第4話 灰色の空の下で
空の色は、冬の終わり特有の鉛色をしていた。
雪はすでに溶け始めていたが、空気にはまだ刺すような寒さが残っている。
エルナは馬車の荷台に押し込まれ、縄で手足を縛られていた。木の板の角が肌に食い込み、身体を揺らすたびに痛みが走る。
だが、それ以上に胸の奥を締めつけるものがあった。
恐怖。
そして――悔しさ。
乾いた土と鉄の匂いが漂う道を進み、馬車はやがて石造りの砦へと辿り着いた。
壁は灰色の石で積まれ、兵士たちが無表情に槍を構え立っている。
「降ろせ」
鋭い声が響き、兵士に腕を掴まれた。乱暴に引きずり下ろされ、雪と泥が混ざる地面に膝をつく。
前に立ったのは、装飾過多なマントを肩に掛けた男だった。
浅黒い彫りの深い顔。
自惚れた笑み。
――最後に見た村の光景が脳裏をよぎる。剣に倒れた村の人たち、殴られ倒れたヴランツ、泣き叫ぶ子供達。
「品評だ」
男――デューク・ヴァイグルと名乗った騎士は、エルナの顎を乱暴に掴み上げた。
その手は冷たく、粗かった。
「金髪。白い肌。耳の形もいい。……ふむ」
その声には生命を値踏みする商人のような色があった。
「顔立ちも悪くない。いや――見事だ。」
エルナは無言で睨み返した。
誇りだけは奪われまいと、唇を噛みしめたまま。
「その目だ。エルフ特有の反抗心。なぜ下等生物はこのように身の程がわきまえられぬのか。……気に入らんな」
男の手が振り上がり、頬に衝撃が走った。
頭が揺れ、視界が一度白く染まる。地面にうつ伏せに倒れながら、エルナは小さく息を吐いた。
「地下牢に入れておけ。壊すなよ。価値が落ちる」
最後に耳へ落ちる声は、冷たく淡々としていた。
砦の地下は、湿った石壁が続く細い通路だった。
苔の匂いと、錆びた鉄の匂い。
牢に投げ込まれ、鎖が手足に嵌められる。
鍵がかけられ、鉄扉が閉まる。
その瞬間、世界が音を失った。
膝を抱え、息を殺す。冷たい石が背中から体温を奪う。
傷ついた体よりも、孤独が心を侵食する。
(……ヴランツ)
村で見た笑顔が、ぼやけた光となって脳裏に滲む。
一緒に食べた粗末なスープ。
森の歩き方を教えたときの笑い声。
子供たちが警戒心を解いた瞬間の、あの柔らかい空気。
――あれは夢だったのだろうか。
震える指先を握りしめる。
(逃げられない。私は、また……)
思考がそこまで到達した瞬間、涙がこぼれた。
ひとつ、そしてふたつ。
石床に落ち、乾かぬまま冷たく吸い込まれていく。
その頃、村ではヴランツが家の前で立っていた。
額には血の染みる包帯が巻かれ、拳は震えていた。
「……俺は、許さない」
その声は噛み殺した叫びのようだった。
周囲を囲む村人たちの視線が、沈痛な空気を深める。
そこへ、ラヴェリア再興派の例の三人――レルゲン、ヒューズ、マークがやってくる。
「ヴランツ様……斥候と内通者からの情報ではこの村を襲った部隊は近くの砦に入ったとのこと。さらに、ルシタニアとの戦いのため、砦の半数の兵はまもなく出撃するそうです! 我らは――」
「待て」
ヴランツは静かに手を上げた。
「俺は今まで、ただ生きられればいいと思っていた。国が滅ぼされても、名を奪われても、それでいいと」
風が吹き、雪解けの匂いが漂う。
「――だが、もうそうは思わない....
奪われたものを取り戻す!エルナを、村人を、そして……」
視線が遠く、灰色の空へ向けられる。
「俺たちの名前を」
三人は深く膝をついた。
「陛下――」
「その呼び方はまだ早い。だが……俺はもう逃げない、戦う! そのためにはお前たちの力が必要だ」
「無論」
レルゲンが短剣を胸前に掲げた。
「我らは先祖より受け継いだ誓約のもと、剣を捧げる」
「狩りは好きだが、今夜は獲物が違うな」
ヒューズは弓を背に笑った。
「俺は……ただ斬る。お前を王に押し上げるために」
マークは静かに剣の柄に触れた。
3人は今までの畏まった話し方ではなく、幼い頃よりの友人として、同志としてヴランツに答える
ヴランツは一同を見返し、一瞬微笑んだ後に叫ぶ
「――作戦会議だ。時間がない」
夜更け、ヴランツの家には地図や木片、石で作られた簡易模型が並べられた。
ヴランツの家に集まったのはレルゲン、ヒューズ、マーク、さらにはヴランツの決意に共感し集まった村人たち、そしてヴランツ自身だ
火を灯したランタンの炎が、その部屋を淡く照らす。
「砦の兵は約百五十。だが、今は北へ向かっている軍に兵を割いている。残っているのは半数ほどだ」
ヒューズが報告し、地図に駒を置く。
「奇襲なら勝てる」
「ただし条件がある」
レルゲンが線を指で示す。
「――速さ。そして混乱だ」
「混乱?」
ヴランツの疑問にマークが答える
「人の軍は規律が命。指揮系統を断てば、兵はただの群れになる」
ヴランツは模型に手を伸ばす。
「なるほど、つまり狙うは火薬庫の爆破ということか。奴らが恐れるのは死より炎だと」
「風向きと距離は俺が見る。……やれるぜ」
ヒューズが唇を吊り上げた。
「突入班は俺とお前だ。ヴランツ」
マークが言った。
「エルナを救うのは――俺がやる」
ヴランツの声は静かだったが、そこには揺るぎない意志があった。
「勝算はある。だが成功するとは限らん」
レルゲンの言葉に、村人たちの顔に不安が浮かぶ。
しかしヴランツはゆっくりと言葉を置いた。
「――成功させるんだ」
その瞬間、場にいた全員の空気が変わった。
恐怖は消えない。だが、それ以上の炎が胸に灯る。
こうして、反撃の準備は始まった




