笑った赤鬼②
「──ちょっと待つでござる」
「どうした? ガルシ」
思い出話を遮った弟分が、めずらしく険しい表情を浮かべて俺を見ていた。
「魔界で何度訊いても教えていただけずにいた『先代四天王』殿のエピソードがいよいよ解禁となり拙者、胸が高鳴っておりまする。しかし到底納得できませぬぞ!」
「何がだ?」
「す、す……っ!」
重箱を持っていなければ顔を覆って嘆きそうなほどに震えつつ、弟分は不満を爆発させた。
「『翠翔迅雷』とな!? なんでござるそのカッコよすぎる二つ名!?!? 拙者なんて『地底筋肉』でござるぞ!? 雷要素ゼロな上に、いかにも肉盾になって最初に散りそうな響きですぞおおお!?」
「ほらみろ。だからシキの話はするなっつったろ」
「え、そんな理由で拙者、百年以上その話から除け者にされてた?」
「同じ雷系キャラが来ちゃって、ルーワイも思いつかなかったんじゃないの?」
「ガチャで同じの引いたみたいな言い方やめてもろてでござる!!」
涙目になった弟分の大きな背中を撫でつつ、「私はかっこいいと思うよ、ガルくん」などとフォローを入れる花月君。俺は仲間たちを見回し、気楽に言った。
「はは。悪いが、俺も命名理由は知らないんだ。善太君に訊いてみるんだな」
「うう……。はっ、申し訳ござらん! 話の腰を折ってしまって」
礼儀正しく俺に金髪頭を下げて謝るガルシ。しかし戻した頭が、今度はコテと横に傾いた。
「はて。しかし不思議な御方ですな、その『シキ』殿は。拙者も雷の力を扱える魔族は、自分たち『剛魔』しかいないと思っておりましたぞ」
「そうなんだ。珍しいんだね」
率直な現魔王の言葉に顔を赤くしている弟分の向こうから、魔術の使い手である同胞が言い足した。
「ああ。雷ってのは、魔術でも扱い辛い分野だ。爆発的なエネルギーの塊だからな。ガルシたち『剛魔』の祖先は、神界から堕ちた神だとも言われている」
「また拙者の知らないプロフィールがサラッと明らかに……」
「まあアイツのことは、この先を聴いてりゃ分かるわよ。そうでしょ、メラゴ?」
キティリアの促しに従い、皆の目が俺に集まる。期待に輝く瞳が半分、そしてどこか強張った色を浮かべた瞳が半分。俺はひとつうなずいて、ふたたび懐かしい魔界の風景を思い描いた。
「そうして俺とシキは、四天王を結成した。残り二人のメンバーが誰になったかは──言うまでもないよな?」
*
ルーワイに刻まれた傷が癒えると、俺たちは魔王軍を組織するための活動を始めた。先代魔王に忠義を立てていた者はすべて処刑されてしまったので、広い城はがらんとしている。そこに送り込まれたのはルーワイが単騎で襲撃し屈服させてきた、各地の魔族たちだった。
「ごめんねー、突然。でもさ、考え方によっちゃまだおれたちもスタートアップ企業ってとこだし。キミたち一族の力で、魔界の未来を明るくしてみない?」
シキは不安と警戒に身を硬くした彼ら全員と顔を合わせ、そんな声掛けをしていった。見た目は屈強だがいつも笑顔を浮かべているので時には舐められ、問答無用で襲いかかってくるヤツもいる。それを黙らせるのが当面の俺の役目というわけだ。
「いやあ、助かったよメラゴ。いつも番犬のようなことをさせて悪いね」
「お前も強力な雷を扱えるだろう。なぜ使わん」
「暴力を用いた途端、相手との距離はいっそう離れてしまうよ。さっきの彼だって、一族を守りたいだけさ。昔の君と同じでね」
「……」
「彼らが城で快適に暮らせる工夫を考えてみよう。なるべく皆が気持ちよく働けるクリーンな職場を目指してますからね、我らが魔王軍は」
しばらくの月日が経った今でもやはり、シキは不思議な男だった。魔界のどこで生まれたかも、どこの一族の者なのかも不明。もっとも不可解なのは、まったく誰も理解できない言葉を用いることだ。
