笑った赤鬼⑤(完)
「ふ、ぐっ……ふおおおおっ……! し、シキ殿おおおっ!!」
鼻をすする水っぽい音と涙声が、遠い記憶から俺の意識を浮上させていく。大きな身体を丸めてぐすぐすと泣いているのは弟分だ。となりで彼の背をさすりつつ、花月君も目と鼻を赤くしている。
「はは、すまん。湿っぽい話になってしまったな」
「ぐす、とんだ感動エピソードではござらんか……。まさか先代殿とメラゴ殿たちのあいだに、そのようなアツき友情話があったとは……っ! 拙者、心打たれたでござる。やはり二つ名の落差は納得できませぬが……」
頬を掻く俺を横目に、同胞の一人がからかうように言い足した。
「おい、まだ感動するには早ェんじゃねえのか? この五十年後からは、身体だけはデカい剛魔族のガキに手を焼かされる楽しいエピソードが満載だぜ」
「ちょ、アスイールっ!?」
「あっそれ聞きたいです! お弁当食べながら、ぜひ」
「カノン殿ぉ!」
弟分が本気で狼狽すると同時に景色が開けた場所に到着し、全員の足が止まる。小さな墓地だが手入れは行き届いており、手すりの向こうには海と街が一望できる素晴らしい景観が広がっていた。
「……素敵な場所で眠っているのでござるな。シキ殿は」
「そう思うか」
「ええ。彼は、善太殿やユノ殿と似たような存在──この世界からの転生者だったのですな」
穏やかな日差しの元、俺は皆をとある墓石の前に導いた。事前に相談していた通り、そこには先客の姿がある。
まっすぐに伸びた黒い学生服の背が、こちらに静かに向き直る。同じ色の繊細な前髪の下、淡白ながらどこか不遜な表情を浮かべた若者が言った。
「来たか」
「おおっ、善太殿? と……そちらの、車椅子の御仁は」
「やあやあ! こんな山の奥まで、すまないねえ」
善太君が押している──ここまでは担いできたのかもしれないが──車椅子の中に収まっているのは、日に焼けた肌が眩しい大柄な老人だ。白髪のところどころに、懐かしい翡翠色がのぞいている。
彼が優しい眼差しを浮かべて俺たちを見上げると、真っ先にピンク髪の美女がその膝に飛び込んだ。
「シキぃ~っ! 何よ、そんな似合わないもの乗っちゃって!」
「いやあ、ちょっと畑の草むしりをしてる時に腰がギックリとね。しかしまた綺麗になったなあ、キティ。お子さんは元気かい?」
「超元気よ! またお店、連れていくわ」
ごろごろと膝に甘えるキティリアを押し退け、きっちりと喪服のネクタイを締めたサラリーマンが小さな袋を差し出す。
「湿布だ。気休めでも貼っとけ、じじい。もう歳なんだから」
「ありがとう、アスイール。ちゃんとご飯は食べているかい? その目の隈は、また残業ばかりしているね」
「う、うるせえよ……」
「──ち」
盛り上がる集団の中に入れずにいる、二人の若者たち。先ほどまで涙で目を腫らしていた魔族の青年が、あんぐりと口を開けて叫んだ。
「ちょっと待つでござるーーッ!? ま、まさか、その御方は」
贔屓にしている球団のキャップを少し持ち上げ、老人がにかっと白い歯を光らせて自己紹介する。
「やあ、二代目四天王──『地底筋肉』のガルシ君。私は一色 善です」
「我の祖父である。よろしくしてやってくれ」
「孫が大変お世話になっています、いろいろな意味で」
「ほええええ!?」
目を白黒させている弟分の肩を気楽に叩いて宥め、俺は苦笑した。
「お前の推測は合っているよ、ガルシ。魔族の『シキ』は、この一色老人が俺たちのいた世界に転生した姿だ」
「て、転生って……元の身体をまだお持ちではござらんか! 拙者めちゃくちゃ失礼なまとめ的発言をしてしまい申したぞ!?」
