7話
少しずつ修正していきます。
街の石畳を歩きながら、ちらりとシェナの横顔を盗み見た。
さっきの露店でのこと――
なぜ、あのとき突然帰ろうとしたのか。
男の言葉や首飾りに、あんな反応をするなんて。
「……シェナ、さっきの人、知ってたの?」
静かにそう尋ねると、シェナは少しだけ口元を引き結び、しかしすぐに緩めた。
「……知らない人ですよ。ただね。ああいう気配は、身についた勘が教えてくれるのです。――あの男は、関わってはいけない相手よ」
その言葉は穏やかだったが、どこか底冷えするような確かさを孕んでいた。
私は少し黙り込み、やがて訊いた。
「……あの首飾り、きれいだった。もしかして呪い……とか、あるの?」
昔、村の長老の家に怪しい仮面やら道具が供えてあった。父は、呪いを跳ね返す道具だと教えてくれたことがある。
「あるわよ。ああいう品には、よくあることなの。しかけは細かくて、今見ただけでは断言できないけど……」
シェナは立ち止まり、空を仰いだ。
「気を引くために贈られるものには、往々にして執着の魔が籠もる。……とくに、あの夜貝のように死んだものを素材にした品は、怨念が染みつきやすいの」
「じゃあ、買ってたら……」
「首飾りが一生まとわりつき、下手をすればあの首飾りが持ち主を呪い殺してしまうの」
冗談のような、冗談ではないような調子で、シェナはまた歩き出す。
「……気付けなかった。ごめんなさい」
「……いいのよ。こちらこそ、ごめんなさい。せっかくの買い物だったのに…。あっそうだ。近頃は、いろいろと悪い噂が流れてくるから、特に夜は勝手に出歩いてはいけませんよ」
シェナはそう言って、石畳に視線を落としたまま、足を進める。
「悪い噂って……?」
シェナは一瞬だけ黙った。
「……いえ、ここではやめておきましょう。ちゃんとした場所で、少し詳しく話します」
路地を抜けた風が、かすかに香ばしいパンの匂いを運んできた。市の焼き窯のほうかららしい。
それでも、どこか焦げたような、匂いが混じっている気がした。
シェナは懐中時計を出し、ちらと時間を確認した。
「……ルミア。街の中心部の広場、青い屋根の建物が見えますね? あそこが衛兵の詰め所です。遅くなってしまいましたがあの謝罪の件もあるし、顔を出しておきましょう」
「うん」
「それに、今日の商人の件も、一応報告しておいた方が安心でしょう。呪具を売っていた人物がいたと知れば、衛兵の人たちも警戒してくれるかもしれません」
ーーー
町の中心部、冒険者ギルドにほど近い広場の一角に、青い屋根の石造りの詰め所があった。通りを挟んだ向かいには広場を囲むように露店が立ち並び、人々の声と雑多な足音が絶えない。詰め所の建物はどっしりとしており、背の低い塀で囲まれている。風よけの柵のような造りで、ところどころ苔が張り付いていた。
門の脇には、槍を持った衛兵が2人立っていた。革の鎧と粗削りな鉄の篭手を身につけているが、全身鎧ではない。
ひとまず安心し、小さく息を吸ってから片割れに声をかけた。
「あっあの……」
「なんだ、見かけない顔だな。誰かに用・・・おまえ、広場で?」
その片方を見て、思わず息を呑んだ。
眠たげな目。無精髭。どこか投げやりな態度――。
さっき、広場の屋台の陰で声をかけてきた、あの衛兵だった。
「……あっ」
こちらに気づいた衛兵も、一瞬目を細め、少しだけ気まずそうに口を歪めた。
「……また、おまえか」
低い声。素っ気ない言い方だったが、ほんのわずかに含みがある。
彼――ガルドは、槍の石突で地面を軽く突きながら、隣の衛兵に短く言った。
「俺が聞く。お前は見回りに戻れ」
残されたガルドに、少し緊張しながら訊ねた。
「……す、数日前、この街に黒い鉄の鎧の騎士がいたって聞いたんです」
ガルドは眉をひそめた。
「騎士? この街に?」
彼は眉をひそめ、やがて首を振った。
「嬢ちゃん、見間違いじゃないのか。最近、このノルンに新任の騎士が来たなんて話は聞いちゃいねえ。詰め所の記録にもそんな報告はない」
シェナも驚いた顔をした。
「そんなはずないわ。あの人、確かに“中央から派遣された”とおっしゃってました。あの嵐の夜にこの子を連れて、ドアを蹴破ってきて、アルナイア中央騎士団の者だと……」
「中央から? ――それこそあり得ねえな」
ガルドは苦笑するように口元をゆがめた。
「そもそも、中央の内王府が、こんな辺境のド田舎にあるノルンへ騎士を派遣する理由なんてないんだよ。今は戦もねえ。まして、この詰め所は内王府直属じゃない。ただの治安管理所だ」
「……じゃあ、あの人は……?」
不安げに呟くと、ガルドは一度こちらを見渡してから、小さくため息をついた。
「話だけでも聞いてやる。中に入れ。受付で詳しく言ってみな」
衛兵に案内され、詰め所の門をくぐる。
