第三十五話 禁忌
「というわけだから、二人で行くぞ」
「いいだろう。久しぶりに楽しめそうだ」
ソルスの口の端が、異様に上へとひん曲がった。
俺はそれを、横目で見てため息を吐いた。
「おい、言っておくが殺すなよ」
ソルスの眉尻が大きく跳ね上がった。そして切れ長な目で俺を睨みつける。
「ダメなのか?」
「ダメだ」
「つまらん。では殴るのもダメか?」
「それはいい。俺も殴るし」
「蹴るのはどうだ?」
「俺も蹴るから、お前も好きにしろ。ていうか、基本殺さなければなにしたっていいよ」
再びソルスの口の端がにまーっと異様に上がった。
「あ、今のなし。訂正する。あんまりひどい怪我はさせるな」
ソルスが片方の眉尻をクイッと跳ね上げた。
「ずいぶんと曖昧な表現だな。具体的に言ってくれ」
「全治三か月以内」
「わかった。それなら俺なりに楽しめそうだ」
納得してくれてよかったよ。だがこれで、一応この場に死人は出ないことになった。
こいつは死神といっても、死にそうな人間をあの世から迎えに来るような従来よくあるイメージの死神とは違う。隙あらば、誰でも彼でも殺そうとする厄介な奴だ。もっとも俺と或る契約を結んでいるため、実際には好き勝手出来ない。というか俺がさせていないわけだが。
「おい貴様ら!いつまでべらべらとくっちゃべってんだ!調子に乗ってんじゃねえぞ!おうコラ!」
柴崎が自動小銃を俺たちに見せびらかすように右手で持ち上げ、あらん限りの大音声で威嚇してきた。
俺は軽く鼻を鳴らした。
「お前こそ、自動小銃ぶら下げただけで何を調子こいてんだ?」
「何だとコラ!」
「コラコラうるっっせんだよこのタコ助!」
すると俺の言葉通り、柴崎の綺麗に禿げあがった頭が、タコのように真っ赤に染まり始めた。
それを見た周囲のヤクザたちが、なにやら慌てふためいている。
どうやら俺は禁忌に触れたようだ。
柴崎は虚ろな目をしてうわ言のようにぶつぶつと呟きだし、よろよろと一歩、また一歩と前に足を踏み出してきた。
「ぶっ殺す……ぶっ殺す……てめえは絶対ぶっ殺す……」
物騒な物言いだねえ。タコ呼ばわりは、やはり禁忌だったらしい。かなり怒り心頭だな。ハゲだけに。
だが続いて俺の地獄耳に飛び込んできた言葉は、さらに輪をかけたひどいものだった。
「息の根止めるだけじゃねえ……五体みじん切りにして海に投げ込んでやる……てめえなんかサメの餌になりゃいいんだ……内臓も脳みそも丸ごとぐっちゃぐっちゃに喰われちまえよこの野郎……」
おお、おお、殺意が半端ねえな。でもまだなんか物足りねえ。せっかくだからもっと怒らせてみるか。面白いし。
「おい、ハゲいじりして悪かったな。そんなつもりはなかったんだけどな。次からはハゲいじりはせずに、お前のその不細工な顔の方をいじることにするよ」
虚ろだった柴崎の目が血走った。
そして右手に掲げた自動小銃の銃口を一直線に俺に向け、地響きのような咆哮を上げた。
「ぶっ殺す!」
柴崎が言い終える前に、銃口から火花が散った。
瞬間、回避行動に入る。
火花散る銃口の中から、金色の銃弾が――
速い!間に合うか!
