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高橋課長の憂鬱  作者: 月立淳水
はじまりからおわりまで
13/20

●おしまい

 惑星オウミの、広い、広い、海。


 八割以上が、海。

 正確には、惑星表面積の八十三パーセントが、海。

 暖かい地方の海では毎日夕刻前にスコール。


 その一部は陸にも降り注ぎ、豊かな河川を提供している。

 人間の移住とともについてきた微生物や草木の種はあっという間に河川沿いに根付き、草原や林を作っている。

 岩盤中に水分が多かったこの惑星でのテラフォーミングは異常なほど上手く進み、これだけ豊かな水循環を生み出したのだ。


 そんな海に、一艘の船。

 全長百メートル近く、六千トンあるというから、本来ならちょっとした貨物船のサイズだ。

 だがそこに積んである装備は、巨大な網の巻き上げ装置が四基、釣り糸の巻き上げ装置が二十基、水槽、冷凍装置、外からは分かりにくいが魚群ソナーなどの、まさに漁業装備が一式。


 つまり、お化けのような漁船。

 そんな漁船の上に、高橋課長と佐藤主任は乗っていた。


 そして彼らのそばには恐れ多くもオーツ商会の大津社長が立っている。

 保温機能のある上下つなぎの上にライフジャケット機能付きの上着、それからゴム長靴、つばのある帽子という姿だ。


 オーナー社長三代の元で惑星三つを領有するまでのオーツ共和国の母体企業、オーツ商会を築き上げた大社長と言うにはあまりにぞんざいな格好なのだが、むしろこの場では、スーツをばりっと着こなした高橋課長と佐藤主任の方がひどく浮いている。社長以下、常務、専務等の大幹部たちがみな大津社長と似たり寄ったりの格好なのだから。


