●アジ
漁船。
鉢巻の漁師。
スーツ姿の高橋課長と佐藤主任。
「アジ。なんですね」
「ま、とりあえず、勝手知ったるアジ、だな」
「で、こんな漁船借り上げて」
「天然ものの漁をやってる漁師がいてよかった」
「つまり社長は、天然のアジを食いたいってことなんですかね」
「どうだろうな」
そして、手元の図鑑に目を落とす。
「近海の浅い海に群れで生息。小魚や貝を食べる」
「……で?」
「図鑑を見ても役に立たないことが分かった」
「なるほど、さすが課長」
言葉と全く反対の表情で地球の海の彼方を眺める。
「オウミの海と、あまり変わらないっすね」
「水をなめてみろ、すごいしょっぱいぞ」
「知ってますよ。塩分濃度が倍近いんでしょう」
「よく勉強してるな、よろしい」
「はあ」
気の抜けた返事をする佐藤主任。
「おーい課長さーん、もう獲ってもいいんかね!」
「あ、お願いしまーす。傷つけないように」
「難しいこと言わんでくれ、獲れた中で活きのいいのを選んでくれや」
言いながら、漁師は他の漁師と共同で網を海中に投じる。
「地球のアジは美味いんすかね」
「変わらんだろ、同じ魚だ」
「でも海の塩分濃度が違うんすよね」
「そうだな」
「地球のアジの方が塩味が効いてて美味いのかもしれないすよ」
高橋課長はため息をつく。
「なめてみろ」
「いやっすよ、なんか汚い」
「汚いじゃねーよ、いいからなめろ」
高橋課長はそう言うと、佐藤主任を引っ張って船べりに寄る。時々上がってくるしぶきで濡れた手すりに佐藤主任の手を無理やり押し付け、それからさらに無理やりその指を佐藤主任の口に押し込んだ。
「うわっぷ、なにするん、……しょっぱ! しょっぱ?」
目を白黒させてもう一回なめる佐藤主任。
「……っていうか、苦っ。苦いっすよ」
「塩ばかりじゃなくてほかのミネラル濃度も高いから苦いんだよ、海の水は」
「こりゃ不味いっすね」
「地球のアジだからって美味いってわけじゃない」
「そうっすね」
「それ以前に、魚に海水の味は付かない」
「えっ……そうなんすか」
再びため息をつく高橋課長。
その時、巻き取り機が投じられた網を引き上げ始める。
網の中にはごっそりと銀色に光る魚の群れ。
「アジ以外は捨てちまうかね」
「あー、いいや、一応全部もらっとこう」
「いいんすか課長」
高橋課長の返答に佐藤主任はその顔を見上げる。
「何でもいいから、って言ってたからなあ。いろいろ持ち帰っておいたほうがいいだろうな」
思案顔の彼の目の前で網の中身はぶちまけられ、船上は銀色のダンスホールとなった。
「次の網、お前も入っとけ。苦みの利いたいい男になれるぞ」
「……魚に海水の味は付かないんすよね?」
***
巨大な水槽トレーラーは、シャトル発射場に向けて走る。
「聞いてますか課長、この水槽車、チャーター料が六千クレジットですよ、六千! 旅客シャトル借り切ってもおつりが来ますよ!」
「うん、いや、よく見つけたよ」
「マジで探しましたからね! もう、これだけでボーナス査定プラス評価してもらわないと!」
「ああ、いいけど、ハンドル捌きが怪しいな、その分はマイナスしておこう」
「そんなんないですよ、こんなの運転するの初めてなんすから。やってみますか課長、いや、やってみてくださいよ運転の上手そうな課長様」
「うるさい、前見てろ」
ちょうど信号が赤に変わろうとしている。佐藤主任はあわててブレーキを踏む。
「……ほら見ろ。マイナスな」
「おかしいっすよ。運転手雇いましょうよ」
「知っている人間をとにかく限定しろとの厳命なんだよ。あの漁師だってぎりぎりだったんだ」
「なんなんすかねえ、極秘プロジェクトなんですかねえ」
「俺らみたいな小物社員が知るこっちゃないんだろ」
信号が青に変わり、佐藤主任はアクセルに足をかける。相変わらず下手で、がくんがくんと不規則に加速する。
「このあとどうするんすか」
「ともかくシャトル満載分の生きたアジは獲れた。持ち帰って社長に見てもらおう」
「わーかってますって。どうせ、『わしの欲しかった魚はこんなもんじゃないわ!』とか怒鳴って、また地球に来るはめになるんすよ」
「……また来たいんならその方向の口上を並べておくぞ」
「いえいえいえ。『もはや地球にはこれ以上の魚はございません』の方向で、ひとつ」
はあ、と高橋課長はため息をつく。
結局そんな口上を並べるしかなく、にもかかわらず、社長の反応はたぶん、佐藤主任の言う通りなのだろうから。