チュンというすずめの鳴き声のような甲高い音が、俺の耳元をかすめて過ぎ去っていく。
チュンチュンチュン。立て続けになる金属の風切り音。
それを俺は全速力で駆け抜け、躱していく。
「うおおおおおお!」
柴崎が咆哮を上げながら、銃弾を発射した反動で暴れまくる銃口を押さえつけるようにして、俺に対して向けてくる。
だが俺はポケットに右手を突っ込みつつ、右方向に走りながら自動小銃の次から次へと襲い来る凄まじい銃弾の数々を躱し続けた。
途中ちらりとソルスの方を見ると、ニヤリと口の端が上がっていた。
あの野郎、笑っていやがる。
「おい!笑って見てねえでお前も働け!」
俺の言葉に動いたのは、ソルスではなくヤクザたちだった。
それまで柴崎の怒りに気圧されていたヤクザたちが、我に返ってソルスに銃口を向けた。
次いでいくつもの銃口が一斉に火を噴く。
だが――
銃弾が発射された時には、ソルスの姿はそこになかった。
空を切って乾いた砂浜に撃ち込まれる無数の銃弾。
標的を見失って慌てるヤクザたち。
あっちは大丈夫だな。
じゃあ、そろそろあのハゲと決着をつけるか。
俺は方針を定めると、即座に方向転換した。
風を切り、一直線に柴崎に向かって突き進む。
「上等だコラ!」
柴崎はそれまでの自動小銃を小脇に抱えながら撃つスタイルから、照準器を覗き込むスタイルへと変えた。
そして慎重に俺に狙いを定め、引き金を引き絞る。
「死ねやコラ!」
悪いが、すでに見切ってんだよ。
俺はわずかに進路を変えることで金色の雨を躱すと、ポケットに突っ込んでいた手を引き抜いた。
掌の中には、鈍く輝く一枚の百円玉があった。俺はそれに自らの念を込める。
俺の中のどす黒い何かが、全身の毛穴という毛穴から沸き立ってくる。
傍から見れば今俺は、黒く噴き上がる炎に全身が覆われているように見えるだろう。
それを意志の力で抑えつけるようにして一点に集めて、百円玉に纏わせる。
百円玉に、どす黒く凝縮された炎が纏わりついて、上へ向かって噴き上がっている。
俺はその黒い炎の塊となった百円玉を、親指の爪の上に置いた。
そして狙いを定めて、力強く親指で弾き飛ばした。
百円玉は黒い炎の尾を引いて一直線に突き進み、柴崎の鼻の頭にヒットした。
だが次の瞬間、百円玉にまとわりついていた黒い炎が、爆発的に放射状に広がった。そして柴崎の顔を一瞬のうちに覆い隠した。
百円玉が鼻を直撃した勢いで、柴崎の首が後ろに激しく倒れる。次いでその反動で首が前に倒れ込んだ。
だがその顔は見えない。黒い炎のようなものに、頭ごとすっぽりと覆い隠されているためだ。
柴崎は、自らの顔にまとわりついたものを引き剥がそうと、必死にもがきはじめた。
だがそれは炎のように燃え盛って見え、引き剥がせる類のものには見えなかった。
口をふさがれ呼吸が出来ない柴崎は、苦しそうにくぐもった声でうめく。
次第にその動きが、緩慢なものになっていく。
そしてついには、スローモーションのようにゆっくりと後に向かって倒れ込んだ。
すでに近くまで来ていた俺はその様子を観察するなり、右手の親指と中指をこすり合わせてパチンと音を鳴らした。
途端に柴崎の顔にまとわりついている黒い炎が、俺の右手目がけて飛んでくる。
俺はそれを掌でキャッチすると、柴崎に声をかけた。
「生きてるか?」
柴崎は鼻と口を覆っていた黒い炎がなくなったことに気付き、突如として掃除機のバキュームのように凄い音を立てながら、あたりの空気を必死に吸い込んだ。そして大きく吐き出すなり、また強く吸い込む。それを何度も繰り返すことによって、なんとか命を繋ぎとめた。
「おお!やるじゃねえか。意識があるだけ上等だ」
俺は素直に柴崎を褒めた。
柴崎はようやく呼吸を整えるも、百円玉の打撃によって激しく脳を揺らしていたため、まともに動ける状態ではなかった。立ち上がろうとするも、意識も朦朧としており、とてもではないがそれは叶わなかった。
だがそれでも、口は動くらしい。
「う……るせ……え」
柴崎はそれだけを言うのがやっとだった。