「朝ドラは今、なにやってるんだろうなあ」
「君の炎があれば、ゴミは分別いらずだねえ。ダイオキシンとか出ないのかな」
さらに、やたら口煩い。
「ま、また君は女子悪魔とそういうことを……! しかも昼間っからここ、我らの参謀室で!」
「時も場所も関係ないだろう。魔鬼族は他人を抱いて魔力を補給する。何回も云わせるな」
「相手の気持ちだってあるだろう!? 君に焦がれる女の子も多いっていうじゃないか。大切にしてあげなきゃ」
「……なら、全員平等に」
「言わせないからね!?」
そうこうしている内に時は流れ、やがて城には有力な魔族たちが集った。配下集めと『挨拶』のため魔界をひと巡りしてきたルーワイは暇を持て余し、彼らを粗雑に扱うことも多かったが──概ね、組織としての立ち上げは完了していた。
さまざまな種族から選抜された、魔界の荒くれ者たち。それをこうしてまとめ上げたことには正直、驚いた。シキは故郷では『キョーシ』という仕事をしていて、大規模集団の統制方法を熟知しているらしい。「まあ君たちは皆、大きな小学生のようなものだよ」とよく苦笑していた。
「ねえ、ここが参謀室? 行けって言われたんだけど」
そして四天王の残り二つの席がようやく埋まったのは、魔王軍が稼働しはじめて実に二百年以上が経ってからのことだった。
「誰だ、お前は」
「あんたと同じ、四天王?ってやつ。さっき城にきたばっかだけど」
広い参謀室に入ってきたのは、鮮やかな桃色の髪を持つ美女魔族だった。背から生えた大きな羽は美しいが、俺は本能が発した警告を感じ取ってすばやく視線を外す。しかし向かいの席から急いで立ち上がった男は、ふらふらと怪しい足取りで女の元へ向かった。
「き、き、君みたいな可愛い子が、おれたち四天王の仲間に? えええ、うれしいなあ」
「うふふ、そうでしょ? だからここで死んで?」
「はぁーい♡」
女が笑顔で言い放った指示に従い、シキの両手が己の喉元を掴む。俺は魔王から与えられた大太刀『灼光丸』を鞘ごと、その莫迦の頭へと振り下ろした。鈍い音が石造りの室内に響き渡る。
「ッだぁああ!? 何をするんだい、メラゴ!」
「『魅了』だ。ようやく増えた人数を減らす気か、シキ」
「あ。あんた知ってる! 『炎鬼』でしょ」
俺の前にやってきた女は腰に手を当て、こちらを臆せず見上げた。蔦のような魔力紋がところどころ疾る顔はまだ若く、恐れ知らずという言葉が似合う。
「ふーん、本当だったんだ。魔界では負けなしとか言われてたのに、ルーワイにボコられて魔王軍に入ったって。だっさ!」
「お前も此処へ来たのは、同じような境遇じゃないのか」
「うっ!」
女の白い首筋で赤く輝いているのは、まだ刻印されたばかりだろう魔王紋だ。それを手で押さえて顔をしかめつつ、女は悔しそうに言う。
「ふ、ふん。でもあたしはずっと大人しく手下でいるなんてしないわよ。魔王に近い地位にいれば、その首を狙いやすくなる。いつかこのキティリアが、新魔王に成り上がってやるわ!」
「へえ、何かやりたいことがあるのかい? キティは」
「あんたすごい馴れ馴れしいわね。やっぱ死んで」
「もう構えてるから『魅了』は効かないよ」
「いや今のはフツーに言ったの」
「ひどいね!?」
肩を落とすシキを見遣り、女──キティリアは細い腕を組んだ。
「あたしの一族……『幻妖族』は、もう生き残りも少ない。アイツの気分ひとつで、簡単に滅ぼされる。だからあたしだけ来たの」
「……良いのか? 女であるお前に課されるのは、四天王の仕事だけではないと思うぞ」
「バカ言わないで。いくら史上最強の魔王でも、あたしには指一本さわれないわよ」
