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第1話 邂逅


 風が、頬を切り裂くように痛かった。


 私は雪を踏みしめながら、ただ前だけを見て走っていた。

足はとうに感覚を失っていたが、止まれば追手に捕らえられ、再び鎖につながれることだけは分かっていた。

あの暗く、湿った奴隷小屋へ戻るくらいなら、凍え死ぬほうがましだ。



 かつて、エルフは森を統べる誇り高い種族だった。

 人類、ドワーフ、オーク、エルフ

――世界に生まれた四つの種族はそれぞれに国を築き、互いに競い、時に手を取りあって生きていた。

だが、それは遠い昔の話である。


今から400年前に起きた全ての種族を巻き込んだ戦争の果てに、エルフの森は焼かれ、ドワーフの砦は破られ、オークの平原は占領された。


その後に残ったのは、人類の築いた巨大な王国だけ。


人類は他種族の国を全て滅ぼすと同族同士で醜い争いを始め、複数の国に分裂した。


そして、人類以外の私たち少数種族は、敗者として従属を強いられ、街角で嘲笑され、時に売買される身となった。


 私は名を奪われた。エルフとしての誇りも。

 けれど、心の奥底に燃えるものまでは奪えなかった。

 ――自由になりたい。

 その願いだけが、今の私を生かしていた。


 走り続けて何時間が過ぎただろう。

 夕刻、山を覆う雲は鈍い紫に染まり、吹雪が強くなりはじめた。


ついに力尽きた私は、雪原に崩れ落ちた。

体は震え、呼吸は白い霧に変わりながら薄れていく。

 倒れたまま、私はぼんやりと空を見上げた。


 ――ああ、これで終わるのだろうか。


 そう思ったとき。


「……おい、聞こえるか?」


 低く、どこか柔らかな声が耳に触れた。

 寒さで霞む視界に、毛皮の外套をまとった大きな影が近づいてくる。


 人間――それも狩人だ。


 私は身を強張らせた。逃げたいのに、もう体は動かない。


「お前……エルフか?」


 男はひざまずき、私の顔を確かめるように覗き込んだ。

 敵意や嘲りはなかった。むしろ驚きと、ほんの少しの哀れみが混じっていた。


「こんな山奥で倒れてたら、死んじまうぞ。

……その焼印......お前、奴隷だろ? 逃げてきたのか?

大丈夫だ、俺は追手じゃない」


 私は信じてはいけないと思った。


 だが、男は背負っていた大きな獣革を広げ、ためらいなく私を包み込んだ。

温もりが、凍えた体にゆっくりと染み込んでくる。


 呼吸が少しだけ楽になった。

 私はかすれた声で絞り出す。


「……どうして、助けるの……? 私は……エルフ……」


「だからどうした?」


 男は呆れたように笑った。


「種族がなんだ。人でもエルフでも、死にかけてる奴を放っておけるかよ」


その言葉は、私の胸の奥で凍っていた何かを溶かした。

 久しく聞いていなかった私に向けた優しい言葉。


 誰も、私を一人の“誰か”として扱わなかった世界で、初めて投げかけられた言葉だった。


「俺の名はヴランツだ。山の小さな村で狩りをして暮らしてる。……お前の名前は?」


 私は唇を震わせた。

 名は奪われ、呼ばれることも許されなかった。


 けれど確かに、遠い昔に母が与えてくれた名前があった。

 しかしその音を口に出す勇気は、まだ戻ってこない。


「……わからないのか? まあ、いいさ」


 ヴランツと名乗った男は、私を背負い上げながら息をついた。


「まずは生き延びろ。話はそれからだ」


 視界が再び暗くなる中、私は背中に感じる確かな暖かさに、もう抗うことができなかった。


 その夜、私は生まれて初めて、人間に救われた。


 そして知らなかった。



 この狩人こそが、後に諸種族を束ね、のちに「神聖ラヴェリア帝国」と呼ばれる大国の礎を築く人物―


―ヴランツ大帝となる男であることを。


 これは、長命種であるエルフの私が見てきたラヴェリア帝国、興亡の物語である。

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