●ウニ
●ウニ
「おら、ウニが獲りてぇ!」
「どうした急に」
「いえ、なんだか言いたくなりました」
「どういう意味だ?」
「僕にもさっぱり。たぶん三年ほどしたら誰も意味が分からないと思います」
「?」
でこぼこの山がそのまま海に落ち込んだようなリアス式海岸に、高橋課長と佐藤主任は来ている。
海辺にはかなり古い曲がりくねった道路が通っているが、一体どれだけの人がこの道路を使っているのか、見当もつかない。
もしかするとここに車で立ち入ったのは彼らが数年ぶりかもしれない。
それほどに寂れた田舎の海岸だ。
「キモい生物シリーズ、今回は、ウニですね」
佐藤主任は勝手にシリーズ化して、図鑑を覗き込んでいる。
「いろんな種類がいるらしいが、まあ、適当に潜ればなんかしらいるらしい」
図鑑を表示した情報端末をまるっきり佐藤主任に渡してしまってから、高橋課長は海面を眺める。
「……潜る?」
「……潜る」
「……誰が?」
「……お前が」
「……いやっす」
「……獲りたいんだろ? ウニ」
「いやあれは、何か、メタ的な圧力がかかって」
「まあ、お前が獲りたいとか言い出さなくても獲らせるつもりだったけどな」
「……課長は」
「いやほら、もしものことがあったら、報告書とか死体……後始末とか」
「……死体って言いましたね。僕死ぬんすか」
「なんか毒もってそうじゃね?」
「あのトゲ、確実に毒針っすよ」
「……ま、気をつけてな」
「無事だったら課長に刺してやる」
***
「やめろ」
「いや、大丈夫ですって」
「とがったもの人に向けるなって教わっただろが」
「意外ととがってないですって」
「人の嫌がることもするなって教わっただろが」
「毒針かも知れないものを人に触らせるなとは教わりませんでしたか」
「少なくとも俺は知らん」
バケツの中からウニを一つ取り出して、高橋課長に押し付けようとする佐藤主任。
その手首を掴んで、押しとどめようとする高橋課長。
宣言どおり、無事に帰還した佐藤主任は、ウニのトゲを高橋課長に刺そうとしていた。
「っていうか毒は無いって書いてあるだろが、図鑑に」
「毒を持ったやつもいるって書いてあるじゃないすか」
「そいつには毒はない」
「じゃあおとなしく刺されてください」
そう言うと、佐藤主任は力任せにウニを高橋課長のほほに押し付けようとした。
次の瞬間。
彼の手首を掴んだ高橋課長の右腕がひるがえったかと思うと、あっという間に佐藤主任は仰向けにひっくり返っていた。
「……はえぇ?」
情けない声を上げる佐藤主任、次第に背中に強い痛みを感じ、涙目になる。
「すまんな、つい」
「なんでこんなテク持ってるんすか」
「学生時代にレスリングをちょっと、な」
「課長は完璧超人っすか」
言いながら、佐藤主任はほっぺたを膨らます。高橋課長への怒りと言うよりは、彼のような万能人間がいるという世の不条理への憤りだろう。
起き上がった佐藤主任は、それでも胸を張って、ウニで満杯の大バケツを差し出す。
「ともかくこれは僕の成果っすからね。ちゃんとボーナス査定!」
「分かった分かった、考えとくよ。ところで、ずいぶん獲ったな。どうだ、一つ二つ食ってみろ」
「は? く、食う?」
「ああ」
「ど、どこを?」
「知らん。地球じゃウニを食うって書いてあった」
「どうやって?」
「ソースにしたりすることもあるらしいが、生でも食うんだそうだ」
「な、生!?」
目を白黒させて佐藤主任はトゲトゲの一つを取り出した。
「お前の給料じゃおいそれと食えない高級食材なんだそうだ。せっかく大量に獲れたんだから、一生に一度くらいは食っとけ」
「課長はどうなんすか」
「俺はちゃんとレストランで食べる」
「じゃ僕も」
「……おごらないからな」
「……ずるい」
言ってから、佐藤主任は、手に取ったそれを、もう一度しげしげと眺める。
高橋課長が、ほら、と言って、ミネラルウォーターのプラスチックボトルを渡す。どうやら、これで洗って食え、ということらしい。
しばらく逡巡した後、佐藤主任はミネラルウォーターでイガ栗状のそれを丁寧にすすいだ。
高橋課長の顔は、一瞬の疑問の色に続けて期待の色に染まった。
あんぐりと口をあけて、ウニを『そのまま』口に押し込む佐藤主任。
痛い痛いと悲鳴を上げながら押し込み、そして、ぐえっとか言いながら吐き捨てた。
歯茎から血を流しながら再び涙目になって、吐き捨てたウニを恨めしそうに見つめる。
高橋課長はその表情を佐藤主任に見られないように後ろを向いて肩を震わせた。




