第三十八話 取引
完全に千弦は、ソルスが死神であることを信じたようだ。つまりそれは俺のことも異世界人だと信じたってことだ。ならもう死神の姿に用はない。
「おい、人間の姿に戻れ」
俺がそう命じるも、ソルスは嫌そうな顔をする。
「疲れる」
「嘘つけ。お前、今日一日ずっと人間の姿のままでいられたじゃねえかよ」
「それで疲れた。疲れ切った。もう戻りたくない」
「いいから戻れよ。他の組員たちが起き出したら説明が面倒だ。早くしろ」
ソルスは不承不承といった様子で踵を返し、再び人間の姿に戻った。
「凄いものだな。一瞬で元通りか」
千弦はそう言って、血に染まったハンカチを胸ポケットに戻そうとしたところで、ギョッとした顔となった。
「血が……消えている」
千弦が見つめるハンカチには、先ほど拭いて付着したはずのソルスの血の跡がなかった。
ソルスは屈託なく答える。
「ああ、そうなんだ。俺も何故かはわからないが、しばらく経つと消えるんだよ」
俺も何故かは知らない。だがいつも、しばらく経ったら滴り落ちる血は消えていった。
あの血は、一体なんだろうか。
そこで千弦が、決意のこもった眼差しを俺たちに向けた。
「取引をしたい」
「なに?取引?」
「そうだ。取引がしたい」
「どんな……ああ、そういうことか」
俺は言っている途中でピンときた。だからそれを言った。
「来栖を引き取りたいってことだな」
千弦は重々しくうなずいた。
「お前たちが何者であるかは、正直どうでもいい。重要なのは、俺ではお前たちに到底敵わないということだ」
「正しい判断だ」
「ならば、取引をすればいい。お前たちが来栖を警察に引き渡そうとするのは、懸賞金欲しさだろう?」
「その通りだ」
「確か八百万だったな?」
俺は無言でうなずいた。
千弦もうなずき、言った。
「一千万だそう。それで来栖を俺たちに引き渡してくれ」
俺は片方の眉尻をピンと跳ね上げた。
「マジで?一千万?」
「なんなら二千万でもいい」
な!なんだと!?……こいつ、初めから懸賞金より多い金額を提示したかと思えば、すぐさまその倍を提示しやがった。なんて奴だ。なんていう駆け引き上手だ。この提案は……痺れるぜ……俺の心の大事な部分をギュッと掴まれちまったような感覚だ。くっ!やりやがる。こいつやる奴だぜ!だが――
俺は心の内を悟られぬよう、表情を引き締めた。
「二千万か。なかなかの金額だな」
「二十万で喜ぶなら、二千万は大喜びだろう。それで手を打て」
あ、そうだった。今朝のことを忘れていた。俺、今朝がたこいつから二十三万円もらって喜んじゃってる。いや、待てよ。俺、その時本当に喜んだ顔見せたっけ。いやあ、どうだったかなあ。正直覚えてない。
「確かにもの凄く喜んでいたな」
ソルスが横から余計なことを言った。
俺は横目でソルスをねめつける。
だがソルスはまったく気にしない。
俺は握り拳を自らの口に当て、コホンとひとつ咳ばらいをした。
「まあなんだな。確かに二千万は大金だし、もらえるなら大喜びだ」
俺はもうごまかしがきかないと悟り、正直に言った。
千弦はにやりと口の端を上げた。
「今は現金を持っていない。だが必ず渡すことを約束する。それでいいな?」
俺は天を見上げ、雲間に浮かぶ月を見上げながら少し考えた。
う~ん、確かに悪い話じゃない。八百万円が二千万円になるわけだから、二倍以上の儲けだ。
だが、ひとつ気になることがある。
俺はそれを千弦にぶつけてみた。
「ちなみに、来栖を引き取ってどうするつもりだ?」
「決まっている。本宅へ連れ帰る」
「連れ帰ってどうする」
「組長の前に引き出すさ」
「あの娘の父親か」
「そうだ。組長はあれ以来、ふざいじまってな。それはもう見ていられないくらいなんだ。だから、俺たちはなんとしても奴を、来栖を組長の前に連れて行かなきゃならねえんだ」
春夏冬葉子の父親――つまりは被害者遺族か。先ほど一人娘だったと聞いた。ならばなおさら辛かろう。ふさぎ込むのも当然だ。だが――
「その後はどうする?」
「その後とは?」
「組長さんに会わせた後だよ。組員総出で来栖を殺すのか?」
俺の問いに、千弦が全身に殺気を漲らせた。
こいつはなかなかの殺気だ。異世界で幾千もの修羅場をくぐった俺じゃなきゃ、ビビっちまうね。
「どうなんだ?」
俺が再度の問いかけをすると、千弦はくいっと顎を上げ、鋭く目を細めて冷酷な表情を面に現して言った。
「当然そうなるだろう。組にいる奴らはみんな、彼女を大事に思っていた。それを」
千弦はぎろっと視線をめぐらし、俺たちの背後の小屋に送った。
「あの野郎は、奪いやがった!八つ裂きにしたって飽きたらねえ!指を一本ずつ斬り落とし、じっくりと痛みを味合わせ、いたぶっていたぶっていたぶり抜いて!たっぷりと死の恐怖を奴に味合わせてから、殺してやるさ!」