「私が話そう、ガルシ君。そして新たな魔王──カノンさん」
昔と同じ、誰もの心を落ち着かせる穏やかな笑み。弟分と新魔王はお互いに顔を見合わせ、彼を見てこくりとうなずいた。
「十二年ほど前のことです。私はとある嵐の夜、家から逃げ出した愛猫を追って外へ出ました。そして丘の上の公園に隠れていた猫を確保した時──落雷を受けて倒れた」
「な、なんと運の悪い……」
「身体は奇跡的に無事でしたが、意識が戻ることはなく。まるで魂だけが抜け出たかのように、眠り続けていたそうです」
言い合いつつもレジャーシートを広げて宴の準備をしている男女を微笑ましく眺めつつ、老人は続けた。
「病院にいたのは、約二年ほど。しかし私の魂はその間、とある『剣と魔法のファンタジー世界』へと旅をしていたのです。向こうで体感した月日は、およそ千二百年」
「せ、せんにひゃくねん……!? そのように長生きな種族など」
「ええ、おっしゃる通り。私はどの魔族とも違う……なんだか助けた猫とそっくりな猫耳を携えた、不思議な魔族となって世界を越えた。雷が扱えたのは落雷の影響と、猫の名前が『雷太』だったからじゃないかなー、なんて」
「そんな理由!? 剛魔族のアイデンティティ!」
両手で耳を作り、頭の上でぴょこぴょこと動かしてみせるお茶目な老人。俺の弟分は、太い金の眉を跳ね上げて驚き続けている。
「な、なんというか……おとぎ話のようですな」
「ガルくん。私から見ればあなたを含めて、みんなおとぎ話の人だよ」
「うむ。我もたいそう驚いたぞ」
若い顔に似合わない貫禄ある腕組みをしつつ、黒髪の高校生が言葉を継ぐ。
「長らく目を覚まさなかった祖父が目覚めた途端、興奮してファンタジー小説さながらの内容を話し出すのだからな。我が止めねば、別の病棟へ移されるところであったぞ」
「いやあ、私も信じられなかったよ。まさか可愛がっていた孫が、あの魔王ルーワイの生まれ変わりだったとはねえ。しかも最近までこの子、そのことをずっと黙っていたんですよ」
「我は普通の男子として推し活人生をエンジョイしたかったのでな。イッシキもあの世界のことは忘れ、普通の老人として余生を過ごしたほうがよかろうと考えたのだ」
淡々とそう言ったものの、高校生の口元には面白がるような笑みが浮かんでいる。俺も補足のため口を開いた。
「俺たち四天王が転移したのは、一色老人がこの世界に戻ってきてから二年後のことだ」
「そうなのでござるか……。あ、もしや」
「ああ。おそらく転移先がこの世界になったのは、魔王や俺たちとシキの間に存在した縁や絆──そういったものに引き寄せられたのだと思う。彼が向こうで死んだ後もずっと、俺たちは『シキ語』を使ってきたからな」
なるほどと金髪頭を上下に動かす弟分にうなずき、俺は続けた。
「そしてこちらの暮らしに慣れた頃、俺はあの飲み屋街を歩いていて──なぜか妙に気になる居酒屋に出会った」
俺の直感は当たる。その日、居酒屋『いっしき』の暖簾をくぐったのは、懐かしい友の気配の名残に惹かれたからだと思っている。
「この前の戦いで、善太君の正体を知っただろう? だから身近に転移者がいないかどうか、訊いてみたんだ。ビンゴだったよ。彼は都外で農業をしているが、つい最近呼んでもらって再会したんだ」
「す、すげえでござる。リーダー……」
「ふふっ。リーダーか」
そよ風のように爽やかな声で笑った老人が、車椅子の中から俺を見上げる。深い皺が刻まれた口元が、懐かしい角度に持ち上がった。俺に『笑顔』を伝授してくれたあの日と、同じ。
