笑った赤鬼①
四天王の過去とガルシの『先代』の話です。
メラゴ視点、全五話。途中シリアスあり。
鳥たちのさえずりと、森の木々の匂い。人間よりも優れた感覚でそれらを味わい、俺は林道の隙間から見える空を仰いだ。糊のきいた白シャツと黒いネクタイが、胸の上でわずかな衣擦れの音を立てる。
「いやあ、のどかな場所でござるなあ」
「ほんとだね。電車で少し来るだけで、こんなに自然いっぱいなところがあるなんて」
俺の前を歩く男女が、仲睦まじく言葉を交わしている。この集団の中で最も若い魔族の男と、なんの変哲もない人間の女性──に見えるが、実は今や俺たちの主である『魔王』その人だ。
「悪いな花月君、歩かせてしまって。疲れてないか?」
「あ、はい。大丈夫です、メラゴさん。ピクニックみたいで気持ちいいです!」
「喪服でピクニックってのはどうだかな」
先頭を往く別の男女、その男のほうがふんと鼻を鳴らす。彼が言うように、俺たちは黒スーツに黒ネクタイや、黒のワンピース──この国の様式に従った、死者に哀悼を示すための服に身を包んでいた。つい数ヶ月前も似たような格好をしてアリーナで暴れ回った記憶があるが、色彩を欠いた今日の格好にはどこか厳かな雰囲気がある。
ピンク色の髪をきちんとまとめた美女が、自身の黒服を見下ろして言った。
「あたしたち、びっくりするくらい喪服似合わないわね。大丈夫かしら」
「お前とガルシの頭だろ、浮いてるのは」
「何ですってぇ? ここで軽くドンパチして、あんたの頭も水色に戻してやってもいいのよ」
「んだとコラ」
「はは、別にいいさ。細かいことは気にしない奴だったからな」
俺が割って入ると、先頭の男女はあっさりと言い合いをやめた。もともとそういう気分ではなかったのだろう。そこからはしばらく、土を踏み締める足音だけが続く。
大きな身体を黒スーツに押し込めた金髪の弟分が、おそるおそるといった様子で殿の俺に振り向いた。
「……えっとですな、メラゴ殿。いまだに拙者とカノン殿は、どこへ向かっているのか把握できてないわけでござるが」
「悪いな。そろそろお前と──それから、めでたく我々の仲間となった花月君にも話しておこうと思ったんだ」
「この格好に、お花なので……どなたかの、お墓参りですよね?」
「ああ」
ひと房の青が混じった黒髪を結った人間女性──花月君が、胸に抱いた大きな花束を見下ろす。
「変わったお花がいっぱい。あ、猫じゃらしも入ってる」
「そうですな。それに拙者が作るように命じられたものも、お供え物にしては風変わりでござる」
弟分──ガルシが大事そうに持ち上げたのは、花柄の風呂敷に包まれた五段にも積み上がった重箱だった。
「おにぎりにからあげ、鰹のたたき。かぼちゃの煮付けと卵焼き。それにたこ焼きとフライドポテト、ようかんに大福。やはりピクニックではござらんか?」
「いや、ちゃんと故人の好物だったものが入ってるぞ。作ってくれてありがとう、ガルシ。景色がいいから、供えたあとには皆で食べてしまおう」
「お酒も持ってきたわよ! おつまみも」
「レジャーシートやおしぼりの用意も抜かりねえぜ。どうせ誰もしてないだろ」
「さすがアスさん!」
最後尾から賑やかな若者たちを眺め、俺はひとり息を吐く。抜けるような青空高く、とんびが舞っている。弟分が言ったように、どこまでものどかで平和な世界──。
「……ガルシ、花月君。まだ目的地まで少し歩く。長い昔話になるから、話しながら行こう」
「は、はいでござる」
「わかりました」
俺の普段の仕事は演者に類するものだが、台詞なんてものはない。だからこうして長く物事を語るのは、ずいぶん久しぶりのような気がした。誰よりも長く生きてはいるが、普段はこうやって昔を思い出したりはしない。
それは幸せなことだとわかっている。
そしてどんな犠牲を払ってそれを、手に入れたのかも。
時々弟分は、「メタ発言失礼」と言ってはどこかの視えない誰かに語りかけていることがあるが、今回は俺も倣っておこうと思う。友に関する思い出話を語る時にはきっと、ギャラリーは多いほうがいい。
だからもし、俺の声が聴こえている人がいたら──しばらく時間をくれ。
