序章 とある術師の場合
ひと月ほど前から東の空には暗雲が立ち込めて東側商路からの交易が途絶えた。
初めは天候異常だと思われていたが、ひと月もの間ずっと暗雲が覆っている異常さ。
王国の発表では、時折発生する小規模な異界の歪みが現れた事を確認したというが・・・。
本当に小規模なのか・・・?
異界の歪みから滲み出す瘴気は、しばしば獣や周囲の生き物を狂わす。
魔物と化した生物の討伐も行う事があるが、盗賊団や害獣などとは危険度が違ってくる。
こげ茶色のローブを纏い、目元まですっぽりとフードで覆っている男は、床に描かれた魔法陣の中心で、瞑目しつつ思案に暮れていた。
ローブの下には、革鎧を着込み、背には細かな文様が敷き詰められた短槍を背負っている。
その容貌を印象付けるのは、灰色の髪と、鼻の上に真一文字に引かれた刀傷だろう。
人気のない、薄暗い室内に有っても、辺りに気を配る様は、彼の用心深さを伺わせる。
以前の肉体を滅ぼされてから、やっとの思いでここまで再生したと言うのに・・・。
「しゃーない、見てみるか。」
男は魔法陣の中心に座禅を組み直し、詠唱と共に、法印を組む。
自らの身体を、そのまま魔法陣の一部へと同化させていく。
男を中心とした魔法陣が薄く輝き始め、それを囲むように設置された4つの魔法陣に光が反射してゆく。
4つの魔法陣は正四角形に配置され、それぞれが中心に向かい、斜め45度の角度で天井に向け、据え付けられていた。
4つの魔法陣の正面向かう先には、吊るされた、もう1つの魔法陣。
床に描かれた陣形を取り囲むように輝く、5つの魔法陣は四角錘の、正しくピラミッドの形を作っていた。
---何を起点に見るかな。 あぁ、あの女がいたっけ。 この手のには大概、首突っ込んでるだろ。---
意識を集中させ、硬く目を閉じると、額の中心が裂けて第3の『眼』が現れる。
太古に失われし秘術、『予見の邪眼』。
現存する、カードやルーンを刻んだ石で行う、抽象的な占いと違い、直接その目で未来を見通すことが出来る秘儀中の秘儀だ。
水晶球を使った、千里眼の高位術者であれ、現在や過去を覗き見ても、未来を見る事は難しい。
せいぜいが、端的なビジョンが映し出される程度である。
邪眼を持っている、それだけで、彼の能力の高さと経歴の非凡さが伺える。
対象をイメージし、見たい時間軸に意識を集中させていく。
「居た、どんぴしゃ! 自由騎士での参戦か。 相変わらず、浮いてやがるな。」
王城前の広場、貴族だけの閲兵式に従士も連れず、単騎で並んでいる。
額の赤黒い、紅玉を思わせる瞳は、揺れるように表情を変える。
場面は変り、視界に映し出されるのは、国境の砦での戦闘風景。
「いやいやいやいや・・・、ダメだろ、これ・・・。圧倒的ジャナイデスカ・・・!」
邪眼は、怪しく輝き、より黒さを増してきている。
次いで、映し出されたのは、ひと当てされ後退していく本隊と、取り残された集団を取り囲む、魔物の群れ。
「!!・・・そこ、突っ込んじゃ行けない場所だって・・・。」
紅玉の内側に黒い染みが浮かび上がり、ゆっくりと滲んでいく。
映し出される映像には、無謀な突進を繰り返す女の姿と、綻んだ囲みから逃れる少数の兵士達。
切り込む度に、馬も乗り手も傷ついてゆく。
かける言葉がみつからない。
手の施しようが無くなった戦場で、最期の囲みを突破するが、彼女と行動を共にした兵士たちも次々に倒れていく。
一人だけになっているが、戦闘区域からは脱したようだ。
「・・・あの馬・・・、自分で殺しちまうのか・・・、大事にしてたのに・・・。」
黒さを増した、邪眼の端から一筋、涙のように血が滴り落ちる。
「ここでも、抑えきれない・・・か・・・。」
映し出されたのは、王都の3重城壁、後のない貴族たちも、今度ばかりは本腰をいれて防戦に当っていた。
しかし、戦闘が始まった時点で、すでに城壁内に無数の魔物たちが侵入してしまっている。
戦う以前の問題として、魔物との戦闘に対し準備が間に合っていない。
邪眼は、その色を漆黒に変え、静かに閉じられる。
「・・・・これは事件ですよ・・・。 この国・・・、滅びるのか・・・?。」
邪眼が閉じた後、這うように部屋の隅に向かい、置いてあった箱に血反吐を吐く。
「時間かけすぎたな。 きつい・・・。」
吐くだけ吐いた、少し休みたい。
そのまま仰向けに寝転がり、天井を見つめる。
喘ぎながらも、思考は次々と巡る。
---あれは歪みなんかじゃないな。明確な侵略の意図をもって作られた門/拠点だろうな。---
---気づいてる奴も居て、あの規模の遠征軍になったんだろうけど、ぐだぐだだろ。---
---邪魔をしてる奴がいる? そもそも不確定すぎて押し切れなかった?---
---逃げるか・・・。 何処まで行けば良いんだろ・・・。 ---
---魔物の支配する世界かぁ・・・。 生き辛いだろうなぁ・・・。---
少しずつ、呼吸も落ち着いてきた。
大きく、ひとつ深呼吸をする。
人間、大きすぎる衝撃は、混乱よりも使命感を生むらしい。
「足掻いてみるか。 取り敢えずは、邪眼でみた奴等からだな。」
脚を大きく上げ、勢いを付けて起き上がる。
照れを覆い隠す決意を込めて、確りとした口調
「人生の終末を前にして、昔馴染みに会いに行く。 これも、万物自然の法則だろ。」
不敵な笑み、いや、いっそ清々しい程の会心の笑みが浮かんだ。
乾き始めた血を、強引に拭い、男は部屋を後にする。
。