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第2話 冬の村にて


 目を開けると、灰色の天井がぼんやりと揺れていた。

 見慣れない木の梁、乾いた草の香り。

柔らかくはないが温もりだけは確かにある寝台の上で、私はゆっくりと息を吸った。


 ――ここは……どこ?


 体を起こそうとした瞬間、扉が軋む音がした。

 振り返ると、見覚えのある大柄な男が毛皮の外套を脱ぎながら入ってきた。

 ヴランツ。あの吹雪の夜、私を救った狩人だ。


「起きたのか。よかった」

 彼は手にした籠をテーブルに置き、満足そうに頷いた。

「もう熱はなさそうだな。三日も眠ってたんだぞ」


「……三日……?」


 私は自分の声が弱々しいことに驚いた。

 彼は椅子に腰を下ろし、湯気を立てる木製カップを差し出してくる。


「飲めるか? ハーブの茶だ。体が温まる」


 私は一瞬ためらいながらも受け取り、唇をつけた。

 ほろ苦い香りが喉を通り、胃の底にじんわりと広がる。命を繋ぐ味だった。


「……どうして私を助けたの?」

 ずっと胸に引っかかっていた疑問を、ようやく口にした。

 人間がエルフを助けるなど聞いたことがない。むしろ、私たちは忌避される存在だ。


「前にも言っただろ」

 ヴランツは小さく笑った。

「あんな冷たい雪の上に倒れてたら、人間でもエルフでも死んじまう。見捨てられるかよ」


「……理由は、それだけ?」


「それで十分だろう?」


 私は言葉を失った。

 彼の言葉はあまりにもまっすぐで、疑いようがなかった。

 なのに、この男を信じていいものか、私は迷ってしまう。

 これまで人間に踏みにじられてきた記憶が、簡単には消えないから。


 私は周囲を見回した。

「ここは……あなたの家?」


「ああ。ここはお前が倒れていたリーシェ山のふもとの村だ。大きな村じゃないが、住めば悪くない」

 彼は雪の積もった窓を指さした。

「冬の間はこの吹雪と深い積雪で道が埋もれてしまうから外から人間がくることはない。

....お前、その格好に腕の焼印、奴隷だろ?

奴隷商から逃げてきたとこって感じか?

安心しろ、冬の間は追っ手が来ることはない」


そう言うと彼はにっこりと笑った


 少しだけ、胸の奥が温かくなった。


 この男は、世界の残酷さとは無縁のように見えた。


「……あなたは、何者なの?」

 そう尋ねると、彼は照れくさそうに首を掻いた。


「別にたいしたやつじゃないさ。ただの狩人だよ。

 それ以上でも以下でもない」


 その謙虚さは、人へ不信しか持っていなかった私には不思議だった。


 彼は立ち上がり、外套を手に取った。


「しばらくはここで休めばいい。動けるようになったら、外を歩いてみるといい。……俺は狩りに行く。」


 そう言って出ていった扉を、私はしばらく無言で見つめていた。


* * *


 数日後、私はようやく家の外へ足を踏み出した。

 ヴランツの村――それは小さく、そして貧しかった。

 木造の家はどれも古く、壁には裂け目があり、屋根は粗末な藁葺き。道は泥と雪で混ざり合い、家畜の小屋から漂う匂いは、風にのって村じゅうに広がっていた。


 私が歩いていると、村人たちは皆、不安そうな視線を向けた。

 まるで、病を運ぶ怪物を見るように。


「おい、あれ……エルフじゃねえか」

「なんで村に……誰が連れてきたんだ?」


 ひそひそと交わされる低い声。

 私を見た子どもが近寄ろうとすると、親が慌てて腕をつかんで引き戻した。


「だめよ! あんなのに近づいちゃ」


 胸が痛んだ。

 だが、それは私がこれまで何度も感じてきた痛みだった。

 ただ、ここでも同じだというだけのこと。


 ――けれど、一つだけ違うものがあった。


「よお もう歩けるようになったのか!」


 背後から聞き慣れた声がして振り返ると、狩りを終えたヴランツが立っていた。


「村の奴らが何を言おうと、気にするな。お前は奴隷でも化け物でもない。1人の女の子だろ?堂々としていればいいんだよ」


 その言葉に、私は初めてほんの少しだけ救われた気がした。

 だから、彼になら言ってもいいと思えた。


「……エルナ」


ヴランツは聞き返す

「ん? 何か言ったか?」


「私の....名前」

 私は胸に手を当てて続けた。

「エルナ。エルナ・シュ・メルテーゼ。それが……私の本当の名前」


 彼は目を丸くして、ゆっくりと頷いた。

「エルナか、いい名前だな。森を渡る風みたいだ」


 そう言う時の彼の目には、種族の壁など存在しなかった。


* * *


 回復すると、私は村の仕事を手伝うようになった。

 村人たちは最初、私が近づくと露骨に距離をとった。

 だが、しばらくすると状況が変わり始めた。


 狩のために森へ入ったときのことだ。

 ヴランツに同行し、私は弓を手に取った。

 狩人たちは最初、私を見て鼻で笑った。


「エルフとはいえ、そんな細腕で獲物が落とせるかよ」


 私は返事をせず、森の風を感じながら静かに矢を番えた。

 たとえ奴隷となり、長く森から離れていたとしても、弓を触っていなかったとしても、森で過ごした日々に身につけた感覚は、全く衰えていなかった


 草の揺れ、匂い、獣の息遣い――森はすべて教えてくれる。


 矢が放たれ、音もなく獲物は雪の上に崩れた。

 一頭ではない。二頭、三頭。


 村人たちが束になっても得られなかった量の獲物が、半日で積み上がった。


「おい……嘘だろ……」

「こんなに獲れるなんて……」


 村人は私のことを笑わなくなった。


 さらに私は、森の薬草の見分け方、獣道の読み方、季節ごとの木々の使い方――失われかけていた知識を教えた。

 彼らは少しずつ私に心を開き、やがて誰ひとりとして私を避けなくなった。


 村の子どもたちが笑顔で駆け寄り、

「エルナ姉ちゃん、また森のこと教えて!」

とせがむほどに。


 村の空気が変わっていくのを、私は肌で感じた。

私の人間への考え方も変わり始めた。


* * *

 暖炉のそばで、夕食を囲みながらヴランツがぽつりと言った。


「エルナ、お前が来てから村は助かってる。あんなに獲物が獲れた冬は初めてだ」


「私がしたことなんて……少しのことよ」

 私は首を振った。


「少しじゃないさ。村の連中が笑ってる。お前が来る前は、冬が越せるかどうか皆怯えてた」


 彼の言葉に、胸の奥で何かが温かく灯った。

 私は誰かの役に立っている。

 ただ生き延びるために逃げ続けていた私が、誰かに必要とされている。


 その事実が、何より嬉しかった。


「……ありがとう、ヴランツ」

 そう呟くと、彼は少し驚いたように目を細めた。


「礼を言うのは俺のほうだ。エルナ、お前が村にいてくれてよかった」


 その夜、外ではまだ雪が舞っていた。

 だが、私の心には確かに春の兆しがあった。


 この村でなら、生きていける。

こんな生活がずっと続けばいいのに。

 そう思った。


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