第四十話 募る虚しさ
目を凝らして見ると、柴崎の目には涙が溢れていた。
俺はかなり驚き、眉根を寄せた。
柴崎は滂沱の涙を流しながら、よろよろと一歩、また一歩と前に歩を進めながら叫ぶ。
「お前に若頭の何がわかるってんだ!若頭はな……若頭はお嬢さんと……」
と、そこで千弦が口角泡を飛ばし、ドスの効いた声で怒鳴った。
「やめろ柴崎!それ以上は言わなくていい!」
だが柴崎は被りを振り、怯むことなく続けた。
「若頭はな、お嬢さんと恋仲だったんだ!」
夜の砂浜に、静寂が戻った。聞こえてくるのは、寄せては返す波の音だけ。
千弦はうつむき、その砂浜に打ち寄せる波打ち際をじっと見つめていた。
俺はといえば、あまりのことで言葉に窮していた。
恋仲ときたか。それなら多少の付き合いどころの騒ぎじゃないな。
「悪かったな。知らなかったんだ」
俺はようやくそれだけ言った。
千弦はまだ波打ち際を見つめている。
「いや、知らなくて当然だ」
「来栖に対しては、恨み骨髄か?」
千弦は何故か即答せず、しばらく考え込んだ。
「……そう、だな。恨みはある。もちろんぶち殺したい気持ちは充分にあるさ」
俺は千弦の回答に、引っかかるものを感じた。
「そんなには恨んでないのか?」
「そういうわけじゃない。ただ、何をしても彼女は戻ってこない。そういうことだ」
来栖を殺したところでってところか。どんなに来栖をいたぶろうが、地獄の責め苦を負わせようが、心の隙間は決して埋まらない。かといって、来栖がのうのうと生きているのは赦せない。そんなところだろう。
きっと、虚しさが募っているのだろう。何をしたところで、時間とともに喪失感は、いや増していく。おそらく何処かでそれは逆転し、いずれ減っていくことにはなるのだろうが、それはまだだいぶ先のことになる。今はまだ、虚しさが腹の底から湧き上がり、日々募っていく時期なのだろう。
「俺のせいなんだ!」
柴崎が叫んだ。
それを千弦が制しようとする。
「もういい柴崎!」
「いいや、若頭言わせてくれ!お嬢さんが殺されたのは、俺が来栖をぶちのめしたからなんだ!」
柴崎が来栖をぶちのめした?いつ?どのタイミングで?
俺には話の展開が読めなかった。だから率直に聞き返した。
「どういうこと?」
柴崎は悔恨の表情で語り始めた。
「お嬢さんはバイトをしていた。それは知っているか?」
「ああ、聞いている。そこで来栖と出会ったんだろう?」
「そうだ。お嬢さんは優しい方だった。だから、そのバイト先で孤立していた変わり者の来栖にも優しく接したんだ。するとそれ以来、来栖は何かとお嬢さんに話しかけるようになった」
ようやく少し話が見えてきた。
「なるほどな。つまり来栖は、春夏冬葉子に恋心を抱いたってわけだ」
「だろうな。だが当然お嬢さんの意中には若頭がいる。そんな気は毛頭なかった。ただ他の人にするのと同様に、来栖にも優しく話しかけただけだったんだ。それをあの野郎、冴えない中年のくせに勘違いしやがって、お嬢さんにしつこく付きまとうようになりやがった!」
「それで、何で恋人でもないお前が来栖をぶちのめしたんだ?」
「街で偶然お嬢さんに付きまとう来栖を見かけたんだ。俺はお嬢さんが困っているのを見て、奴を追い払った。そのとき聞いたんだ」
「付きまとわれて困っているってか」
「お嬢さんは、そうはっきりとは言わなかった。言葉を濁していた。だが俺にはわかった。だから」
「来栖を追いかけていってぶちのめしたのか」
「そうだ!俺は許せなかった!お嬢さんは本当に優しい方だった。俺たちにもいつも優しく接してくれていた。それをあの野郎、勘違いしやがって……」
「それを来栖は逆恨みしたってことか」
「それ以外に考えられねえ。あの野郎、恨んだんなら俺に来ればいい!なのに、あいつはお嬢さんに……許せねえ!俺は絶対に来栖の野郎を許せねえ!」
「なるほどな。ようやく事のあらましを理解できたような気がするぜ」
柴崎はそこで勢いよく砂浜に膝をつき、両手もめり込ませて頭を下げた。
「だから来栖の身柄を俺たちに譲ってくれ!頼む!この通りだ!」
柴崎の額は砂浜にぐいっとめり込んでいた。その気持ちのほどが、痛いほどにうかがえた。
だが――




