6話
差し込んだ午後の陽光が、埃の舞う空気を切り裂いている。
路地にある古びた帳棚に、妙に澄んだ光が反射していた。
「……あれ?」
足が止まる。何かが聞こえた気がした。
小さな露店。革と布を広げた即席の台の上に、貝殻や鉱石を編み込んだ指輪や耳飾りが並んでいた。
その奥に立っていたのは、黒衣をまとい、銀縁の眼鏡がよく映える琥珀色の目をした優しげな人だった。
「いらっしゃいませ」
その声は、どこか低くて、落ち着いていた。男だろうか、と思う。けれど、はっきりとそうだと言い切れない柔らかさがあった。
露店に並んだ品々は、どれも手作りらしく、小さな傷や癖があるのに、それがむしろ美しく見える。何か、忘れかけていたものに触れるような、不思議な感覚があった。
「……見てっても、いい?」
私が言葉をかけると、男はやわらかく笑った。
「ええ。どうぞごゆっくり。……可愛いお嬢さんには、夜のモンスターからのお守りになるものもありますよ」
冗談めいた言い方だったが、どこか本気にも聞こえた。
並んだ品を眺めながら、ふと、一つの首飾りに目を奪われた。
青い宝石を磨き、細い銀糸で編んだ飾り。闇に光る青い縁が、海を思わせる。
「これ、きれい……」
「それは、潮待ちの贈り物と呼ばれているものです。夜貝の軟甲というきれいな宝石が使われております。船乗りの無事を祈って贈られる……あるいは、恩返しのしるしとして贈られることもあります」
反射的にポケットを探った。だが、ポケットの中には、金銭など入っていない。
……当たり前だ。私は、客じゃない。買い物についてきただけなんだから。
「ごめん、持ち合わせが……」
「構いませんよ。いつか、余裕のあるときに、また思い出してもらえたら」
男は笑って言った。
胸の奥で何かが疼いた。
私はそっと布袋を握りしめる。ナナが持っていた、あの小さな石。
袋の中で硬い感触を確かめながら、思わずつぶやいた。
「……もし、これに穴をあけて、紐を通したら……首飾りに、なるかな」
声はかすれていたが、男には聞こえたらしい。
眼鏡の奥で琥珀色の目を細めて、柔らかく笑った。
「ええ、立派なお守りになりますよ。あなたのためだけの、世界に一つの首飾りに」
その言葉に、胸が熱くなった。
「誰か気を引きたい方がおられるのですか?」
「え……」
「わかるのです。そういう気配。自分だけを見ていてほしいのに、一向に気付いてくれない。もどかしさ、焦り、怖さ――どれも痛いほど分かりますよ。……私も、そういう時期がありましたから」
喉が、かすかに鳴った。
そう言って男はしゃがみ込み、少し埃のついた小瓶を布で磨きながら、ふとこう付け加えた。
「一つだけ――良ければ、北の町の外れにある“静尾の窟”をご覧になるといい。今は魔物もほとんど出ませんし、良い花が咲いているんです」
「花……?」
「白星花といって、この時期だけ、静尾の窟に咲く、光に透けて、白くきれいな花なのです。……誰かに何かを贈りたいと思った時には、ちょうどいいかもしれませんよ」
「ユルナ…」
花の名を口の中で繰り返す。
男は懐から小さな水晶を取り出した。拳ほどの透明な球体で、中には薄靄のような光が揺らめいている。
指先で軽く撫でると、水晶の中に白い影が浮かび上がった。
淡く光を帯びた花弁が、ひらひらと水の中を漂うように揺れている。
花弁は光を透かし、まるで夜空に浮かぶ星を凝縮したような輝き。
「これがユルナです。……実物はもっと儚く、風に散れば二度と戻らない。その分だけ、贈られた者にとっては特別な花となるのです」
良いかもしれない。部屋には色んな花が咲いていたしシェナにはいろいろお世話になった。看病のお礼になにかしたい。ずっと世話になるわけにはいかない。
「わかった。取りに行く。」
「ふふ。お気をつけて」
男はゆるやかに頷いた。
そのとき、通りの奥から誰かが声を張った。
「……ルミア!」
振り返ると、そこにいたのは紫の法衣をまとった老婆シェナだった。
あたりを探し回っていたらしく、肩で息を切らせながら、杖をついてこちらに小走りで近づいてくる。
「こんなところに……もう。言ってくれれば一緒に見られたのに」
「……ごめん」
「怒ってないわよ。ただ、ちょっと心配で」
シェナは肩に手を置いて、やさしく言った。その目は、叱るでもなく、ただじっと見守るようだった。
「……なにか、気になるものがあったの?」
「……なんもなかったから、いい」
視線を落とすと、シェナは露店の品々を見て、ふっと表情を緩めた。
「素敵なものが多いわね。こういうの、昔よく集めたわね……………っ!?」
シェナは視線を男へと流した。貝と銀糸のきらめき。
その刹那――彼女のまぶたがほんの僅か、ピクリと震えた。
「よいお品でしょう?」
露店の男が、眼鏡の奥の瞳で微笑んだ。
「……ルミア。帰りましょう」
「え?」
「日が落ちてきたわ。夕飯の食材を買いにいかないとだから、ね」
私は名残惜しく首飾りを見たが、シェナの言葉には逆らえなかった。
「……はい」
シェナは肩に手を添え、ゆっくりとその場を離れる。
「あっ、お嬢さん。少しお待ちを」
振り返ると、背の高い男が立っていた。琥珀色の瞳に、どこか胡散臭い笑み。
「忘れ物ですよ」
男はそう言って、懐からなにかを取り出す
「……え? 」
人形だ。黒く、長い髪をした少女が猫を抱えている
何……これ?
その刹那、男は指を軽く弾いた。
パチン。
耳鳴りが消え、胸にこびりついていた違和感も霧のように散る。
手の中にあったはずの人形は影も形もなく、代わりにただペンダントを握っていた。
「……っと、失礼。代金は結構です。いやはや初めてのお客様でして、ね。」
彼は深々と一礼し、何事もなかったかのように背を向けて歩き出す。
大通りの露店のざわめきに紛れて、紫の法衣の背中と白銀の髪が雑踏へと消えていく。
残された男は足を止め、ふと空を仰ぐように細く息を吐いた。
その琥珀の瞳が冷ややかに光る。
「………………随分珍しいものを連れておりますな、シェナ姉様」
囁きは、誰に聞かせるでもなく、乾いた風に溶けていった。