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滅紫の殲葬送者  作者: 宵興愛華
第1章 王都の靄
7/9

鐘楼に戻された少年の孤独

議事堂を出た少年の足取りは、石畳を踏むたびに沈んでいった。

 昼の陽光は王都を照らしているはずなのに、彼にとっては重く冷たい鉛のようだった。


 兵士たちに囲まれ、鐘楼への坂道を登らされる。民衆は道の両脇に集まり、口々に囁く。

 「鐘を鳴らした子だ……」

 「いや、呪印に取り憑かれた子だ」

 「災いを呼ぶ……」

 その声は小さな石礫となって少年の胸に降り注ぎ、呼吸を乱す。昨夜、命を懸けて守ったはずの人々。その瞳が、今は恐怖に濁り、憎悪を孕んで自分を射抜いていた。


 「やめて……」と心の奥でつぶやく。

 けれど声は口から出なかった。叫んだところで、誰も耳を傾けないことを、もう理解してしまっていたからだ。



 鐘楼の黒い影が視界に迫る。王都の高みを貫くその塔は、かつて「救済の象徴」だった。だが今、少年には巨大な棺桶のように見えた。

 兵士たちは鉄の扉を開き、冷たく告げた。

 「ここがお前の居だ。評議会が鐘を求めるその日まで、ここで待て」


 重い扉が閉ざされる。鉄の閂が落ちる音が、全身を縛りつけた。

 ――閉じ込められた。

 自由ではなく「監視」として。

 救済者ではなく「危険」として。



 塔内の石階段を一歩、また一歩と登る。

 かつては師と共に掃除をし、笑い合いながら上った階段。だが今はただ、冷たい石壁と自分の足音だけが付きまとう。

 その虚しさが、夜の鐘よりも重く響いた。


 最上部に着いたとき、広間の中央に鎮座する大鐘が目に入った。

 紫の災いを退けたはずの鐘は、今も黒紫の裂け目を抱えている。鐘面はまるで傷ついた肉のようにひび割れ、そこから滲み出す闇が広間全体を染めていた。


 鐘の根元には、師オルグの外套が落ちていた。

 昨夜、炎と光に包まれながら消えていったはずの人。

 残された布切れを拾い上げると、思いがけず重さがあった。手に抱いた瞬間、師の温もりの残り香を感じたような錯覚に胸が締め付けられる。


 「師匠……」


 その名を呼ぶと、こらえていた涙が頬を伝った。

 ――なぜ置いていった。

 ――なぜ最後に笑ったんだ。

 叫びは声にならず、外套を胸に押し当てた。



 日が暮れていく。鐘楼の窓から王都の光が見える。人々の灯火が星のように散らばり、昨夜の恐怖を忘れたかのように揺れている。

 だが、その下で自分は「災厄」として囁かれているのだ。


 ふと視線を移すと、石机に数冊の古びた書物が置かれていた。背表紙は擦り切れ、幾度も読み込まれた跡。

 その一冊を開くと、逆祓の禁術について記されていた。


 ――逆祓とは、世界に侵す災いを、二つの魂を合わせて祓う禁術。

 ――一人は鐘を媒介に世界へ響きを放ち、もう一人は命を差し出して術を完遂する。


 レオンの目が揺れた。その横に、細字の走り書きが残されている。


 〈弟子が鐘を鳴らすときが来る。その時、私は代償を担う覚悟をせねばならない〉


 師の筆跡だった。震える指先がその文字をなぞる。

 ――師は、最初から覚悟していた。

 命を捨てることを知っていて、自分に鐘を託した。


 胸が押し潰されそうになり、書物を閉じる。

 「どうして……俺なんだ」

 吐き出した声は広間に虚しく反響する。答える人は、もういない。



 深夜。王都のざわめきが静まり、鐘楼には風の音と自分の呼吸だけが残った。

 広間の中央で、少年は鐘を見上げた。月明かりが差し込み、鐘の裂け目を鈍く照らす。


 「俺は……災厄じゃない」

 声は震えていたが、それでも吐き出さずにはいられなかった。

 「俺を生かしたのは、師の望みだ」

 「鐘を鳴らすのは、俺だ。紫を滅ぼすのは、俺しかいない」


 言葉にするたびに胸が熱を帯びる。

 恐怖は消えない。孤独も消えない。だがその上に、別の何かが芽生えていく。


 「師匠……あなたの誓い、俺が継ぐ」


 右腕の包帯の下で、紫紋が熱を放った。脈打つように鼓動が響き、まるで「それでいい」と告げるかのようだった。


 レオンは月を仰ぐ。夜空にはまだ薄紫の靄が漂っている。だが、確かにそこには白い光もあった。

 孤独の闇に灯る、一点の火種。


 その火は弱々しい。だが、消えはしない。

 少年は再び拳を握りしめ、誓いを胸に刻んだ。


 ――鐘楼の孤独を抱え、鐘を鳴らす者として生き抜く。

 その覚悟が、紫を滅ぼす戦いの始まりとなる。

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