モノになりそうにない現状を考えれば、そう言わざるを得ない。


「貴様は何を言っているんだ?45トン?50トン?そんな戦車を作る余裕が今の我々にあるのか?第一、チホを見ろ。僅か17トンの車格で本来ならば25トンにもなるはずだった要求をすべてまとめ上げたではないか」


 いや、アレはかなりの無理をしている。試作では15トンであったが、各部に無理があったので量産型では17トンまで増えたし。などとは誰も言えなかった。車内は窮屈ではあるが、攻撃力も防御力もM3軽戦車を超え、M3中戦車とも張り合える。何ならM4中戦車とだってどうにかなるやもしれんという水準だ。


「まさか、チリやチヌ程度の車格で10センチを積むなどと・・・・・・」


 言って、ハッと辺りをみまわす技官。言わされてしまった事に気付いたがもう遅い。


「よく言った!そういう事だ。もはやチリやチヌでは今後出てくる米戦車に勝てん。ならば、30トン台で10センチ砲を搭載する戦車を纏め上げる他あるまい?」


 こうして1943(昭和18)年にはチカ車計画がスタートし、エンジンもより高出力化されて6気筒450馬力を達成。車両重量も36トンに収めるという離れ業(無茶振り)をやってのけることとなった。

  こうして1945(昭和20)年2月に完成させたチカ車はすぐさま五式中戦車として採用され、量産が行われることとなった。

 同時期に開発された戦車と比較すると、前部起動輪のためソ連製T44より全高は高く、馬力が低いため走行性能では及ばないが、攻撃力や防御力では勝る程の優秀な戦車である。それは当然のことながら、米英独の戦車と比較しても勝る部分を有するという事だ。


 当然だが、チカでも弾庫確保のために車体機関銃手は配置せず、車体は操縦士1名しか配置しない。砲塔はさすがに重量のある10センチ砲弾を扱う装填手を車長や砲手が兼任する訳にもいかず、専任の装填手を配し、無線は車長が扱う事とされた4人乗車とされた。チホの反省(ヤラカし)もあって自動装填装置は当初から要求されていない。

 エンジンは450馬力を発生するが超壕力や不整地走破性を重視した変速機の為最高速度はチホと変わらず38kmほどしか出ないが、砲塔前面装甲は仏戦車に由来する鋳造による複雑な造形と160ミリという厚さによって米国製90ミリ砲やソ連製85ミリ砲にすら対応し、車体前面も55度の傾斜を持つ90ミリの装甲を配していた。

 搭載された四式10センチ半戦車砲は1000mで175ミリの装甲を撃ち抜ける性能を有しており、1945(昭和20)年6月時点で50両程が完成していたと言われる。

 この完成していたチカはソ連の対日参戦に際して南樺太や朝鮮へと送られ、T34を容易く撃破する戦果を挙げ、目論見通りに85ミリ砲による攻撃を防ぐことに成功したと言われる。

 

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] トランスミッションやらを後部に持って来て全体的な車高を低くして砲塔全面もできる限り絞って...みたいな苦労を極限までやったんやろうなぁ、チカ車。戦後第一世代とかを見るに改設計すればなんとか…
[良い点] 日本、そうするしか無いのは分かるが、本当にやるとは思わなかった [一言] 車体重量36tで砲の反動抑制どうやったんでしょう? 造るのめんどくさそう……(日本基準の)量産で工員が倒れそうな…
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