雪の降る夜に
雪が降り始めたのは、今日の夕方のことだった。
少し冷えているとは感じていたけれど、まさか雪が降り始めるなんて思ってもいなかった。
そもそも、このあたりでは雪は降らないのだ。
授業で聞いた話によると、
日本海を渡ってきた冷たく湿った季節風は、山にぶつかりそこで雪を降らせるが、そこで、その大半の水分を失う。
そのため山の南側では、湿気の少ない乾いた風が吹き下ろす。
からっ風なんて、ここでは呼ぶらしい。つまり、冬のあいだこのあたりでは乾燥した晴天が続く。
しかし、どんなことにも例外はある。今日の天気がそれだ。
天気予報を見ると、気象予報士が10年に一度の大雪だと言っていた。
10年は、僕には永遠に近いもののように思えた。夜明けまでには、30センチは積もるらしい。
聞くところによれば、なんがん低気圧ってやつの仕業らしい。
大人たちは、雪を嫌がっている。みんな、変化が嫌いなんだ。単調な生活。
それは僕の最も憎むべきものだ。世の中では、変わったやつは嫌がられるけど、
僕は喜んでなんがん低気圧を迎える。変化がないのって退屈でしょ。
僕の心は浮かれていた。普段と違うことが起こると、僕はいつだって楽しくなる。
台風が来たときもそうだった。外に出て、台風の風や雨や雷なんかを感じて一人胸をときめかせていた。
母さんはあきれたという感じで「家の中に入りなさい」といっていたが、僕はしばらく外にいた。
びしょ濡れになってから、家に入ると母さんはため息をついていたことを覚えている。
明かりを消す。窓におでこを当てて外を見る。
窓ガラスの冷たさが頭に伝わる。真っ暗な空から、ひらひらと真っ白な雪が降りてくる。
僕は、雪を見ながら思った。雪は降っているんじゃなくて、降りてきているんだって。
僕らのために幸せを運んできているんだって。
雪が降るのを見るのは初めてではないけれど、こうやって見るのは初めてだった。
僕は信仰心なんてものとは無縁だけれど、真っ白な雪は、僕にはとても神聖なものに見えた。
それほどに、雪は綺麗だった。地面にふれるとあっという間に溶けてしまうはかなさ。
溶けた雪は、次に降りてくる仲間のために、地面を冷やしているに違いない。ひとつの存在は次へと繋がる。
それは僕に生命の神秘を想起させる。
何度も繋がっていく輪廻。業からは逃れられない人々は、どうにか逃げ道を探す。
これって、ヒンドゥー教的世界観?それとも、アッラーだっけ?
ガシャ、玄関の開く音がする。ビニール袋がすれる音、今日の夕飯に違いない。
足音が近づく、母さんが電気をつける。蛍光灯が少し点滅してから、部屋を明るく照らした。
「ただいま、こんなに部屋の中を暗くして、いないかと思ったじゃない。」
「おかえり、雪を見てたんだ。まだ、つもってない?」僕は窓の外を見ながら言う。
「まだ、大丈夫よ。でも、けっこう降っているから、朝までにはつもるかもね。」
つもってほしいと僕は心のそこから思った。
しかしながら、そんな欲求は生理的欲求の前では意味をなさない。
つまり、食欲には勝てない。僕は、たまらず母さんに訊く。
「夕飯はなに?」
「今日は疲れちゃったから、ごめん、外に食べに行こう。」母さんは確かに疲れていそうだった。
僕の母さんは、保育士なんだ。管理職だし、もう年もだいぶいっている。疲れもたまるに違いない。
「パスタが食べたいな。」
「じゃあ、新しく出来たところに行こう。あの側道沿いのやつ」母さんは笑顔で言った。
母さんは働いている。父さんも働いている。つまり、うちの両親は共働きしている。
別に、お金がないからじゃないよ。母さんが働きたいからだって父さんが言っていた。
もっと子供のときは、家に母さんがいないことが、とても嫌だった。でも、今はもう理解しているつもり。
だって、母さんの人生だもの、どんなふうに生きるかはその人の自由だよ。
だから、母さんも僕の進路には口を出さない。好きなようにやれっていってくれる。
父さんは、学校の先生をしている。週末も、部活の顧問をしているから、家にはいないことが多い。
部の顧問については、ほとんどボランティアみたいなものらしいけど。本人はたのしんでいるみたいだった。
僕はというと中学生だ。学校は、何とかうまくやっているつもり。
友達はいくらかいるし、好きな女の子もいる。
勉強も出来ないわけじゃない。
普通の中学生なんていったら、それはあまりにもあいまいな定義なのだけど、残念ながらその言葉が一番しっくり来る。
パスタはおいしかった。僕は大葉風味のベーコンとトマト。
母さんは、エリンギやいろんなきのこたっぷりのスパゲッティーを頼んだ。
僕がきのこが嫌いだってわかってるくせに母さんは、わざわざ、きのこが入ってるやつを頼む。
それで「ユウも食べたいなら、あげるよ。」なんて言う。
確信犯だ。母さんは僕のスパゲッティーを少しずつ摘むのに、僕は食べることが出来ない。
「ユウには、彼女はいないの?」唐突に母さんが聞く。
「べつに・・」僕は答えに困る。僕には確かに好きな女の子がいる。でも、なんていったらいいのか付き合うってことの意味が理解できていない。単なる性欲の捌け口のように感じてしまう。それは、僕が本当の恋をしてないからだって、友達は言うのだけれど。
「どうしたの?もしかして最近ふられたの?そんなことで落ち込んでどうする。世の中の半分は女なのよ。他にもいっぱいいるわよ。」
母さんは、どこまで本気かわからないふうに言う。
母さんの話は、展開があまりに速いから、僕は、時々ついていけなくなる。
それとも一般的に、母親ってのは、こういったものなのかな?
