回想1 とある少年の回想
回想1 とある少年の回想
2017年12月24日 16:01~
「ふあああ……」
眠気が増すばかりの教室で、今日何度目になるかわからない欠伸をこぼす。
今日は朝からこんな調子が続いている。
昨日に高校への入学とともに始めたアルバイトで、明け方まで残業させられたからだ。
寝床に着いたのは多分、午前五時過ぎくらいだったと思う。
俺、冴羽士郎は鉛のように重い瞼を何度も擦りながら、完全に宙へ浮いている意識で、今度は教室全体を見渡す。
黒板の前では、あちらこちらで好き勝手にそれぞれの行動に没頭している生徒を背に、数学の初老の教師が懸命に手を動かしている。
その中には、騒音に近いいびきをかいて机にふせている男子生徒もいる。
しかし、この教師の耳は非常に遠いため、いびきには気付かない。
他の生徒も笑い声や叫び声をあげて会話しているが、教師はそれにも気付かずに手を動かし続ける。
そんな休み時間と違いない授業風景の中、俺が安眠に浸ることが出来ないのには理由があった。
別に勉強が好きだとか、成績が危ういからというわけではない。
「……さっきので五十一回目……」
全ての元凶はさっきから横の座席で、俺をジロジロと睨みながら意味不明な数を呟くクラスメイトだ。
やや小柄な体に、水色のリボンで長めの茶髪の左端だけを結んだ、今学校で流行っていると言われている髪型。一方で大きな瞳から並みならぬ気の強さを感じられる女子生徒。
我らが修陽高校の現生徒会長、なんてものを務めている白樺 雅だ。
白樺は生徒会長らしく、こんな授業中でも真剣に机の上に開かれたノートの上で手を滑らせている。
シワ一つ無いスカートからは、白い雪を連想させる透き通った脚が美しい直角を描いて並べられていた。もう十二月だっていうのにコイツは「校則だから」とタイツも履かずに学校に通っている。
そんな美脚の持ち主が真横にいるにもかかわらず、俺は白樺に見向きもしない。
もちろん、俺は普通の一般的な標準の現役高校二年生だ。
女性に興味が無いわけでも、女性に慣れているわけでもない。
俺はこの女が、この世の誰よりも嫌いなのだ。
「……あのさ」
視線を横に流しながら、周りの声より音程を小さくして喋りかける。
瞬間、彼女は手を止め、異常なまでに肩を震わせて目を大きく開いてこちらを見た。
なんだ? 俺は何かコイツを驚かせるようなことをしてしまったのか?
などと俺が思案をしていると、白樺はゆっくりと両手を組んで俺と目を合わせた。
「なっ、何よ?」
「いや……。なんかさっきからさ、凄いお前の視線を感じるんだけど」
遠慮がちに言うと、白樺はさも面倒臭そうに溜め息を吐いた。
俺と会話を始めようとするとき、白樺は必ずこのように溜め息を吐く。
最初は鬱陶しいかったが、何度も何度も見ているうちに慣れてしまった。
「アンタが横で目障りな行為ばっかりしているから、その数を数えていたのよ。授業は真剣に受けなさい。まったく……」
さっき言った『コイツが嫌いな理由』がこれだ。
白樺は何かと俺を目の仇にして、学校での俺の行動一つ一つに対して絡んでくる。
なんでもかんでも規則規則って、制服の着こなしから昼食の食べ残しまで様々な場面で人差し指を突き立てて注意を促してくるのだ。
まぁ、今は授業中なので人差し指は向けてこないが……。
毎日のようにこんな美少女生徒会長によるストーカー一歩手前な行動を取られて、周りが大人しくしているわけがない。
周りの男子生徒からは「なんであんな地味な奴が……」と囁き合いながら、嫉妬と殺意が入り混じった視線を毎日のように浴び続けることになるし、女子生徒からは「白樺会長……どうしてあんなゲスと……」と呪いの言葉のように呟き合いながら、無慈悲な冷たい視線を浴び続けながらの学校生活を送る羽目になった。
男子からも女子からも無差別に扱われている俺には当然、友達と呼べる親しい人間など存在しない。
中学のときからの友達でさえ、今では何を語りかけても無視されている。
孤立して縋る島もない俺は、ただ横にいる白樺の注意から逃れるために、酷く退屈な授業を真剣に受け続けることしか選択肢はなかった。
ちなみに、昨日アルバイトを明け方まで残業させられたのは全てコイツのせいである。
昨日の昼休みに、白樺が教室にいないことを確認して昼食を取っていたとき、床に一粒の米が弁当箱から零れ落ちた。
俺が、米の一粒くらい……いいよな? と思い、無視して食べ進めようとしたら。「待ちなさい! アンタ、これ無視して食べ続ける気だったでしょ!?」
と、奴が現れた。最初から教室の外に隠れていたのではないのだろうか? と疑問を抱かせるほど、素早く、颯爽と俺の前に現れて、拾った米粒を顔の横でつまみながら怒鳴り散らされた。
麦わら帽子を頭に被せたら、テレビの向こうで米の良さを熱演している農家のおばさんのように見えることは間違いないだろう。
おまけにだ。
説教はそれだけでは終わらず、放課後にわざわざ生徒会室に連行されてまで続けられた。
どうやら『教室を汚さないこと』と『食べ物を大切に』の二点が彼女を無限に喋り続けさせる根源となっているらしい。
別に、それに関しては言いたいことはわかる。
確かに悪いのは俺のほうだ。
だが……それだけで五時間も説教ってのはどう考えたっておかしいだろ!?