「どうや、おるか」


 ひどくなまった標準語をしゃべる大津社長。


「は、この下に群れが」


 魚群ソナーを見ていた男が答える。


「よっしゃ、じゃ、この辺でやるか」


 大津社長が言うと、船の上の面々はそのそばに置いてあった釣竿から一斉に糸を垂れた。

 そんな様子をぼんやりとみている高橋課長と佐藤主任。


「なんや、お前らはやらんのか」


 大津社長が高橋課長に話しかける。


「あ、いえ、その、そういうつもりではなかったもので……」


「ふあっはっは、そうか、地球で散々釣りしてきよったからの、もう飽き飽きしとるか」


 大口を開けて笑う。


 プロジェクトが始まってから五年がたっている。

 高橋課長は相変わらず課長だし、佐藤主任も昇進の気配はない。


 けれども、計十回の、目玉が飛び出るほどのボーナスをもらってきた。

 それだけのボーナスをもらう仕事の結果は、どうやらこれらしいのだ。


「つまりその……社長は、釣りをお楽しみになるために?」


 高橋課長はさすがにこの結果を確認せずにはいられない。

 大津社長は釣竿の先をぼうっと眺めている。

 高橋課長の言葉を聞いて、少し顔をほころばせる。


「ま、そうやの」


 ぼそっと返事をして、再び黙っている。

 高橋課長も佐藤主任も、心中でためいきをつく。


 大津社長の道楽のために、あれだけの苦労を。

 公私混同も甚だしい。

 合計何百万種という海の生物を運び込んだ。

 どうやら、多くは効率的に繁殖され、オウミの海に慣らされながら放流されたらしい。


 その結果、一部の魚は爆発的に増え、近海では魚群ソナーに影を作るほどになっている。

 もちろん、何の役にも立たないウミウシだのサンゴだのといった生き物も沿岸では根付き増えつつあるようだ。


 そのすべては、この大津社長の釣り道楽のためか。


 と言うか、幹部連中が勢ぞろいしてにこにこしながら釣りを楽しんでいる。

 ひどいものだ。

 大きくなりすぎたワンマン企業の弊害か。


「苦労をかけたの」


 高橋課長たちの心中を察したか、大津社長が声をかける。


「いえ、社命とあれば」


 これが皮肉に聞こえればよいが、と思いながら高橋課長は返す。

 遠くから、かかったぞ! と言う声が聞こえる。


 ふと見ると、太い竿が大きくしなっている。

 大変な大物のようだ。

 養殖中の大きな魚までごっそりと放流したと聞いていたが、たぶんそれがかかったのだろう。


「わしらのルーツを知っとるか」


「はあ、いえその、大体は。地球で加工食品の商いから始まった、と」


「違う違う。民族としてのルーツや」


「民族?」


 高橋課長は思わず社長の横顔を見つめる。佐藤主任も同じ顔だ。


「お前、自分の名前を『漢字』で書けるやろ」


「はあ、一応は」


「漢字の『読み』を『ひらがな』で書けるやろ」


「は、はあ」


「まあ、その辺りやな、わしらの民族の特徴は」


 大津社長のひどいなまりも、たぶんその特徴の一つに数えても良かろう、と高橋課長は心の中でつぶやく。


「地球の極東の小さな島国、日本がわしらのルーツや」


「は、それなら知っています」


「島の真ん中に大きな湖があってな、そのほとりやった、わしの爺さんが生まれたのは」


 先ほどかかった大物はどうやら人手には負えないと判断されたらしく、大きな巻き取り機で引き上げが始まっている。


「古文書時代の地名でそのあたりは近江オウミと呼ばれとった」


「オウミ……?」


 つまり、この惑星の名前、オウミは、その現存しない古い地名から取ったということか。


「この会社の社員は不思議と同じ日本民族が多い。ま、わしの好みの人選をしておったらそうなったんやろうがの、はっはっは」


 大物の引き上げ現場には人だかりができている。

 見えたぞ! とか、一旦緩めろ! などなどの声が上がっている。


「日本民族の住む国、日本は、海に囲まれた小さな国やった。豊かな、本当に豊かな海に囲まれてな」


 大物が気になるのか、大津社長も立ち上がって覗き込む。


「海に育まれた民族と国。わしはの、このオウミに、それをもう一度作りたかったんや」


 高橋課長も思わず覗き込むと、海中に銀色の流線型が見える。


「豊かな海を人工的に作るのは難しい。養殖事業も、生簀の中にありとあらゆる化学合成養殖液を調合することでなんとか魚が育成できる環境を作っておる。そうでなければ魚は育たん。魚が自然に育つのに必要なのは、つまり、地球の海そのものなんや。巨大なクジラから目に見えない微生物まで含めたありとあらゆる種がお互いに支えあっている地球の海」


 見ていると引き上げ糸が再び張力を増し、流線型の物体はさらにはっきりと見えるようになってくる。

 その形は、かなり大物のマグロのように見えた。

 おそらく、養殖場から放たれたものなのだろう。


 養殖場から逃げ出した魚はあっという間に弱って死んでしまうというが、こんなところで元気に生きていたとは。


「お前らが地球でかき集めてきた多様な種を、あらゆる方法で培養して、海に放った。最初に根付いたのはほんの一部やった。だが、それが根付いてからまた繰り返すと、根付く種が毎回増えていく。面白いもんやの。全く無関係と思っとった種同士が実は支え合っておったんや」


 マグロはついに海面から顔を出した。

 大きな鉤爪付きの棒が何本も伸ばされ、水面のマグロの刈り取りにかかる。


「楽しみで仕方なかったわい、お前らが新しい種を獲ってくるのが。そのたびに、また違う種が根付くかもしれん、と思うとな」


 しわしわの顔をほころばせ、大津社長は高橋課長ににっこりと微笑みかけた。


「お役に立てたのなら何よりです」


 高橋課長が言って頭を下げ、おどおどとしながら佐藤主任もそれに倣った。

 大きなマグロが、どさりと音を立てて甲板に上がった。

 暴れるそれに、一人がすばやく止めを刺す。


「その成果があれや」


 言いながら、大津社長は、上がったばかりのマグロに向かって歩き始めた。

 彼の秘書らしき女性が、大きな布に包まれた長いものを渡す。

 布袋のひもを解き、彼が取り出したのは、巨大な包丁だった。


 ぶんっ、と振った包丁の先がすぐ後ろにいた佐藤主任をかすめ、ひええ、と情けない声を上げて彼はしりもちをつく。


「よっしゃ、まかせろ」


 大津社長が一声かけると、さっと幹部連中が道を空ける。


 上段に構えられた大包丁が、風きり音を立てながら振り下ろされる。

 マグロの首元にぐさりと刺さりこみ、反対側の幹部二名と大津社長の三人でその刃をさらにねじりこんで、あっという間に首から両断した。

 大津社長はさらに慣れた手つきで大包丁を背骨の間に入れ、さっと切り開いていく。


 あっという間にマグロが縦に四半分にされた巨大な切り身ができた。

 同時に、キャビンから大きな木製の桶を抱えた秘書が出てくる。桶からは湯気が立っている。


 大津社長は小さな包丁に持ち替えると、切り身をさらに輪切りにし、一片を取り出して、綺麗に短冊状に切り分けていく。

 どう見ても一朝一夕の手さばきではない。このために相当に練習を重ねている。


 桶が彼のそばに置かれ、その中が見える。

 見まごう事なき、白米だ。

 漂ってくるのは甘い酢の香り。

 もしや。


「あの、社長、私の間違いでなければ、それは……」


 大津社長は、ふふん、と笑う。


「……お寿司、でしょうか」


「そうや」


 両手を冷たい水にさらしながら、大津社長は返す。


「寿司ネタには無限の可能性がある。食用として広く養殖されているものばかりではいかん。だから寿司ネタの多くは地球産や。だが、わしはここオウミを第二の日本の海とすることに決めた。この海すべてが、寿司ネタの海なんや」


 左手にさっと白米を握り、形を整える。


「引退したらの、寿司屋をやろうと思ってるんや。このオウミを、宇宙一の寿司の星にするんが夢や」


 右手で、緑の小さな塊をつまんで、握った白米に乗せる。


「寿司ネタは地元産でないといかん。それがこだわりや。だからこそ、オウミの海にあらゆる種を集めようと決心した」


 美しい桜色の切り身が宙を舞うように、白い白米の上に乗った。

 そして、両手で綺麗に握り固められる。

 大津社長は、それを手のひらに乗せて、ひょいと高橋課長の目の前に差し出した。


「オウミ地元産、天然獲れたての大トロにぎりや。こんなもん食えるんは宇宙でもお前が正真正銘の最初やぞ」


★おしまい★

本編は以上です。


以降、オムニバスコントをお楽しみください。

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