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滅紫の殲葬送者  作者: 宵興愛華
序章:紫禍の夜
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師の消失と誓い

鐘楼に、静寂が訪れていた。

 紫禍の咆哮も、骸兵の断末魔も、もう一切響いてはいない。

 ただ夜風が高みを渡り、崩れかけた石壁の隙間を抜け、乾いた音を残していくだけだった。


 オルグの姿はなかった。

 灰さえ、骨さえ、衣の切れ端すらも。

 ただ、光の粒となって消え去り、夜空に吸い込まれていったのだ。


 残されたのは、鐘楼にひざまずく一人の少年――レオン。


 彼の喉からは、声にならぬ嗚咽が漏れていた。

 「……師匠……」

 震える指先で鐘の縁に触れる。そこには深い裂け目が刻まれ、冷たい感触が伝わる。

 その亀裂を撫でながら、彼は何度も名を呼んだ。

 「オルグ……っ……オルグゥ……」


 涙はとめどなく溢れ、熱いのに冷たく頬を伝う。

 呼べども応えはない。触れようにも、もうそこには何も残されていない。


 だが――彼の右腕は違った。


 焼け爛れたように痛み、脈動とともに紫黒の紋様が浮き上がっていた。

 血管のように腕を走り、肩、胸へと広がっていく。

 その中心は、鐘の亀裂と同じ形をなしていた。


 「……これが……代償……」

 レオンは苦悶の吐息を漏らした。

 師の命を燃やし尽くした禁術〈逆祓〉の残滓。

 その宿命が、彼の肉体に刻まれたのだ。


 下界から人々のざわめきが聞こえてきた。

 「……助かった……?」

 「紫の靄が消えている……!」

 「鐘楼だ、鐘楼から光が……!」


 恐怖に怯えて逃げ惑っていた民たちが、ようやく街の中央を見上げていた。

 鐘楼の上に立つ少年の影を。


 だが、その歓喜と安堵の声の奥には、別の色も混じっていた。

 「……鐘を鳴らしていたのは誰だ……?」

 「いや……あれは……子供じゃないか……?」

 「紫の紋様……あれは、呪いじゃないのか……?」


 祝福と疑念が入り混じり、人々の視線はひとり鐘楼に立つ少年に注がれた。

 レオンはその視線を痛いほど感じ取っていた。

 師を失った直後の胸の穴を、さらに鋭く抉るかのように。


 「俺は……」

 呟きは夜風に消えた。


 王都評議会の兵が鐘楼へと駆けつけてきたのは、その直後だった。

 甲冑のきしむ音、槍の先が反射する月光。

 兵たちは紫紋の走る少年を見て、一瞬ためらった。


 「……彼が……?」

 「鐘を鳴らし、靄を祓ったのはこの少年らしい」

 「だが、その腕は……呪われているぞ」


 レオンは睨み返すように立ち上がった。

 膝は震えていた。喉は血の味がした。

 それでも退くことはしなかった。


 「俺は……鐘を受け継ぐ。師の命を、無駄にはしない」

 声は掠れ、弱々しかった。

 だがその目の奥に宿る光は、兵たちを黙らせるに十分だった。


 やがて鐘楼を離れ、レオンは夜の王都を歩いた。

 街は瓦礫と血にまみれていた。

 だが空には星が瞬いていた。長い紫禍の闇を割き、初めて夜空を取り戻したのだ。


 すれ違う人々は彼に道を開けた。

 誰もが救いを求める目で見つめながら、しかしどこか怯えたように距離を取った。

 紫紋が、光に浮かび上がっていたからだ。


 レオンは俯き、拳を握りしめた。

 胸の奥で何かが燃えていた。

 孤独。憎悪。悲嘆。

 そして、その全てを超えて、確かな誓いがあった。


 ――師の鐘を継ぐ。

 ――紫禍を滅ぼし、この呪いすらも祓い尽くす。


 その夜、少年はただひとり鐘楼に戻り、崩れかけた鐘の前に座り込んだ。

 冷たい石床に身を沈め、拳を膝に押し当てる。

 目を閉じれば、師の声がまだ耳に残っていた。

 「生きろ。そして――鐘を継げ」


 彼はその言葉を胸に反芻しながら、ゆっくりと立ち上がった。


 夜明けが近づいていた。

 東の空がわずかに朱を帯び、破壊の跡に淡い光が差し込んでいた。

 鐘楼の影は長く、少年の背を覆いながらも、その先に光を導いていた。


 レオンは鐘に手を触れ、呟いた。

 「師匠……俺は必ずやる。俺が“滅紫”となって、この呪いを終わらせる」


 その瞬間、鐘楼に微かな共鳴が響いた。

 それは、師の魂がまだ鐘に宿り、彼を見守っているかのようだった。


 こうして、王都の人々の誰も知らぬところで。

 ひとりの少年が、孤独と呪いを背負いながら立ち上がった。


 やがて彼は、〈滅紫の殲葬送者〉と呼ばれる存在となり、紫禍を葬る者として人々の記憶に刻まれていく。

 だがその名を背負うことが、どれほどの苦しみと犠牲を伴うか――まだこの時のレオンは知らなかった。

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