傾国の美女と呼ばれた娘
歴史の中によく出てくる『傾国の美女』。あたしが思うのはその美女とやらは、どんな娘たちだったのだろう。美女といっても、現代の基準で考えてはならないはずだ。何せ、国によって美の基準は違う。まして時代が違うからには、現代の容姿主義では測れないはず。
そう、それはあたしみたいに、とても平凡な容姿の持ち主だったかもしれないのだ。
「瑠璃!いま戻ったぞ!!」
ああ、やかましいのが帰ってきたよとあたしは思う。あたしは今ある男の寵愛を受けている籠の鳥として生きていた。そしてあたしは自分の部屋の扉を堅く閉ざしたまま声にこたえる。
「そんなにでかい声でわめかなくったって聞こえるわ。それより、湯あみをしてきたのでしょうね?」
男の足音がぴたりと止まる。
「さっさと湯あみをしていらっしゃい。それから、ひげもそってこなきゃ、扉はあけませんからね」
「……わかったよ。せめて一目」
「さっさと行きなさい!」
とぼとぼと足音に勢いがなくなってしまう。そんな彼は一国の王だ。といってもあたしがいる『今』は本来の『今』ではない。どうも異世界というところに来てしまったようなのだ。
それもあまりはっきりしない。記憶はあたしにあたしが久我瑠璃という女子高生だったことをある程度示してはくれる。どういう経緯なのか知らないけれど、あたしにはこの国が本来あたしのいるべき世界でないことが確信できる。とはいえ、もとに戻る方法とか探す気はさらさらなかった。
理由は簡単。衣食住満ち足りて不満はない。元の世界に不満があったわけでもないけれど、その方法とやらを探すのが面倒なのだ。幸い、あたしを拾った紅雨は、香国の王様で、後宮には百人近い奥様方がいらっしゃる。あたしがいるのは後宮ではなく、王の庭に作られた小さな離れだ。どうして後宮にいないのか……。
紅雨曰く
「だって、みんな怖いんだよ。瑠璃みたいに優しい子があんなところにいたら毒でも盛られるに決まってるだろう」
いったいどういう妃だよと突っ込みを入れたかったけれど。ほとんどが政略結婚として後宮に入れられた娘たちだった。
「相変わらず、容赦のないことをなさいますね。主上」
そう言ったのは、あたしの世話係であり、部下である玻璃だ。たぶん、美人と言うのは彼女のような人のことだろう。すらりとした体に、美しい曲線を描く豊かな胸と引き締まった腰。顔立ちは大きな目と通った鼻筋、厚ぼったくも薄すぎもしない触れたくなるような艶やかな唇。
「だって、臭いんだもん」
「いつもそうおっしゃいますが……主上は王をお嫌いですか?」
「嫌いじゃないわよ。命の恩人だし、何不自由なく暮らせるし……それでも、あの子供っぽいところがね。二メートル近くある大男が、あたしの前じゃすっかり子供。まあ、それはそれで可愛いけど。恋にはならないわ」
「主上は恋がしたいのですか?」
「まあ、できるならね。自分でも、そういうの向かないから、こうやって囲われてるのも平気なんだろうけど。だったら、後宮の隅っこでもいいのにね」
玻璃は小さくため息をつく。
「王は主上を大事に思われているのです。後宮の者は、かならず他国や家臣の遠戚にあたりますから、気遣いがいるのですよ。王は寝首をかかれるのを恐れていらっしゃいます。もともと、お優しい方です。主上に出会われたことは天恵でしょう。心やすらかに過ごせますから」
「だったら、どこかの貧しい少女をたくさん囲ってあげればいいのに」
「それはそれで問題なのです。わたくしを主上の影武者としてお使いになられるのも、すべてあなた様をお守りし、心からくつろいで生活していただきたい一心なのですから」
玻璃はいつもそうやって、王の味方をする。それは仕方がない。幼い頃から王に仕え、文武を備えた貴婦人。王が後宮へ入ったら、寝ずの番。ようするに、えっちの最中に王様が殺されないように見張るのが役目だったんだから。
玻璃曰く。
「女としての心よりも、ただ一心に家臣であることに誇りをもっております」
そんな玻璃だけど、なぜかあたしを主上と呼ぶの。理由を聞いても穏やかに微笑むだけで答えてくれないから、まあ、こちらのしきたりだと思って気にしてないつもり。
「開けておくれ。瑠璃。ちゃんといわれたとおりにしてきたから」
「鍵は外してあるから、はいっていいよ」
紅雨はそっと戸をあけて静かに入ってきた。あたしが両手を広げると犬のように目を輝かせて抱きついてきた。
「おつかれさま」
「疲れたよ。じじいどもがうるさいんだ。もう、本当に俺は瑠璃がいないと死んでしまうよ」
「おおげさね。とりあえず、お茶にしましょう」
毎日がそんな感じだった。
なんで過去形かって?