「そういうわけじゃ。」
「じゃあ、いるの?いないの?」好奇心で目が輝いている。
「あんまりしつこいと嫌われるよ。」
「そんなこと言って〜。いったい誰に似たのかしら。つれないわね、本当に。」
ぜったい、僕は母さんに似ていると思うのだけど、母さんは認めようとしない。
おじいちゃんに似たのかな〜、なんていうのだ。悪いところはみんな、人のせいなんだ。困ったものだ。
店を出る頃には、もううっすらと雪がつもり始めていた。
「明日は、雪かきしないといけないかもね。」車で家に向かう。
「でも、明日は休みだから大丈夫だよ。」
「部活はないの?」
「うん、この雪じゃ、みんな集まらないから、練習にはならないよ。父さんは帰ってきてるかな?」
「どうかな。車ある?」
もう、家の近くまで来ていたから駐車場をのぞいて、父さんの車を探す。まだ帰っていなかった。
「雪が降ってるとさ。閉鎖された感じがしない?」僕は、コタツの電源を入れながら言う。
「どういうこと?」母さんはこっちの見ずに言う。
「つまり、外に出て行けないって事。なんだか外も静かだし、他には誰もいなくなっちゃったみたいにかんじない?」
「そうね。テレビつけるよ。」母さんはあいまいにうなずいた。
僕はコタツで横になる。僕の家は、散らかっている。なんでかって?それはうちが共働きだから。
服をたたんだりはしないから、年中洗濯物がかけっぱなしになっている。床にだってゴミが目に付く。
残念ながら、僕には自分で掃除するという考えがひとつもなかった。習慣って恐ろしいものだよ。
いい番組がないから、階段を登って、僕は自分の部屋に行く。
テレビはつけっぱなしにする。母さんは寝てしまっていたけど、
テレビを消すと「見てたのに」なんて文句を言われるから、理不尽だよ、本当に。
僕の部屋には、物が少ない。
飾り付けることが苦手ということもあるけど、小さなものにすら意味を求めてしまう僕の性質が原因だ。
ベッドのほかには、勉強机しかない。壁にはアイドルのグラビアではなく、テストの結果が順にはられている。
友達に、お前はテストで興奮するのか?と言われたことがあるが、そんなことはない。
ベッドに横になり、何も考えないようにする。リラックスする。天井を見つめる。くもの巣が角のところにある。
掃除しないといけない。さすがにくもの巣はまずい。
寒いな。雪のせいだな。こんなにも寒いなんて、思ってもいなかった。
暖房をつけなくちゃ。
布団を取ってこなくちゃ。
そう思っても、だんだん意識が遠くなる。気付くと僕は眠っていた。
僕は授業を受けていた。
席は、窓側の三番目。隣には、ユカが座っている。この席順は、くじで決めたのだけれど、すごく運がよかった。
ユカは、控えめに言っても、とても素敵な女の子だったから。
小学生から一緒にいるのだけれど、なんだか中学に入ってから、
ぐっと美人になったし、疎遠になった。前は名前で呼び合っていたのに、今はお互いを名字で呼び合う。
しかも、さんとか君をつけて。クラスも同じ。部活も同じバスケ部なのに。
よく晴れた日だった。というか、この地方では冬はいつでも晴れているんだけれど。
僕はユカが好きだった。だった?今は違うのかな?自分でもわからない。
あるいは、わかっているけど、認めたくないのかもしれない。
僕は、ユカを見つけた。放課後の教室で、由佳は抱きしめられていた。
誰に?
