序章 二人の天才
序章 二人の天才
2018年5月13日13:30〜
(男がヘリに襲われる30分前)
「全く、この雨いつまで続くんだよ…」
冴えた両耳に自機のローター音を捉えながら、パイロットである男は胸糞悪く呟いた。
彼此二週間近く降り続いている雨のせいで、操縦席からの景色は決して良好とは言えない。
おまけに眼下に広がる景色は、どれも見ていて気分の良いものではなかった。ひび割れ陥没した一般道や先端の垂れ下がった高速には、帰らぬ持ち主を待ち続ける放置車が群がるように積み上げられて塞がれており、全ての階の窓が内に粉上のガラスを飛び高層マンションや大型店舗は原型を失った廃墟と化していた。遥か彼方にそびえ立つ赤茶けた巨大な電波塔が、かつてここが『東京』と呼ばれていたことを感じさせる。
男は不機嫌そうに眉を潜めると、両手に握っていた操縦桿から片手を手放し、その手でブルゾンコートの胸ポケットから無造作に煙草を取り出した。
戦闘ヘリ内で喫煙し更に片手運転などかつてのヘリの操縦士からすれば言語道断だが、この男はただの暴徒のリーダーから雇われた下っ端だった。
本来、このヘリはタンデム式と呼ばれる縦に二人が並ぶようにして操縦するものだが、男はそのことを知らずに後ろの操縦席にはマシンガンなどの武器を乱雑に積んで荷物置き場にしてしまっている。
丁度湿気の多い空気を溜め込んだ肺に、濃度の高い煙草の煙を送り込んだときだった。
「目標を見つけた。おい、煙草はもう消せよ?」
通信機を内蔵したヘッドセットに低い男の声が響く。
背もたれに背中を預けて気だるそうに右へ首を振ると、ハンティング帽で目元を隠した男が同型のヘリの操縦席から人差し指と中指を立てて下に向けていた。
それを見て男は舌打ちをすると、手元の煙草を足元へ投げ捨て乱暴に踏みながら眼下を見下ろす。
見れば擦れた白文字を残す標識が見える交差点の中央で、四輪駆動に身を潜める二人の人影があった。
一人は身長が成人ぐらいの男であることが見て取れたが、もう一人の容姿を見て男は思わず目を疑った。
「あのちっこいの…もしかしてガキか?」
茶色いボロ布のようなフードを被っている為、性別まではわからないが身長は男よりも遥かに低い。もしかしてあの男の子供か?
「目標を射程範囲に収めた奴から掃射しろ。どちらから始末しても構わん」
男達のグループの幹部を務める野太い抑揚のない話し方には毎度のことながら恐怖すら覚える。が、先月急に入ってきたリーダーの女よりかはまだマシか…。
薄い笑みを浮かべなから、目標を射程範囲内に収めようと慣れない手つきで四輪駆動車の方へ高度を落とそうとする。
しかし、つい先ほどまで横にいたはずの両機が我先にと既に目標に機首を向けていた。
「悪いが先にやらして貰うぜ。 今日の報酬は俺んもんだ!」
ヘリの両翼下にあるミニガンが唸りを上げ、高速回転と共に銃弾を容赦無く地面へと突き立てる。
最大で一秒に100発と云う発射速度を誇り、生身の人間が被弾すれば痛みを感じる前に死んでいるという意味で「無痛ガン(Painless gun)」とも呼ばれるあれを喰らえば、生き残れる人間などまずいない。
だが、子連れ男たちは全力でヘリとは逆の方へ駆け出し、ヘリの襲撃から逃れることに成功した。
ミニガンが掃射したときに、目標の近くにあった高機動車に流れ弾が命中し爆発を起こしたのだ。
黒煙による妨害により、目標に狙いを定められないヘリは一度目標の上を通り過ぎ、急旋回して態勢を立て直す。
「クソっ! 仕留めそこなったぜ」
「ダセぇなーおい! 手本を見せてやるよ!」
目標は近くで爆発が起きたことにより、怪我でも負ったのかその場で伏せている。が、起き上がったかと思うと、大人のほうがフードを被った子供を丁度ヘリから死角になる脇道へと送り出した。
「二手に別れたか。まぁいい…」
男はワザとゆっくり舌なめずりをすると、火器管制コンソールに視線を動かし、そして全兵装のセーフティ解除。操縦桿の発射トリガーに軽く指を置く。僅かに機首と目標のズレを修正し、こちらへと背を向けて走り出した男を標準に捉えると同時にトリガーに置いた指の力を強める。
だがそこで、男はようやく気付いた。
遥か遠方にある石造りの高台で何かが光を反射するのが見えた。
怪訝そうにそれを眺め、正体を確かめるべくそちらへと操縦桿を傾けようとした直後ーー
鼓膜を震わせたのは、氷がひび割れるような乾いた音。眼前のフロントガラスには白い糸の蜘蛛の巣が張り巡らされている。声にならない奇声を鳴り響かせていて恐る恐る視線を胸元に落とす。
そしてようやく理解した。胸元から高台まで一筋に伸びる光線は、周りに飛び散る液体と同じ――赤であることに。
ーー捉えた。そう確信をするのと同時に、覗き込んだスコープの中で白い十字の中心に位置する男がこちらを向く。
だが男は既に太い指先で引き金を絞っていた。12.7×99mm弾と呼ばれるその細長の徹甲弾は、M82バレットライフルの銃口から飛び出すと同時に、白煙をひきながらパイロットの男の左胸を急襲した。胸を押さえて苦しむパイロットの最後を見届けず、男はスコープから視線を外して引き金から手を離す。
同時に後ろから場違いもはなはだしい女の甲高い笑い声が上がった。