「やはりおれの見込みどおり、君はリーダーに向いていただろう? メラゴ」
「……どうだろうな」
俺は肩をすくめ、青空の向こうにかつての暗雲に満ちた世界を思い描く。
「お前が死んでから二百年ほどは、魔界も荒れに荒れた。若く不安定な弟分は四天王に就任したものの城に引き籠ったりしたし、君主のわがままはますます加速し、魔王軍は絵に描いたようなブラック企業に成り果てた──俺の至らなさの結果だろう」
「いやそれはマジに拙者の黒歴史なのでござるが」
「我もいろいろやらかしておる時代だな。世話をかけた」
揃って気まずそうな顔を浮かべる、自称オタクたち。しかししばらくして立ち直った弟分が、慌てて一歩前に出る。
「で、でも! やっぱり拙者にとって四天王のリーダーは、メラゴ殿でござるよ!」
「……!」
金髪の下から覗いたのは、魔界では決して見られなかった弾けるような笑顔だ。
「貴方がいなければ拙者、何度挫けていたかわかりませぬ。厳しさも、優しさも──そのすべてに、感謝しておりまする。ありがとうでござるよ、メラゴ!」
「ガルシ……」
「気にすんなよ、リーダー。蓋を開けてみりゃ、シキよりよっぽどてめえの方がド真面目だったぜ」
「そうねー。シキが勝ってたのって、奥さんに一途なとこだけかも?」
「やっぱりひどいね!?」
それぞれが和やかに言葉を交わす。ようやく現状を把握してきたらしい弟分が、窮屈そうな喪服を指さして言った。
「そういえば、この喪服は……」
「ああ。今日は大往生の末、去年天に召された愛猫『雷太』の一回忌なんだ」
「ネコチャンの! なかなかバラエティ豊かな好物でしたな!?」
気合いを入れて作ってくれた『お供物』を見下ろし、ガルシが仰天する。実際には雷太の好物はカツオのたたきのみであり、他は単純に俺たちの好物だ。
「さあて、役者も揃ったところだし! お弁当の前に、『儀式』をしておかないとね!」
「!?」
明るい声を朗々と響かせた一色老人に、皆が目を丸くする。
「あ、あんたがそう言うってことは……もしかして、あの『仲直りの儀式』をするってこと!?」
「覚えていてくれてうれしいよ、キティ。もちろん相手は、我が孫であり我らが元上司であり、そして我が旧き友──魔王ルーワイだ」
「おいじじい。聞いておらんぞ」
「そうだろうね。今思いついたんだから」
長い腕を伸ばして孫の頭をくしゃくしゃと撫で、老人は笑った。俺たち四天王は互いに視線を交わし、最後に現在の魔王を襲名している女性を見る。
「うん、やろうよ仲直り! みんな、まだちょっと善太くんとぎこちないもんね」
「く……言うと思ったぜ」
「『勅命』で従わされたくないでしょう? ささ、並んで並んで」
「ちょ、ちょっとカノンちゃんーっ!」
強引な魔王に導かれ、まずはキティリアが高校生と握手を交わす。
「え……と。お店では、色々悪口言って……ごめん。もう殺そうとしないから、安心して」
「うむ……。我も魔界では何度も殺してしまって、すまなんだ」
「すごいハードなごめんなさい案件でござるな」
次に高校生の前に押し出されたのは、バツの悪い顔をしたサラリーマン。先に口を開いたのは元魔王のほうだった。
「アスイールよ。『杖』としてお前には何度も命を張ってもらったな。お前をワーホリにしたのは、我かもしれぬ」
「知るかよ……。まああんたに拾われなきゃ、オレは魔界で速攻死んでた。いいだろ、お互い利用してたってことで」
「魔王紋も、嫌がるお前が面白くてあんな場所に刻んでしまい──」
「それ以上言ったらこの儀式は終いにするからな」