わからない。
でも、見たんだ。暗い教室の中で確かにユカは、うつろな目で、遠くをみていた。誰かの胸の中で。
わからない。世の中はわからないことばかりだ。
明日の天気だってわからないのに、どうして人のことを、すべて知っているなんて錯覚したのだろうか。
自分のことすらわからないのに。
白い天井。角のところに、くもの巣がはっている。
電気をつけたままだったらしい。冷や汗をかいていた。僕は時計を見る。二時間しかたっていなかった。
部屋を出る。階段を下りる。居間の扉を開ける。
「父さん、帰ってきていたの?」僕は、目をこすりながら父さんのほうを見る。
「さっき帰ってきたばかりなんだ。今日は、大雪だろ。だから、学校の見回りとかで少し遅れたんだ。」
父さんは、二本目のビールを開けて、口をつける。
「明日、何かあるの?」学校は休みのはずだけど。
「休みっていったって、人が入らないわけじゃないだろ。だから、危険なところをあらかじめ見ておくんだ。」
「そうなんだ。」面白みがない答え。
「母さんは、もう寝たの?」
「風呂。」
「そう。あんまり飲むと母さんが不機嫌になるから、そんなに飲みすぎないでね。」思い出したように言う。
「このために仕事をしているんだ。酒が飲めないなら、仕事なんてやめるぞ。」
いい大人がなにを言うのか。僕の家族は、みなどこかずれている。父さんは、もう3本目に取り掛かっていた。
父さんの酒量は、馬鹿みたいに多い。ビールは大瓶で三本。その次に日本酒、しめにウィスキーというありさま。
これが毎日続く、体重が増えて困っているなどと、しらふの父さんは言うけど、酒をやめれば簡単にやせるに違いない。
少し前の話だけど、うちの親が大喧嘩したときがあった。原因は、もちろん父さんの酒について。
人間ドッグにいって悪いところが見つかったにもかかわらず、父さんは何も言わないでいつもどおりに酒を飲んでいた。
それで、診断結果を見た母さんが、泣きながら父さんに抗議したわけ。なんだかんだいって、やっぱ夫婦なんだね。
いまいち、この喧嘩がどうやって収まったのかはわからない。僕は途中で自分の部屋に避難したから。
だって、うちの家族は個人主義って感じだったから、酒飲んで死にたいのなら、そのまま死なせてやれって、僕は思う。
酷いって思わないでほしい。だってこれがうちの教育方針だったはずなんだから。
でも、正しいことがいつも世の中をうまくまわすとは限らないわけで、母さんの主張は通ったみたい。
しばらく、父さんの酒量は、少なくなった。まぁ、しばらくだけだったけどね。
母さんが、風呂から上がってきた。バスタオルをからだに巻いた姿でいすに座った。
「そんな格好でいると、風邪ひくよ。」僕は言う。
「あれ、起きてたの。さっき携帯が鳴ってたわよ。呼んでも起きないから、ほうっておいたよ。」
母さんは、その格好のままお茶を入れて飲み始めた。
電話?
こんな時間に誰から?
僕は充電器から携帯を取り外して、履歴を見る。ディスプレイには、ユカの名前があった。
なんで?
今までユカが電話してくることなんてなかった。不思議なこともあるものだ。
僕は宇宙人が地球に、侵略してくることのほうが、よっぽど起こりうるのではないかと思った。
でも、わからない。しかも、履歴はユカの名前でいっぱいだった。仕方がない。僕はすぐさま電話をかける。
プルルルルル。プルルルルル。呼び出し音が響く。6回目で繋がる。
「あっ。秋山君。あのねっ」ユカの声がする。
内心では、相当に動揺しているけどそれを声に出さないように、注意する。
「何のよう?」出来るだけぶっきらぼうに答える。
「ずっと、話したいことがあって・・・。」むこうも少し困ってる感じがする。
「だから何?」心臓の音が聞こえる。
「本当のことだよ、これ。秋山君のことがずっと好きだった。」
「?」はて。今日の夕飯は、パスタだったけど。
「突然こんなこと言われても困るよね。ごめん。」今日は雪が降ってて寒いね。
「え〜と」頭の中が、真っ白だ。思考できない。
「返事だけでも聞かせてくれないかな?」そうだ、あの犯人は捕まったって言ってたよ。
「・・・・」そうか、犯人は同級生の少年だったわけか。
「・・・・」うん、ありうる。
「いいよ。」世界は二匹の象が、支えているんだよ。
「えっ?」知らないほうが良いことってけっこう多いよ。
「付き合っても。」海を進んでいくとでっかい滝があるんだ。
「本当に!ありがとう。」あれ、由佳の声に雑音が入ってるけど?
「うん。なんで、突然。」落ちないように気をつけてね。
「ずっとたまってて、どうしても伝えたくなったの。」後ろで話し声?
「そっか。」気にしなくていいか。たまってるなんて、大胆だね。僕も?フフッ。
「また、今度ゆっくり話そうね。」切るの早くないか?
でも、通話代でも気にしてくれたんだろうか?あるいは?
「うん、おやすみ。」
電話を切る。はて、どうしたものか。明日は休みだし、会いに行くのか?まぁ近所だけど。
前作は、改行がなくて読みにくいとご指摘を受けたので、
少しばかり努力したつもりです。
結末は感動系にするつもりではいますが、
どういう方向にするかは思案中です。
感想をいただけたらうれしいです。