●ウナギ
●ウナギ
高橋課長と佐藤主任にとって大変な難関の一つが目の前に横たわっている。
多くの生き物がオウミに運ばれたのち、現地に根付かされていることはすでに知っていたが、となると、こいつはどうすればいいのか、全く分からないのだ。
彼ら二人の前ににょろにょろと体をくねらす漆黒の長いひも状の魚。
彼らがなぜここまで悩んでいるのかについては、少し時間をさかのぼって語るよりほかあるまい。
***
今回のプロジェクトの中では珍しく、社長直々に与えられた捕獲ターゲット。
それは、ウナギだった。
「ウナギって、細長い魚っすよね」
「ああ、実物は見たこともないが」
「僕も存在は知ってるっすけど、どこにいるんすか」
「さあな。あちこちに目撃情報はある。確かに生息はしているらしいが、捕獲調査も禁じられていて正確なところは分からないらしい」
「なんでそんなめんどくさいことになってるんすか」
佐藤主任の当然の問いに、あらかじめ調べておいた資料を広げる高橋課長。
「一度、絶滅したんだ」
「は? 絶滅?」
「そう、絶滅」
「え、でも、今はいるんすよね」
「ああ、一応な」
高橋課長自身、自分の言ってることが矛盾しているなあとは思う。
「あ、分かった、遺伝子プールに残ってたんすよね。それで、遺伝子から再生して」
佐藤主任はその少ない知識の中から、絶滅した動物に対してまれに行われる珍しい処置のことを引き出した。
確かに彼の言う通り、絶滅した動物の遺伝子情報一式が残っている場合、絶滅の原因を取り除いた上で種の再生が試みられることがある。
そのためには、DNA形式遺伝物質と非DNA形式遺伝物質と非物質形式遺伝反応連鎖等々、遺伝のための情報が完全な形で残っていなければならず、DNA以外の遺伝要素があると完全に判明したある時期移行の絶滅種でなければならず、なおかつ、非物質性の反応遺伝子は記録も再生も非常に困難。実際には、種の再生は非常にハードルが高いのだ。
「いや、種の再生は行われなかった」
しかし高橋課長の答えは全く違っていた。
そもそもウナギの再生は行われなかったのだ。
「へ? どうしてですか? それに、じゃあどうして今いるんすか?」
「俺もよく分からん。だが文献によると、ウナギは生態があまりに複雑で、その生態が完全に判明する前に絶滅したんだ。もちろん、反応遺伝子は生態に依存するからな、完全な遺伝情報をそろえることはできなかった」
それから、もう一度、彼は資料に目を落とす。
「それがな、あるとき、ひょっこり帰ってきた。絶滅宣言から三十年も経ってからだ。そのときからだな、そのあまりに不思議な生態と経緯から、ウナギに触れることはタブーになったんだ」
「絶滅して……帰ってきた? なんすかそのキモい生き物は。本当に獲るんすか」
「社長の命令だ、仕方あるまい」
***
「もう、一ヶ月か」
高橋課長は一人でつぶやく。
佐藤主任にウナギ探索を命じ、毎日の報告が途切れてから、一ヶ月だ。
つまり、完全に行方不明。
彼に持たせた衛星無線端末も沈黙したままだ。
もし無事でも、とっくにバッテリーが切れているだろう。
「困ったな、貴重なプロジェクトスタッフが――」
と、そこまでつぶやいてから、
「――いや、ま、佐藤ならいっか」
「よくないっすよ!」
突然、彼の後ろから抗議の声を上げたのは、ほかならぬ佐藤主任だった。
真っ黒に汚れた服をまとい、どこで手に入れたのかセンスの無い鍔広の帽子を被っている。服のあちこちにはどこかで引っ掛けたような穴が開いている。
夏休みの子供のような格好だ。
「何だ佐藤、無事だったのか」
「……反応薄いっすね」
「そうか?」
「いや、普通は一ヶ月も音信普通の部下の帰還となれば、涙を流して喜ぶものっすよ!」
「そうか」
高橋課長は、特に佐藤主任の抗議を気にする風もない。
「それよりも! ウナギっすよ」
「おー、お前が自分語りよりも仕事の報告を優先か、うれしいな」
「自分語り……いや、一応僕も会社員っすからね?」
「ああ、その自覚はあるのか。全くそんな自覚が無いのかと思ってた」
「僕以上の模範的な会社員がいたらみてみたいものっすよ」
「そうか、見飽きてるものと思ってたが。で? ウナギがどうした?」
「そう、ウナギっすよ、ウナギ! あれ、山の生き物じゃないっすか!」
「……山?」