「お前が生まれるよりずっと昔の話だ。かつて魔界には、戦いにおいて一度も負け知らずという──ひとりの『赤鬼』がいた」
これはそんな愚かな『鬼』が──ひとつの『約束』を交わす物語だ。
*
いつもと変わらぬ、暗褐色の空。いつ嗅いでも生臭い、濃厚な血の匂い。今日も懲りずに挑んできた『物好き』どもの骸が築いた山の頂で、俺はひとり無言であぐらをかいていた。
「おーい、もしもし? そこの真っ赤な君! 君が『炎鬼』かい?」
「……」
この血で染め上げられた戦場にあまりにも似合わぬ、陽気な声。気怠く思いながらも、俺は誰もが震え上がる魔鬼族の紅眼をじろりとそちらへ遣る。
捉えたのは、敗者たちの山のふもとでぶんぶんと元気に手を振っているひとりの男。
「いきなりごめんよ。その血、大丈夫かい?」
深い緑色の長髪に、褐色の肌。ぴくぴくと動くタテに長い三角耳と、縞模様を成す魔力紋。体格の良さからして、己の身体を武器とする戦士だろうか。ゆったりとした前合わせの衣は少し俺たち魔鬼族のものに近い気はするが、戦向けではない長い着物にはどこか異端さを感じる部分もある。
俺は腰に差している太刀の柄に指を添えつつ、その訪問者を睨んだ。
「……俺の血じゃない。勝手に喧嘩を売ってきた、この莫迦どもの血だ」
「おー、なるほどねえ。さすが魔鬼族最強の男。噂に違わぬ腕っぷしってことだなあ」
怯むどころか、男は緑髪をくしゃくしゃと掻いて屈託なく笑った。妙に腹立たしく感じた俺は、殺気を込めた声を放つ。
「何の用だ。お前もこの山に加わりたいのか」
「いやいや、そりゃあ勘弁! おれは『シキ』。ルーワイ魔王軍のひとりです。ああいや、まだひとりだけだから、軍って言えるかは微妙だけどね」
「魔王ルーワイ……? 聞いたことがないが」
「うん、そうだろうなあ。さっき先代魔王の首を奪ったばかりだからね」
「! あの『魔王ダイセン』の首を?」
魔界の辺境であるこの島に引きこもっている我らが魔鬼族だが、さすがにその名は知っていた。魔界の半分ほどを掌握し、勢力を強めている軍勢の長。いずれこの島にも乗り込んでくるのではないかと警戒されていた、強力な魔族の名だ。
シキと名乗った魔族は、白い衣に包まれた逞しい腕を組む。その表情は何故か複雑そうだった。
「そう。で、そのとんでもなく強い魔族が、今からここに来る。君を魔王軍にスカウトしにね」
「ス……?」
「ああ、引き入れにくるってことだよ。南の魔界では負けなしの魔鬼族、『炎鬼』のメラゴさん」
「!」
不思議な輝きを放つ緑色の瞳が、興味深そうに俺を見上げる。同胞たちでさえ、この頃の俺を見る目には緊張や畏れが混じるものだというのに。
「悪いことは言わない。ルーワイの要求に、すべて無条件で応じてくれないか」
「……その莫迦は、魔鬼族に──俺に、何を求めている」
「あー、たぶんシンプルに、自分の配下になれって言うと思う。彼はこれからの自分を支える、新『四天王』となる魔族を探しているんだ。君の噂は魔岩大山脈を越え、この魔界の隅々まで届いているからね」
顎に手を添えてうんうんとうなずいている男を見下ろし、俺は返り血で濡れた顔で凄んだ。童なら卒倒するような迫力があると自負している。
「吐かせ。俺はまだ若いが、魔鬼を率いる族長の身。同胞が暮らす島の安寧を守る義務がある」
「うん、本当にごもっともです。君たちの島の資源を狙う輩も、君たちを下して自らの名声を轟かせようと企む輩も、山ほどいる。でもルーワイはそうじゃない」
俺の眼光に怯むことなく、シキはこちらを見つめたまま続けた。
「君は魔鬼族の中で一番強い。ならばあの男は、君以外に興味がないはずだ。もし戦いに加担しようとする者がいれば全員、躊躇なく殺すと思う」
「……つまり俺に、戦うことなく膝をつけと?」
「そう。でもきっとリーダーとして、それは難しいだろうね。だからこそ、おれの言葉は覚えていておくれ。君の選択が、一族存命の鍵を握るのだと」
そう告げると、シキは無防備な背中をこちらへ向けた。よほど斬ってやろうかと考えた俺だったが、得物を構えてもいない相手の首を奪っても誉れにはならない。
「じゃあ、また──魔王城で会おう」