「ねえ、シェナ」
「どうしました?」
「ここに騎士ってたくさんいないの?」
シェナは一瞬だけ目を見開き、それから、少しだけ困ったように笑った。
「騎士というのは、誰でもなれるわけではありませんよ。
昔は貴族に直接志願してなるものだったけど、基本的に、帝国には大きな騎士学校が3個あってそこを卒業した者か、武勲を立てた者か、帝国軍に入隊するか。……軍に入るのが手っ取り早いですけど、帝国軍はほとんど世襲の貴族ばかりだから、ほとんど外野出身の人はいないの。それにその学校に入るにも、多額の推薦や学資が必要です。つまり、貴族の子息か、名のある豪商の血筋でないと、まずなれないのです。」
「……じゃあ、ノルンみたいな街には?」
「残念ですがこの街には学校はもちろん、直轄軍を養えるだけの財力もありませんので、この街の衛兵の皆さんは、家を継げなかった農民や漁師の次男や三男坊の方がほとんどです。」
「すまんな、三男坊で!」
ーーー
建物の内部は意外と質素だった。入ってすぐの広間は石造りの床が冷たく、左手に木製の受付台、右手には待機用の長椅子が並んでいる。壁には町の地図や通達が貼られ、奥には兵装を保管する倉庫らしき扉があった。
受付の奥では、帳簿を開いた壮年の文官風の男性が、羽根ペンを手にして書き物をしていた。髪は薄く、眼鏡の奥の目が細い。
「……いらっしゃい。なにか事件かね?」
シェナが一歩前に出る。
「ええ。先ほど、呪具のようなものを扱っていた商人がいました。その件と……もう一つ、数日前に町に来た“黒い鎧をまとった騎士”について。本人は中央からの派遣と名乗っていたのですが、衛兵の方には心当たりがないとのことで」
文官はペンを止めた。
「呪具、とな。……それは問題だ。詳細を教えてくれるか?」
シェナが露店でのやりとり、首飾りの見た目、商人の様子について簡潔に述べると、文官は頷きながらメモを取り始めた。
「名前や商号は?」
「確認できませんでした。すぐに立ち去ってしまいまして」
「そうか。……だが呪具の疑いがあるなら、取り扱いには厳重注意を促す必要があるな。商人の流通許可証を再確認させてもらおう。通報、感謝する」
文官はそこまで事務的に言ってから、もう一方の件に触れた。
「そして……黒い鎧の騎士、だが」
彼はペンを置いて、分厚い本をペラペラと捲りながら目を細めた。
「中央からの派遣という話も、こちらには一切来ていない。まして今は八国統一戦争が終結してから一〇〇〇年経つ。小さな反乱こそあれど今は外征もなければ、魔獣の被害報告すら滅多にない。帝国直轄軍が派遣される理由がないんだよ、この町には。まあ、脱走兵かあるいは……君たち、姿を見たというのは本当かね?」
ルミアがこくりと頷く。
「はい。私……船が難破したところを助けてもらって……」
文官は少し黙ったあと、小さく頷いた。
「……君はあの難破船の生き残りか。わかった。念のため中央と掛け合う。それに町の出入り記録と照合しよう。詳細な日時や容姿がわかるなら、それも書き残してもらえると助かる」
「ありがとうございます」
シェナが深く頭を下げると、文官は軽く手を振った。
「とはいえ、今のところその件では正式な捜査はできない。記録と照らし合わせて何も出なければ、我々としてはそれ以上の追及はできないんでね。そちらの事情があるなら、用心だけは怠らないことだ」
「……はい」
私は少し肩を落とし、シェナと感謝の意をこめて頭を下げた。
「…ああ、それと」
文官は、ふと思い出したように顔を上げ、引き止める。
「もう一つ。覚えておいてくれるといい」
ふたり同時に視線を向ける。
「来週、この町に客人が来る予定がある。日取りはまだ非公開だが……まあ、ここまで来たら隠しても仕方あるまい。一週間後だ」
「客人……?」
「正確には、国からの使者らしい。身分の高い――いや、かなり高いお方だよ。街の上層部では、もう警備と接遇の話が通っているらしい。
シェナの目が僅かに鋭くなる。
「かなり高い……どのようなお方ですか?」
文官はほんの少し口元を緩めた。
「噂では……第四皇子殿下だと。なぜいらっしゃるのかは我々のような末端には降りてこなくてな。だが殿下の近衛兵が黒い鎧を着ていることで有名だったはずだ。」
「第四皇子の近衛……」
シェナが小さく呟いた。
「その騎士は、もしかしたら周辺地域の危険を調査しているのかもしれん。殿下のご到着に先んじてな」
文官の言葉に、詰め所の空気がわずかに引き締まった。
「……ただし、これはあくまで自論。鵜呑みにはしないことだ。近頃の中央の動きはいろいろ不安なところがある」
短く礼をして、二人で詰め所を後にする。
石畳の路地へ出ると、夜の気配がじわじわと街路を満たしつつあった。いつの間にか、空の端には朱が差している。