騎士が怒り術者が謝り公子が仲直りさせる
時を遡る事、数分。
僕は件の女騎士の家を訪れた。
呼び鈴を鳴らし、出てきたのは彼女自身だ。
紺色の長ズボンに革のブーツ、白い緩やかなシャツの上から茶と深緑のチェック模様のベストを羽織っていた。
落ち着いたダークレッドの髪は緩やかなウェーブを描きつつも短めに切り揃えられている。
歴戦の冒険者であり、自由騎士の称号を得る武人にしては、えらく華奢な感じをうけるが、腰の剣帯には鞘の先が地面に擦るのではないかと言うほどの長剣が吊るされている。
簡単な挨拶の後、自分の出自と自由騎士ワーズ・ラン・シエルに面会求めに来た事を告げた。
彼女は僕と後ろに控える男に一瞥をくれると、無言のまま顔を室内に向け、招き入れてくれた。
あまり歓迎している雰囲気はない。
ドアを入ると広々とした大きめの部屋、左手側にデスクと書棚があり右手側に応接ソファーと茶器棚が有った。
彼女は僕に紅茶のカップを渡すとソファーへと視線を移し、微笑みながら軽い調子で声をかける。
「少し待っていてね。 すぐに済むから。」
マフは部屋の隅、こちらと距離を開けつつ立っている。
「え?」
何が起こったのか分からない僕は、疑問の声を出していた。
ワーズの背中からナイフが滑り落ちる。
滑り出たナイフは生きているかのように大きく弧を描いて左右に分かれて飛んだ。
緊張感が一気に膨らむ。
異常を察知したマフは、走り込み一気に距離を詰めようとする。
「殿下!」
振り向きマフをみるが身体が付いていかない。
ナイフは僕を素通りして彼に襲いかかる。
左右からの鋭い刃が、突然その速度を落とす。
薄く輝く魔方陣がナイフをゆっくりと包み込んでいる。
彼のローブに隠された両手の指先は、小さく訪印を描き左右のナイフへと向いている。
「もう1本ある!」
左右に分かれずに僕の足元を滑るように走る3本目のナイフ!
ソファーの下を潜るように進むナイフを踏みつけようとするが間に合わない。
絡め取られていたナイフも、未だにジリジリとマフに向かっている。
両手を封じられ、第3のナイフが足元から彼の身体を縦に切りつける。
バックステップと共に体を捻りかろうじてかわす。
ナイフはフードを下から上へと切り裂き彼の顔を露わにした。
ワーズは剣を抜き、体制の崩れたマフの胴体を横一線に切り込んだ。
両手を塞がれ、体勢を崩された処への容赦のない斬撃。
咄嗟に両手で法印を組みし、絡め取っていたナイフの角度を変えて弾き飛ばす。
彼の手の先に有った2つの魔法陣は重なり合い、1つの陣へと姿を変え斬撃を受け止めた。
剣と魔法陣の鍔迫り合い。3本のナイフが踊るように飛翔する。
飛んでくるナイフに対応しようとしたその刹那、ワーズは剣把を握っていた左手を離しマフに向けた。
ボウッと言う音と共に風が吹き荒れる。
詠唱なしで放たれた『突風』の呪文だろう。
風に煽られ転倒したまま壁際まで吹き飛ばされるマフ。
床に転がされ、体勢を立て直し切れていない。
ワーズは無言のまま殺気を纏っている。
ギトギトと淀んだ眼光のまま無言で剣を構えなおし、必殺の一撃を繰り出す。
---まずい!---
咄嗟に、ワーズとマフの間に一歩を踏み出していた。
考える前に身体が動くと言うのは、こう言う事なのだろう。
ワーズはぶつかる寸前に動きが止まった。
頷くだけで額が届く距離だ。
柔らかな香りと突き刺すような熱気が身体を覆う。
無言のままに目の前にある圧倒的な存在感。
背中に嫌な汗が伝う。
息苦しさ。
膜が張ったような感覚。
本能でわかる恐怖。
ほんの数秒前までは、想像すらしてなかった状況に混乱し思考が纏まらない。
---笑顔・・・、笑顔だ、こう言う時は笑顔で緊張を解くしかない---
顔が引きつっている、それでも彼女に向け笑顔で微笑む。
彼女が、こちらに一瞥もくれる事は無くても。
静寂をうち破ったのはマフの声だ。
「すまんすまん、本当に悪かった。 あの時は本当に迷惑かけたと思ってるんだって。」
調子のよいテンポで、次々に謝罪の言葉を紡ぎだす。
聞いているのか、いないのか。
無言のまま凝視するワーズの視線は瞬時の揺らぎを見せる。
もう喋らない方が良い。
謝罪の言葉を耳にするほど彼女の眼は怒気を孕んで来るのが分かる。
---いや、上手く行ってるのか? 今、彼女の眼に宿っているのは殺気ではなく怒気だ。---
「何故、生きている。」
押し殺した、何かを絞り出すように放った一言。
僕が聞いた2回目の彼女の言葉だ。
マフが押し黙る。
幾許かの沈黙が流れる。
ゆっくりとした所作で、マフは居住いを正した。
起き上がることなく彼女に正対し、折り目正しく膝を屈する。
胸を張る事無く背を伸ばし、前を見るで無く地に視線を落とすでも無く、半眼に閉じた目はただ有りの儘を見据え、地に手を添える。
静謐な空気が、有る種の緊張感を生みだす。
神妙であり威厳すら漂うその姿は、正しく土下座であった。
美しかった。
この表現が正しいのか分からないが、その姿は美しいのだ。
無言のまま、すべての動きが止まる。
静寂を破ったのは、今度はワーズである。
「何故、お前が生きている?」
押し殺すことなく、絞り出したわけでもない、自然な問いかけだった。
「すまん。 本当に悪かった。 本当に、迷惑をかけたな。」
ゆっくりと、感情のこもった声。
この場の圧迫感が急速に凋んでいくのが感じられた。