説教が終わって生徒会室を出ると、廊下の照明は落とされて真っ暗になっていた……。
だってそりゃ、もう午後十時回ってたもん。
そのせいでアルバイトに遅刻するは、店長に怒られるは、明け方まで残業させられるわで……労働基準法ってなんのためにあるの? って思いたくなるくらい働かされたよ。
辺りはクリスマスシーズンで盛り上がっているっていうのに、なんで俺だけ肩身が狭い思いしてバイトしなくちゃいけないんだよ……。
なんのアルバイトしてるのかって?
……レンタルビデオ屋ですけど、何か?
「……聞いてるの?」
記憶を遡っていた俺は白樺の透き通った声で現実に戻ってきたが、同時に不満を覚えた。
「目障りな行為って、欠伸がか?」
「そう」
白樺は「当たり前じゃない」と言わんばかりに、小さく頷いた。
と、それと同じタイミングで、どこからともなく飛んできた紙飛行機が俺の肩にぶつかり墜落した。
下に落ちた紙飛行機を見ながら、俺は言った。
「……これを見ても、欠伸が真剣に授業を受けていない行為だと言えるのか?」
「…………」
紙飛行機を飛ばす生徒や、三列目の机の上に立ち上がって踊っているバカ男子よりかは、欠伸をしている俺のほうが数段真面目に授業を受けているように見えるだろう。
言葉を失う白樺を見て、俺は小さく鼻息を鳴らすと同時に紙飛行機を拾い上げた。
俺の日常はだいたいこんな感じだった。
何かと言い寄ってくる白樺に対しては、今のように軽く相手をして黙らせる。
十分もしないうちに、また白樺が何か俺の汚点を見つけて注意をしてくる。
また、俺はそれを……の繰り返し。
変わり映えのしない日々を考えただけで、先が思いやられる。
気が弱い奴や軟な奴はすぐに心が折れて、鬱にでもなってしまうだろう。
そこで何かの視線に気づいた。
見ると、さっき机の上で踊っていた男子が踊りを止めて、こちらを怒りと憎しみで溢れた目で見つめながら何かを呟いている。それほど大きな声ではないが、俺にははっきりと聴き取れた。「テメェ、ふざけるな」と。
俺は真顔でこう答えた。「授業中に机の上でシャープペンシルを鼻に刺して踊っている奴ほど、ふざけてはいない」と。
まだ鼻にシャープペンシルを刺してこちらを見続ける男子に向かって俺は『気を付けろ。白樺会長が後で殺すって言ってたぞ』と、白樺に気付かれないように手に持っていた紙飛行機に走り書きをして放り投げた。
「……今、何かしなかった?」
「いえ、何も」
首を傾げる白樺を見て、顔を青くして震えあがる男子を堪能した俺は、この座席の数少ない特権であるガラス張りの窓からの景色を眺めることにした。
ずっと自身に対する敵意が溢れる教室で会長の視線を気にしていると、いくら場馴れしている俺でも心苦しくなる。
その気分がてらに見る窓からの景色が、詳しくいえば空が格別なのだ。
ただ、授業が面白くないからなんとなく空を見ているような生徒たちには、この気持ちは一生味わえないだろう。
今日は生憎の曇り空で、外はまるで景色が雪化粧したかのように真っ白に染まっている。
それでも、深々と降り積もる雪もまた風流で良い。
全神経を集中させて、暫しときの流れゆくのを忘れて感慨にふけようと。
俺が十秒と経たずに自分の世界へ突入しようとした瞬間、後ろからもう聞き飽きたであろう声に引き戻された。
「ちょっと、冴羽! アンタ、授業中に外見るなんて授業に集中していない証拠じゃないの!」
……わかってた。嫌な予感はしていたんだ。このまま、何事もなく空を見つめていられるなんて都合が良過ぎると思ったんだ。
「やれやれ……もう十分経ったのか」
体中にある全ての気体が外に出てしまうのではないかと思うほど、深く長い溜め息を吐く。
いつもなら、後三分は持つのにな……。
「……またお説教か。チッ、この疫病神め。責めてイブくらいは大人しくして――」
俺が白樺に聞こえない声でそう悪態を吐いたのと同時だった。
「おっ、おい! なんだよ、アレはッ!!」
教室……学校中に響き渡るであろう叫びを窓際の男子が血相を変えて上げた。
それだけの大声だったので、耳の遠い教師も男子のほうへ体を向ける。
クラス中の視線が彼を捉える中、俺は彼が見ている方角――窓の外を見た。
そして、俺も声を上げるとともに、座席から立ち上がっていた。
白樺の存在など、当の昔に消え果てて頭の中には無かった。
それほどに……目の前に広がる光景は異常だったのだ。
ほんの先程まで灰色の雲が広がっていた空は気味悪く赤に染まっていた。まるで、空が燃えているように見えた。そこから沢山の「星」が流れ落ちて来たんだ。その光景は僅かしか見れていない。その後、俺達は意識を失ったから――
頑張って書いてきますよー!