●深海魚
窓は真っ黒。
確かに透明な窓だが、差し込む光はない。
赤外線サーチライトで照らしているが、もちろん、肉眼で見えるようなものではない。
まさに、日の光も届かぬ深海。
日本海溝、水面から六千メートルの彼方。
「まさか通るなんて」
「何がだ」
「この潜水艇ですよ、加圧装置付き耐圧水槽も込みで、十億クレジット」
「びっくりのお値段だな」
「深海で海草採れなかったのがしゃくで冗談で予算申請したら、通っちゃうんですもん」
「通るもんだなあ」
「他人事っすね」
「お前のせいで深海の生物を根こそぎ獲る羽目になった」
「責任転嫁だ」
赤外線カメラが生物らしきものを捉えたアラームが小さく鳴る。
「ほいきた、今度はなんだ……相変わらずキモいなあ、深海のやつらは」
「海老のようであって海老でなし。腹になんかついてますよ、気持ち悪い」
「手足短いし。あれじゃ歩けないだろうに」
「はい、かいしゅー」
ロボットアームがバキュームノズルを伸ばして、周りの水ごとその生物を吸い込み、耐圧水槽に流し込む。
再び、暗黒と静寂と、暇が二人に襲い掛かる。
「結婚しないのか」
「課長こそ」
「泣かせた女くらいならいるけどな、長続きしないんだ」
「僕も泣かされた女ならいくらでもいるっすよ、短さでも負けてないっす」
「……言ってて情けなくならないか」
「男は女に裏切られて大きくなるんです」
「ほう」
「あと、女なんてのは安物のブランデーと一緒だ、飲み残して捨てるくらいがちょうどいい」
「……何読んだ」
「何で分かるんすか」
「見せろ」
佐藤主任が端末で開いて見せたのは。
「……ちょっと頭が良さそうに見える男のモテ警句集。捨てろ」
「うわっ、ちょ、なにするんすか、八クレジットもしたのに、ああー、ゴミ箱まで消して! ひどい!」
***
「盲点でしたねえ」
「そうだな」
「星間船に圧力容器積むときは事前許可が必要なんですってねえ」
「いいから許可とってこい」
「この『一メガパスカル以上』の区分でいいっすかね」
「六十メガパスカルも、一メガパスカル以上には違いないだろ」
「じゃ、一メガパスカル以上で百トン以上二百トン未満、申請、っと」
佐藤主任は端末を操作して、圧力容器積み込み申請書をカノンインベストメントアンドオペレーション社に送信する。
「何でだめなんすかね」
「カノンの中で圧力容器が爆発でもしてみろ、船に穴が開くだけならまだしも、変な方向に加速されて、超光速ジャンプが終わってみたら近くに星一つ無い虚空で宇宙の迷子だぞ」
送信し終わった申請書をじっと眺めながら、高橋課長の言葉を反芻し、あわてて顔を上げる佐藤主任。
「だ、だ、だ、だめじゃないすか! ちょっと減圧しましょうよ、あれ」
「で、中の生物は全部はらわたぶちまけて」
「ひゃあ、スプラッター」
「……でいいんなら」
「でも深海生物と心中はいやです」
「ここで逃げ出したら会社もクビで結果は同じだな」
「それもいやです」
「じゃ、添乗してやろうじゃないか。それに、仕様どおりに作った耐圧水槽だったら、爆発なんぞするまい」
「でも心配なんですよ」
高橋課長は不思議そうに佐藤主任を見て、それから、はたと思い当たった。
「……発注したの、お前か」
「はい」
「仕様も」
「メガパスカルってどんな単位なのかからちゃんと勉強して発注したんすよ」
「……そりゃ心配だ」
「単位が合ってたかどうかまだ自信がなくて」
「あっ」
高橋課長は突然、手を打つ。
「忘れてた、俺、地球に残って貝拾うんだった」
「えーっ、じゃ誰があれ……」
「佐藤に決まってんだろ、ほら、三日ほど出張後休暇とってもいいから、届けて来い」
「絶対爆発すると思ってるでしょ!」
「そんなこと無いって」
「絶対僕が計算間違いしてるって!」
「無い無い。お前が計算間違いしてるのなんて見たこと無い」
「嘘だあ、一昨年、見積額の足し算間違えて課長に怒られましたもん!」
「うるせえ、だからだよ! さっさと行け!」
「死んだら化けて出てやる!」
「ぜひそうしてくれ。幽霊が星間距離を光速以上で飛べるなら歴史的な新発見だ」