一方でこの『儀式』に意気揚々と進み出る者もいた。
「善太殿! 拙者、もうすべて過去は水に流しておりまする。これからは同じアニヲタとして、深く語り合いたい所存ですぞ!」
「うむ。我もだ、ガルシ」
「と……ところで、ひとつだけ訊きたいのでござるが」
「ぬ? 申してみよ」
「いや、やっぱやめとくでござる。知らなくていい真相というものもありましょうし」
「?」
そして、俺の番がやってきた。正直言って、どう対応したらいいのかわからない。動かない俺を、皆が不思議そうな目で見つめる。
(俺は、この男を──許せるのだろうか)
魔王が魔鬼族の島に乗り込んできた日から、六百年以上。俺はこの男の配下として、あらぬ扱いを受けてきた。シキのように、彼と一部でも信頼を築けていたわけではない。友との約束どおり笑顔を浮かべながらも、その下ではずっと恨みと怒りを蓄積させていたように思う。
「メラゴ殿?」
自分よりも若き、三人の魔族を見つめる。彼らを守るという『約束』がなければ、俺はとっくに心まで血に濡れた鬼と化していただろう。
目の前にいる高校生が、こちらの世界ではなにひとつ罪を犯していないことは承知している。それは俺たちもそうだ。皆があの世界でのことを忘れ、今度こそ平和な『リスタート』を切ったというのに──。
「……許せぬよな。メラゴよ」
「!」
「恥じるでない。当然の思考よ。シキの感性は特殊であったから別として──我が一番長く苦しみを与えたのは結局のところ、お前だと思うておる」
黒い瞳が、俺を真正面から捉える。
「お前は自分が受けた苦痛や恥辱に加え、若き魔族たちが受けた苦しみも……すべて己のことのように感じておるのだろう。そういう男だ」
「……」
「だから握手では解決にならぬ。気が済むまで我を殴れ、メラゴ」
白い頬を指差して言う高校生の目は本気だった。俺は彼の祖父であり、共通の友である老人を見る。
「うーん、まあ祖父としてはここで止めるべきなんだろうけどねえ。おれも、ガンコな昭和生まれだ。男孫だし、一発くらいならいいんじゃないかなーと」
「い、いいのでござるかバイオレンスごめんなさい方式!?」
「やめて、メラゴさん! 本気なら私、『勅命』でやめさせますっ!」
外野が騒がしくなる中、元魔王であった高校生は抵抗なく目を閉じてじっとしている。こんな機会は──好機は、今まで一度もなかった。俺は拳を握り、ゆっくりと顔の高さに掲げる。
そしてその手は、まだ成長期の若者の黒髪にぽふんと着地を果たした。
「!」
「善太君。悪いがそれは、どこの恐ろしい『鬼』の話だ?」
「メラゴ……」
きょとんとした顔でこちらを見上げている高校生を見、俺は仕事場でも好評な満面の笑みを落としてみせる。
「はは、俺は子供たちのヒーローの『中の人』だぞ? 悪人でもないただの高校生を、殴れるわけがないじゃないか!」
「き、貴様、やめんか」
ついでにくしゃくしゃと黒髪をかき回してやる。不服そうにじろりとこちらを見上げる高校生。この顔を目にできただけで、六百年分の怒りは精算された。気が済んだ俺は皆に向き直り、パンと手を打ち鳴らして告げる。
「さあみんな、お腹が減っただろう。乾杯しよう!」
こうしてついに赤き鬼は、長きに渡る『約束』を果たし──本当の笑顔を得たのだった。
笑った赤鬼 ― 完 ―
お読みいただきありがとうございました!
ここで一旦完結に戻させていただきます。
シーズン番外編など書きましたら投稿しますので、ぜひまたガルシとカノンたちに会いに来てあげてください♡