「!」
そう言って妖艶な笑みを浮かべた女の半身が、一瞬で桃色の霧と化す。なるほど、幻妖族の中でもかなり強い力を持っているらしい。ただ詳しく聞けば、ルーワイが振るう漆黒の剣は女が粒子になるよりも速い攻撃を出すため、抱かれはしないものの微塵にされて殺されるという結果になるらしい。
もう何度も挑戦したのだと胸を張る女を見て呆れる俺の横から、静かにシキが歩み出た。
「なんとも豪胆な話だけどね、キティ。これからはなるべくその血の気はしまっておいておくれ」
「なんでよ」
「だって、死ぬのは痛いだろう?」
「……!」
「普通は忘れ行くはずの、死の痛みと恐怖。その記憶を蓄積させていくのは、君のような不死の一族にとって……もっとも辛いはずだ」
ぽふ、と気の抜けた音を立て、シキは女の頭に大きな手を置く。女は粒子になればいくらでもその恥辱を回避できたはずなのに、そうはしなかった。ただ子供のように、くしゃくしゃと頭を撫でられている。
「……わかった。じゃあ、超ムカついた時だけにする」
「あはは、まずは上々。そうしておくれ」
「──おい」
淡白な声に俺たちが振り向くと、そこには新たな訪問者の姿があった。真っ青な長髪は女のように艶やかで、同じ色の目は刃物を思わせるするどい輝きを放っている。しかし頭部以外は真っ黒なマントに包まれていて、細長い魔蝙蝠のような印象を与える男だった。
「や、今日はお客さんが多いね。なにかご用かい、アスイール君」
「誰、あのムカつく感じの男。『魅了』が弾かれたわ」
「挨拶がわりにやるのは止めろ」
肘で脇腹を小突いてくるキティリアを見下ろし、俺は一応の紹介を投げてやる。と言っても、俺も直接話したことはなかったが。
「あいつは『氷帝』アスイール……魔王様の『杖』だ」
「杖ってなに?」
「傍で支える者、ということだ。若いが魔術に秀でた男で、人間界から追放されたところを魔王様に召し抱えられたという」
「はあ? じゃあアイツ、人間なの?」
大きな瞳をさらに丸くし、キティリアが黒衣の男を凝視する。見返してきた男の視線は冷淡だったが、二人の間には火花が散ったように見えた。
「いや、オレはもう人間じゃない。魔界でも百五十年生きてる」
「げーっ、同じ歳じゃない! やな感じ!」
「……魔界に来た時は二十二だったから、百七十二でオレのほうが年上だな。蝶女」
「なにこいつ!」
「まあまあ。歳が近い同士、仲良くしようじゃないか。アスイール、君が来たということは魔王様からなにか伝達かな?」
「……」
長い前髪の下で、細面が心底嫌そうに渋くなる。しばらく間を置き、アスイールは重いため息混じりに告げた。
「……オレも今日から、『四天王』の一員になった」
「えーーッッ!! やだ! 絶対反対っ!!」
「来たばかりのお前が云うな。しかしいつもの気まぐれとはいえ、ずいぶん急だな。側近たる『杖』から『四天王』へ転落とは」
「はは、メラゴ? 我らが部署を左遷先みたいに言うのはやめようか?」
「勘違いするな」
城の生粋魔族の魔術師たちからも一目置かれているという男は、凍てつくような瞳で俺たちを見回した。
「オレは誰とも馴れ合うつもりはない。『杖』の仕事も続ける。お前達が結託して無駄な反乱などを企てることがないよう、見張りに来ただけだ」
「うんうん、まあそれでもいいじゃないか。よーし、ようやく『四天王』が揃ったね! これはお祝いをしなくちゃだ。ふたりとも、お酒は好きかな?」
「おい!? 話を聞いていたのか」
「あたし、お酒大好き!」
こうして無事──と言って良いのかは微妙だが──、俺たちルーワイ魔王軍『初代』四天王の歴史が幕を開けた。




