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滅紫の殲葬送者  作者: 宵興愛華
第1章 王都の靄
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王都に差す曙光

夜が明けつつあった。


 紫に覆われていた空は、長い悪夢の終わりをようやく受け入れるかのように、わずかに朱と黄金の色を帯びていた。鐘楼の上から見渡す王都は、焼けた瓦礫と黒煙の残骸で埋め尽くされている。無数の屋根が崩れ、城壁の一部は崩落し、昨日まで賑わっていた市場には火の手が残り、あちこちからまだ燻る煙が立ちのぼっていた。


 少年レオンはその惨状を、言葉もなく見下ろしていた。冷えた石床に膝をつき、息を切らし、ただ黙って立ち尽くす。鐘を鳴らしたあの瞬間から、自分の中の時が止まったままだった。


 右腕に刻まれた紫の紋様は、まだ灼けるように熱い。脈動とともに血管の奥で何かが蠢き、骨までを蝕んでいく感覚があった。だが、呻き声は上げない。唇を固く結び、痛みを飲み込む。――師オルグの最期をこの目で見届けた以上、自分が弱音を吐くことなど許されはしない。


 眼下の広場では、人々が避難所から戻り始めていた。母親は泣きながら子供を抱きしめ、兵士たちは仲間の肩を貸し、誰もが疲弊した身体を引きずりながらも再会を喜び合っていた。その光景は確かに希望に満ちているように見えた。けれどもレオンの胸の奥には、むしろ重苦しい痛みが広がっていく。


 「……生きている」


 自分の唇から零れ落ちた言葉は、確認にも似ていた。師の犠牲により与えられた命。鐘の音が紫禍を退けたのは事実だ。だが同時に、鐘を媒介にして呪いを受け入れたのも自分だった。あの刻印は逃れようのない証。


 鐘楼の階段を降りるたびに、痛みとともに視線を感じた。避難していた人々の目が彼に注がれる。驚きと畏怖、そして感謝と恐れが混ざり合った視線だ。


 「鐘を鳴らしたのは……あの子か」

 「生き残っていたんだ……」

 「だが腕が……」


 囁きは次々に広がり、彼の存在を取り巻く空気を変えていく。ある者は敬虔に頭を垂れ、ある者は道を譲り、またある者は視線を逸らした。彼を「救い」と見る者もいれば、「呪い」と感じる者もいた。


 広場に辿り着くと、崩れた石柱に腰を下ろした老婆が天へ祈りを捧げていた。皺だらけの手を合わせ、涙を流しながら、震える声で「ありがとう」と繰り返している。誰に向けられた感謝なのかは分からない。鐘か、神か、あるいは犠牲となった多くの魂か。だが一つだけ確かに分かった。自分には向けられてはいないのだと。


 その現実が胸を貫いた。――それでいいのかもしれない、とも思う。師の犠牲が人々に希望を残したのなら、それが一番の救いだからだ。


 しかし、その静かな祈りを裂くように怒声が飛んだ。


 「――おい! お前、その腕……呪われてるんじゃないか!」


 振り返った先には、泥と血にまみれた兵士が立っていた。彼の鋭い視線はレオンの右腕に釘付けになっている。紫の紋様は、包帯代わりに巻いた布を貫いて光を放っていた。


 その一言をきっかけに、群衆のざわめきが恐怖へと変わる。


 「呪印を背負った者は災厄を呼ぶ……!」

 「鐘を鳴らしたせいで紫禍が引き込まれたんだ……!」

 「いや、鐘のせいではなく、あの子自身が……」


 次々と突きつけられる疑念。ほんの少し前まで「救世」と仰がれていた視線が、一瞬で「恐怖」の色を帯びていく。レオンは唇を噛み締めたまま、足を止めない。ただ無言で歩き続ける。


 ――これが、師の遺したものなのか。

 この呪印も、痛みも、疑いの眼差しも。すべてを背負う覚悟を自分に託して逝ったのだ。


 東の空に太陽が昇り、黄金の光が街を包み始める。その光は、焼けた屋根や瓦礫の上にも等しく降り注ぎ、長い夜の終わりを告げていた。だがレオンの心には、陽光は届かない。むしろ影が深まっていくように思えた。


 誰もが「夜明けだ」と口にしていたが、彼にとっては始まりにすぎなかった。紫の呪印が刻まれた瞬間から、彼の戦いは終わることなく続いているのだから。


 そしてその光が完全に広場を照らしたとき、鐘楼を降りた少年は、評議会の使者と出会うことになる。彼らの冷たい視線が、レオンの宿命をさらに過酷なものへと変えていくのだった。

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