さすがに高橋課長も首を傾げる。
「目撃情報のあった日本列島南岸をずーーっと探してたんすよ。でも一向に見付からないし。衛星端末と地図の入った鞄は海に落とすし。船のナビゲーションも画面が汚いから海の水ですすいでみたら画面真っ黒になるし。あれ不良品すよ、不良品。あ、それはいいんすけど、とにかく、もうどうしようもないってんで適当に船でうろうろしてたんすよ。分かりますか課長、あのまずい保存食ばっかり食ってたんすよ。で、朝起きたら、船が浜に乗り上げててですね、なんすかあのポンコツ、十時間くらい目を離しただけであんなところに。で、しょうがないからリュックに詰められるだけ水と食料詰めて、とにかく海岸を歩いてたんすよ。そしたら、ちょっと広い川があってですね、何か昔は大きな町だったみたいなんすけど、今は公園になっててですね、川沿いにずーっと遡って行ったんすよ。そしたら、どんどん山の方に行ってですね。分かりますか、川に沿ってたら海からどんどん離れて、もうなんなんすかね、この島は。わけわかんないすよ」
一息で佐藤主任がそこまで言ったところで、高橋課長は大きくため息をつく。
「……いろいろ言いたいことはあるが、ま、続けろ」
「ああ、そうっすね、で、ずっと進んでたら、本当に森なんすよ。その奥にちっちゃな湖があって、もうなんか疲れて、とりあえず湖岸にテント建てて――ああ、そうっすよ、もちろん、船から持ち出したテントっすよ――で、とりあえず寝て起きて寝て起きて……何回くらいかは忘れたんすけど……え、なんすか、いやだから、この島がおかしいんですって、海にいたと思ったら山っすよ、帰れるわけないじゃないすか。で、ある日、夜中にちょっと目が覚めて、何か少し雨が降ってて、真っ暗闇でしとしとと小雨で生ぬるい空気……あーいやだなーいやだなーなんか出そうだなーなんて思ってたら、足元に黒い影が……ぎゃー!」
佐藤主任の演出にも、高橋課長は興味なさげにタバコに火をつけただけだった。
「そしたら、こいつが」
差し出した佐藤主任のバケツの中には、見まごうことなく、数匹のウナギが泳いでいた。
「……地面に」
「……ええ、地面っすよ。魚じゃねーすよこいつ」
高橋課長はしげしげと魚を眺める。
間違いなく、ウナギだ。
「困ったな」
「いや、お手柄っすよ」
「ああ、お手柄かもな。ただし、そのお手柄からは、貴重な衛星端末と地図を失くし船舶ナビゲーションを海水で壊し船を浜に座礁させ緊急用テントを勝手に持ち出し無断で野宿して報告もせず川遡れば山なんていう当たり前のことも知らない馬鹿っぷりを引かせてもらうから大幅な赤字だがな」
「ええー、ひどいっす」
「ひどくない」
言い放ち、続けて、
「それに、ウナギが山肌を這ってたなんつーしょーもない嘘まで」
「嘘じゃないですって、本当ですって」
「いやな」
そう言って、高橋課長はキャビンの奥から大きな水槽を引っ張り出してきた。
「海で獲ったんだよ、こいつら」
「……あっ、ウナギじゃないっすか」
「そう。ウナギは海の生き物。水中を泳ぐ。紛れは無い。とすれば、馬鹿なお前が幻覚を見たとしか考えられん」
「本当ですって! 本当に地面を――」
「どんな風に」
「こうっすよ!」
そう言って佐藤主任は床をくねくねと這って見せた。
「……上手いな。なるほど、あながち嘘とも思えん」
「えっ、これで納得するんすか」
しかし、だとすれば、なおさら、二人の前に大きな問題が横たわることになるのである。
海で泳ぐウナギと、湖畔を這いずるウナギ。
どちらが本当のその生態なのか。
そうして数分、無言で悩んだ末、高橋課長は答えを出した。
「じゃ、お前をウナギ博士に任命しよう。社長への生態説明は、お前な」
「は……は? 僕が?」
「いやあ、うらやましいな、こんなレアモノを直接社長に献上なんて、どれだけ覚えがめでたいだろうな」
「あ……いやあ、そりゃ、実際に這ってるのを見たのは僕ですしね? 海で獲って来いって言われて海で獲っただけだったらそりゃあ単なる漁師っすけど、それを山で獲ったなら、そりゃもう、世紀の目撃者っすよね。まあその役割は当然僕っすよねえ?」
高橋課長はにこにこしながらうなずく。
馬鹿なほら話を盛っている暇があったらとっとと次の生き物を獲りに行け! と怒鳴る社長の真っ赤な顔を思い浮かべながら。




