逆祓の禁術
――鐘が鳴った。
だが、先ほどまでの祓いの響きとは異なっていた。
低く、重く、心臓の奥底にまで突き刺さるような衝撃。
それは音というよりも、魂を直接掴まれて揺さぶられる感覚に近かった。
オルグの身体が鐘の前で淡く光を帯びていた。白銀に近い燐光が皮膚から立ち昇り、刻まれた紋様が浮かび上がる。
「逆祓……始まったのか……」
レオンは呆然と呟いた。
鐘の咆哮は紫の靄を切り裂き、押し返すどころか、その根源を探り当てるかのように空間を震わせていた。
靄が怯える。骸兵たちが喉を裂くような悲鳴を上げ、己の身体を掻きむしりながら崩れ落ちていく。
それはまるで、闇そのものが鐘に引きずり出され、焼かれているかのようだった。
だが代償は残酷に訪れる。
オルグの身体が徐々に透け始めていた。
光の粒となって風に舞い上がり、鐘の音と共鳴して消えていく。
レオンはその光景に息を呑み、足がすくんだ。
「師匠……! やめろ……! やめてくれぇっ!」
叫びは夜空に吸い込まれ、鐘の轟音にかき消される。
オルグは振り返った。
その顔はどこか安らかで、それでいて凛々しかった。
「レオン……。鐘を継ぐ者よ。これはお前のためではない。王都のためでもない……」
言葉を切り、彼は一度深く息を吐いた。
「これは、“未来”のためだ」
その一言は、レオンの胸を焼き尽くすような熱さで刻まれた。
紫の靄が鐘楼を覆いつくそうとしていた。
骸兵たちは次々と砕け、怨嗟の叫びを残して霧散する。だが靄はまだ根を絶たれてはいない。
オルグは両腕を広げ、鐘と一体化するように身を寄せた。
「逆祓――第二段!」
声と同時に鐘が震え、雷鳴のような光が弾ける。
ドォォォォン……!
衝撃が世界を震わせた。
鐘楼の石壁に亀裂が走り、塔全体が揺れる。
街の遠くまで響いたその波動は、人々の心を震わせ、逃げ惑っていた者たちに希望を灯した。
だがレオンにとって、それは絶望の鐘でもあった。
オルグの身体は胸から下がほとんど消えかけていた。
残るのは光の輪郭と、必死に鐘を支えるその腕だけ。
「やめろぉぉぉぉぉッ!!」
レオンは叫び、鐘に飛びつこうとした。
だが見えない力に弾かれた。鐘の結界が彼を拒む。
「近づくな……! これは俺ひとりの役目だ!」
オルグの声は、鐘の共鳴と混じって震えながらも確かだった。
「師匠……俺を置いていくなよ……! 一緒に生きようって……!」
レオンの瞳から涙が溢れた。
彼はまだ十五の少年にすぎない。
世界の理も、宿命も、受け入れられるはずがなかった。
オルグは薄れゆく手を差し伸べた。
鐘の響きに掻き消されそうな声で、それでもはっきりと告げる。
「レオン……生きろ。そして――鐘を継げ」
オルグが優しい笑顔で告げたその瞬間、鐘が最後の咆哮を上げた。
ドォォォォォォォォォンッッッ!!
紫の靄が爆ぜ、王都を覆っていた怨嗟が一斉に悲鳴を上げた。
骸兵は砕け散り、紫の波は根こそぎ焼き払われていく。
夜空が裂け、長く閉ざされていた星々の光が戻ってきた。
しかし――鐘の前に立っていた男の姿は、もうどこにもなかった。
レオンは石畳に膝をつき、叫んだ。
「師匠おおおおおおおおおおおっ!!!」
その叫びは鐘楼に反響し、夜空を震わせ、遠くの人々の耳にも届いた。
王都の民はその叫びを聞きながら、まだ何が起きたのかを理解していなかった。
ただひとり、鐘楼に取り残された少年だけが知っていた。
――師の犠牲によって、街が守られたことを。
――そしてその代償として、自分の身に紫の呪印が刻まれたことを。
レオンの右腕は焼けるように痛み、紫黒の紋様が肩から胸へと広がっていた。
彼はその痕を見下ろし、歯を食いしばった。
「俺が……俺が継ぐ……! 師匠の鐘を……この命に刻んでやるッ!!」
涙で霞む視界の向こう、鐘楼の巨大な鐘は静かに佇んでいた。
だがその表面には新たな亀裂が走り、オルグの命と引き換えに深い傷を負っていた。
それはまるで、師の魂が鐘に刻まれた証のようだった。
夜風が吹き抜ける。
鐘楼の上でただひとり、少年は嗚咽を噛み殺しながら、胸に誓った。
「この鐘と、この呪いと共に……俺は必ず紫禍を滅ぼす」
その瞬間、彼の背に――まだ誰も知らぬ異名が刻まれた。
“滅紫の殲葬送者”。
それは、ひとりの少年が悲しみと憎しみを背負い、未来を切り裂く者となる始まりだった。
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