あれから数年で国は滅ぶの。理由はあたしが死ぬから。死因は焼死。その前に、あたしは恋をしたわ。玻璃に。紅雨は好きだったけど弟みたいだった。実際、見た目ほど大人じゃなくて、一つ年下で。出会った時の年齢は、十六歳。あたしからは二十歳すぎに見えたけど、年齢を聞いたら弟みたいに思えて、とても恋愛感情はわかなかった。そして、女だと思っていたころから玻璃が好きだったの。だけど、玻璃は宦官だった。そして紅雨の腹違いの兄だった。
あたしは悩んだわ。すごく悩んだわ。玻璃の美貌といったら、どんな女の子だって太刀打ちできないと思えるほどだもの。例え、宦官で男性だとわかったからって告白なんてできない。それでも好きだという気持ちが日に日に増して行った。気が付いたら、食べるものものどを通らないほどになっていたわ。二人は必死で手を尽くしてくれたから、あたしは泣く泣く本音を口にしたの。
「なるほど」
紅雨はどこか安心したように、納得したようにそう言った。
「いいんだ。瑠璃。俺のことは気にしなくていい。玻璃もだ。好いたもの同士が側にいて苦しんでいるのは忍びない」
「しかし、紅……わたくしは……」
「もう、いいよ。兄さん」
「俺は瑠璃のおかげで、ゆっくり眠れるようになった。兄さんのおかげで王という重責にも耐えてこれた。十分にしあわせだ。ただ、できればここにずっと二人で暮らしてほしい。俺は後宮で寝るようにするから。それまではいつものようにくつろがせてほしい」
「紅雨……あたし……わがままかもしれないけど……玻璃以外にさわられたくないの」
「ああ、もう触らない。ぎゅっと抱きしめるのも、一緒に寝るのもしない。ただ、たまにでいい。俺の頭をなでてほしい。義姉として。いいよな、兄さん。それぐらいはさ」
本当に紅雨はいい子だった。その後は、あたしが回復するまで、見舞いをするだけで玻璃と二人きりにしてくれてた。それでも、あたしは死んでしまうの。離れが突然火事になって、あたしは姿かたちも残らないほどの炭になって……。
「まさか、瑠璃の世界に来てしまうとは……」
「そうだね。それも三人でってどういうことかしらね」
「俺ってそんなに邪魔者?」
邪魔じゃないわよとあたしは弟の、紅司の頭をなでる。十歳の久我紅司こと紅雨はしかめっ面をすぐにひっこめてへらっと笑う。そして幼馴染で二つ年上の田村鏡介こと玻璃。あたしには、もったいないくらいの綺麗な彼氏。
「それで、やっぱり国はかた傾いたんだろ」
うんと紅司はうなずいた。
「あのあと、臨川が政治をやったけど、内乱がおきてさ。で、ねえちゃんは傾国の美女ってことで歴史に名前が残ったんだよ」
「傾国の美女ねぇ。どんな話になってたの?」
「えっとねぇ。俺が離れに美女を囲って仕事をほったらかしたから、家臣が離れに火をつけて焼き殺したってことになってて、地方の役人が働いてた不正もなんもかんも、瑠璃に贅沢させるために税を重くしたっていうことになってた」
「つまり、不正を働いていた張本人の臨川が、王座のっとりの理由にすべての罪を主上……じゃなくて瑠璃にかぶせたってことだね」
「そういうこと」
「それより、鏡介として不自由してない?記憶喪失ってことでこっちに慣れなきゃいけないのは、たいへんでしょ」
「大丈夫ですよ。記憶力はいいほうだし、周りが憐れんでくれて手助けしてくれますから」
「俺だって記憶喪失なのになぁ。それも、チビになってるし……」
「あら、紅雨じゃなくて……あんたは小さいからすぐに慣れるわよ。パパもママも心配ないっていってたでしょ。それとも元の世界のほうがいい?」
紅雨は大きく頭を横に振った。
「こっちの方が面白い。俺、戦争とか交渉とかいやだったからな」
あたしはそれはよかったわねとにっこり笑い、そして二人に言う。
「じゃ、勉強、勉強。みっちりこっちのルール叩き込むからね」
ふたりはこれさえなければねと苦笑した。
【終わり】