終焉の始まり
終焉の始まり
日時不明
金色に輝く鋭利な銃弾が、風を切って頬の肉を抉った。
今まで激しく脈打っていた血液が急激に温度を下げ、傷痕から血の気が引いて行くのを感じる。
自分は今、判断を一つ誤れば血を派手にまき散らして死ぬ危険に身を晒しているのだと改めて納得させられる。
無限の蒼穹に広がる世界。
透明な雫で織られたカーテンの奥で、灼熱の業火に包まれて朽ち果てていく車や建造物。そこでは絶え間なく、残酷なまでに無慈悲な生と生の力の衝突が、崩れる瓦礫の戦慄に向かって鳴り響いていた。その場にいる人間たちの心拍が枯れるまで 雨がやむまで、永遠に。
胃の底から吐き気が込み上げ、歪んだ視界で空を見上げた。
頭上一面を、途切れを見せることのない重苦しい灰空が覆っている。
――なぜ、この世界はこんな風になってしまったんだ……?
霞んだ声に、錆びた空は何も答えない。
代わりに、火薬の臭いが紛れた冷たい風が嘶いた。
一面に広がる泥水に、鱗のような波紋が立つ。
力を込めて両眼を閉じる。
そして、重い瞼を二度三度開くと、自分に本気の殺意を抱く男が溢れる闘志を露にして武骨な拳銃を手にこちらへ駆け寄ってくるのを確認し、すぐに足回りに取り付けたホルスターの拳銃を抜き取り素早く構える。
そして、泥と血で汚れた顔を歪めて、叫んだ。
「来るなッ! 来たら、俺はお前を殺すことになる!」
だが、その声は雨に掻き消されて全く聞こえないかのように敵はこちらへと一心不乱に向かって来る。
男は胸のナイフを握りしめ、接近戦闘へと攻法を切り替える。
その判断が命取りなるのを敵に教えるしかないことしか出来ない自分に腹が立ち、舌打ちをしながらこちらも戦闘態勢へ身構える。
濡れ輝くナイフの刃が首元目掛けて迫ってくると同時に、敵の後部へ姿勢を低くしながら滑るように回り込む。
下ではコンバットブーツが地面の泥を抉って弾き飛ばす。横目に映った敵の顔が唖然とした表情に豹変するが、自分が成すべきことを果たすために無視を決めた。露わになった敵の背中へ向け、既に握りしめている拳銃の引き金を引く。不慣れな反動が右手を揺らし、それでも狙いは正確に男の左胸に眠る急所を定めていた。赤黒い穴の開いた死体が血の糸を引きながら泥の上に音を立てて崩れ落ち、役目を終えた拳銃をホルスターへと仕舞う。
既に雨に浸って重く感じているシャツの裾で、新たに顔へ付着した血を拭い取ると湿った空気を体内に吸い込んだ。
「すぐに武器を捨てて建物から降りて来い! お前らが武器を捨てれば、俺は一切手出しをしない!」
元は白亜の清潔感溢れる三階建のビルは、自然現象によって蝕まれて赤茶けてしまっている。その最上階にいるスキンヘッドの男に向かって自分が懸命に叫んでも、男からの返答は無言のままだった。
変わりに遥か後方で遠雷のような低音が腹底を揺らし、その音が段々とこちらへと近づいてきているのに気が付いた。
身を翻して音のする方を見ると、天と地の狭間を切り裂くように駆け抜ける二つの飛行体が姿を現す。
圧倒的な存在感を持つ横長の両翼、その下にはミニガンとロケット砲がこちらに先端を向ける。更に頭上で雨粒を弾き飛ばしながら回転するローター。
その姿は間違いなく、男から自分たちに差し向けられた死神の鎌であった。
「残念だが君に話せることは何もない。生憎、自分に対して利益のあることでないと会話することさえ面倒くさくなる性分でねぇ。まもなく君たちの上空に我々の戦闘ヘリが到達する。一刻も早くそこから離れないとそこに隠れているガキ諸共ミンチだぞ? フッ、ハハハ!」
「クソッ!!」
耳障りな男の高笑いに吐き気がし、舌打ちをしながら後方の民間車の影に身を潜める。
そこには奴らを追いかけている途中に、高級住宅街で倒れているところを偶然見つけ、連れて来たまだ幼い少女が身を震わしていた。
雨で濡れた前髪の奥から、心配そうに黒い瞳を上目遣いにしている。今頃、こちらへの刺客である戦闘ヘリパイロットは、舌を舐めて操縦桿を握っているはずだ。
「早く立て! ヘリがこっちに向かってくるぞッ!!」
震える少女を両腕へ強引に担ぎ、その場から少しでも遠くへ離れようと鉛のように重い足を懸命に動かし続ける。
心身ともに限界に来ているのは彼女だけではなく、自分自身も同じだった。
ヘリの機体が、俺達を機関銃の射線上へ納めるために緩旋回をする。雨に晒された機体の表面に鱗のような模様が見て取れる。
「伏せろッ!」
少女の頭を無理矢理抑え込み、その場へ伏せる。
斜めに傾いた機体が唸り、真横の地面に無数の水柱を派手に添えて頭上を通り過ぎる。
途中に乗り捨てられた高機動車が、その車体に風穴を開けて雨粒を弾け飛ばしながら爆発したのちに炎上し、無残にも腹を見せて転がった。
あんなもので撃ち抜かれれば、即刻に生命を絶たれる。
そうなっては俺の命どころか、横にいる幼いコイツの命まで奪われちまうことになる。
せめて、コイツだけでも安全な場所に連れて行かなければ……ッ!
前機の攻撃で俺たちの足並みが止まったことを好機と見たのだろう。続けて、後ろで様子を伺っていた両機が高度を落としてこちらに機首を差し向ける。
一瞬の思考の猶予も無い展開に俺は、この世で最後の苦渋の決断を下した。
「後ろを振り向かずに走り続けろ!!」
「――ッ!?」
彼女を降ろしてその小さな背中を、持てる力の全てを出して強く押す。前のめりになった少女がこちらを見るが、残念ながら俺は既にアイツとは真逆の、機体の射線上を添うように走り出していたので表情を見てやることが出来なかった。
アイツは俺とは違って、記憶があり、帰るべき場所も未来もある。
ここで彼女が散っても意味がない。それよりも、こんな糞みたいな世界から少しでも離れて安静に暮らして欲しかった。
この世に生まれただけで、何の罪もない子供を見殺しにするくらいなら……!
背後から再び悪魔の唸りが聞こえ始めても、決して足を止めようとは思わなかった。
自然と口元が緩み、笑みを浮かべてしまう。
走りながら戦闘ヘリに殺されかけ、そんな状態でも笑っている人間なんてこの世に二人といないだろう。
人生の最後だというのに、どこまで呑気なんだろう俺は――。でも、最後にあの少女を逃がすことが出来て良かった。それだけで、俺が生きていた意味が出来たというもんだ。
身体の底から滲み出てくる熱が、冷たい雨を肌に感じさせない。
錯綜するヘリの銃声も少女の悲鳴も、もう耳に入らない。
――だけど、責めて……自分が何者かは知りたかったな。
胸に描いた思いは、視界の上下に溢れだした黒い霧の中で消え失せた。
頑張って掲載していきます!