どうやら声の主はとてもご満悦らしい。
「いや〜、流石プロだねぇー。見ていて惚れ惚れする仕事ぶりだよ」
ちらと腹這いの姿勢のまま男は首だけを女のほうへ向けた。
女は男の右後方で折り畳み式のビニールチェアに腰掛けながら白衣越しに呑気に脚なんか組んでいた。頭上にはこれまた派手な柄のビーチパラソルが雨除けに立てられている。
ーーこっちはドブネズミ状態だっていうのに散々だぜ。
「やっぱり見た目からは想像出来ないな。その格好やめた方がいいんじゃないかい?」
年季の入った茶色い革ジャンにジーパンという姿からは彼の本職を言い当てるのはまず不可能だろう。髭面にパンチパーマにその格好では、どうみても昭和のドラマに出てくる借金取りが妥当な線だ。
アンタも相当浮いてる格好してるんだがな…
話が長くなりそうな気がしたので、敢えて男は女に言うのをやめた。
女はボサボサの髪を後ろで一括りにし、白衣の下に黒いタイツという男にも負けない浮いた格好をしている。美人ではあるのだがこの女、香水の代わりに酒とアルコールの混ざったような臭いが常にするのでたまったもんじゃない。おまけに性格も悪く毒舌ときたもんだ。
女の手元にあったアマチュア無線機からノイズ交じりに声が聞こえて来た。
「おい、向井が誰かに殺られた! どうなってんだよ!」
「ヘリが落ちてくる! クソっ、こっちに来るんじゃねぇ!」
無線機からの断末魔から僅か二秒後、数瞬遅れて遠方で爆発が起こる。空中で操縦士を失ったヘリが散々踊り続けた挙句、ビル屋上にぶつかったのだ。確かあそこにはスキンヘッドの男がいたはずだ。
「白川! 返事しろよ! …まさか俺一人…。おい、白川ァ! 俺を置いていくんじゃねぇよ! う、うわぁぁぁぁっ!!」」
残されたパイロットによる苦渋の叫び。それを聞いて女が再び笑い始める。
「やっぱり最高だねぇー。人間の本性っていうのは、その人間が自らの命の危機に陥ったときにのみ現れるんだ。今のはあの男の本性からの叫びだ!」
「ったく、どいつもこいつもクソ野郎ばかりだぜ…」
両腕を胸の前に広げて悟りを開き始めた女を男は半ば呆れ気味に、スコープに視線を戻した。
混乱状態に陥ったパイロットに十字の中心を添える。ヘリは好都合なことにその場にホバーリングしているだけだったので標準を合わせるのも容易かった。敵も居場所の分からない狙撃手に軽率な行動を取れない。
息を一瞬止め、微かな震えも可能な限り止めて引き金を絞る。
肩を蹴る反動、瞬く銃火と鋭い銃声。フロントガラスを貫通したライフル弾が、パイロットの脳天を直撃した。
操縦席が赤に染まるのを見届け、男はボルトハンドルを起こすと後ろに引き、空薬莢を排出。続けてボルトハンドルを押して元の位置へ戻し、次弾を薬室に装填した。
発砲したばかりの熱を持った空薬莢が金属音を立てて、女の足元へ転がっていった。
「しかしまぁ物騒な世の中になったものだな。…いや、君らにとっては周りの目を気にすることなく仕事が出来るから逆に快適なのかな?」
人差し指と親指で摘み上げた空薬莢越しに、女は本心の読めない不気味な笑みを浮かべて見せた。
「馬鹿言うな。判断一つ間違えれば、派手に血をばら撒いて散る利益の全くないリスクに身を晒し、年中無休やって来る敵さんの命を奪うことで今日を生き抜くことが出来る、そんな過酷な生存競争が快適だって? 一体どうしたらそんなイかれた脳味噌になるんだ?」
役目を失いコンクリートの棒と化した電信柱に激突し、無骨な花火と共に四散したヘリの最後を見届けた男は女のほうへ振り返った。
そしてワザとらしく大袈裟に両手を空に向けて首を振りながら、女に負けないとびきりの笑みで最後に挑発を付け加える。
その反応を見た女はさも満足そうに鼻で小さく笑う。そして年季を感じさせる銀色のジッポライターを白衣から取り出すと、いつの間にか口元に咥えた煙草に火を灯す。
「今日は実に面白いものが見れた。さっそく研究所に帰ってデータにしたい。目的も達成したし直ぐに帰ろうじゃないか!」
女は偉そうに言うと、白衣の裾をなびかせながら振り返って、背後の草地に止めてあった白いバンに向かって歩き始めた。
「…お前何もしてないじゃないか。ヘビースモーカー野郎」
ふぅ、と男は溜め息と共に頭を振りつつ、蚊の鳴くような声で悪態をつく。
そんなことを気にもせず、バンの座席にさっさと潜り込んで煙草を吹かしながら考え事をし始めた女をよそに男は撤収準備に入った。イかれた姫君がヘソを曲げてご機嫌斜めにならない内に…。
銃口を安定させるアタッチメントである二脚台を全長を短くしてホルスターにしまった後、ライフルをスリングで肩から吊るし背負い終える。
そして男は突然今までの態度を消し、幾多の戦場を乗り越えてきた強者の双眸を背後へ向けた。この男の本来の姿だ。
「まさかアイツとこんなところで再開するとはな…」
暫しの重い沈黙の中で呟かれた言葉は、誰の耳に入るわけでもなくただ鳴り止まない雨音にかき消された。
男の視線の先にあったもの、それは先ほどフードを被った子供を連れていた男が横たわっている姿だった。
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