まるで結果は決まりきっていると言わんばかりのその挨拶に、俺の頭にカッと血が昇る。しかし鞘から太刀を引き抜いた時には、その無礼者は翡翠色の雷光と共に姿を消していた。雷を操る魔族といえば東の大絶壁に住む『剛魔』族が思い浮かぶが、あの男はそれとも違う気がする。
(……妙な男だ。魔鬼に、戦う以外の選択肢など有り得んというのに)
その数時間後。
俺は自らその『選択』に手を伸ばすことになるのだが。
*
「ぬぁーっはっは! いい様であるな、『炎鬼』よ!」
「ぐっ……!」
今度は己の血で染まった胸元を容赦なく踏みつけ、高笑いする偉丈夫。長い白髪を濡らす血は、俺とその男のもので半々だ。褐色の肌の中、黄金の瞳が勝利の愉悦に爛々と輝いている。
「これほど胸躍る戦いは久方ぶりよな! まさか我を歌わせるほどに手を焼かせるとは。見事であるぞ」
「うた……?」
血を失いすぎて朦朧とする意識の中、聞き慣れぬ言葉に俺は疑問を覚えた。最初は拮抗していた戦いが、急に重みを増した瞬間があった。相対者であるこの男はたしかにその時、妙に長い詠唱のような言葉を口走っていた気もする。
「ああ、気にするでない。それより貴様、ダイセンよりも遥かに力を蓄えておるではないか。なぜ魔王争奪の戦に出てこなんだ」
「そんな、ものに……興味は、ない……!」
「フフ。武のみを追い求めし偏屈どもらしい言よ。ますます気に入った」
俺は片脚を失い、もう一方の脚にはみずからの刀を突き立てられている。片目も潰されていたが、生まれてはじめての敗北の景色が狭まって見えるのは有り難かった。長い衣と同じ漆黒の剣を俺の首付近に突き立て、男は長い牙を覗かせて嗤う。
「我が名は新魔王、ルーワイである。貴様の生涯の主となる者の名だ、魂に刻むが良い」
「誰が……お前などの……ッ!」
「おお、言葉は選ぶことだな、鬼よ。故郷を失いたくはないであろう?」
「!」
童をあやすかのような、甘ったるいその言葉。しかし同胞達の集落がある方角へと向けられた魔王の手には、ぞっとするほど濃密な魔力が集まりつつある。俺は首の皮が剣を擦ることにも構わず、激痛が走る上半身を起こして叫んだ。
「止せッ!!」
「ふうむ。我は寛大なのでな、言葉の過ちは一度は許そうぞ。さあ、次こそ正しく申してみよ──炎鬼メラゴ。貴様は誰のモノだ」
「……っ」
魔力紋が疾る首を掴み、圧倒的な強さを持つ男が俺を見下ろす。このまま首をへし折ってほしいところだが、この男は絶対にそうはしないと確信した。俺が『正しい』言葉を紡ぐまできっと、同胞たちと故郷に死よりも酷い暴虐をもたらす──。
そう悟った瞬間、俺はツノが突き出した頭をはじめて他者に垂れていた。
「この炎鬼──魔王ルーワイ様に……生涯、お仕えいたします」
次の瞬間、大きな手が俺の額に押し当てられる。炎を友として育ってきた身でさえ灼かれるような、壮絶な痛みが走った。叫びも呻きもしなかったのは、俺の最後の意地だ。
「よくぞ言った! この魔王紋に恥じぬ働きを期待しておるぞ──我が四天王がひとり、『炎天武闘』のメラゴよ」
傲慢な笑い声が遠のいていく。瞼がおちる前に見えたその景色が、俺が最後に見た故郷の姿となった。
*
「……」
「あっ、起きてる! よかった、さすがに死んだかと思ったよ」
見慣れぬ石造りの天井に、五月蝿い声がわんわんと反響する。俺は鈍く痛む目を動かして、寝台の横からこちらを覗き込む男の姿を見上げた。
「わあ、潰れた目が復活してる。脚も生えてきたしさすが魔鬼族、元気元気だね。よかったあ。君が起きてくれなきゃ、また新しいメンバー探しをしなきゃならないとこだ」
「……シキ、とか言ったか。ここは魔王城か」
「うん、そう。ようこそ、我らが『明るく楽しい職場』へ!」
まだ満足に動けない俺を見下ろし、緑髪の男は心から嬉しそうに言った。結局この男が望んだ未来になってしまった──そんな失望に俺が重いため息を落とすと、シキは困ったように太い眉を下げる。
「あっ、ごめんはしゃいで! ようやくルーワイのわがままに一人で対応することがなくなるんだと思ったら、嬉しくてつい」
「……待て。お前は、あの男の従者や伝令役ではないのか」
「え、違うよ? 言ってなかったかい」
俺が見開いた紅い目いっぱいに、まぶしいほどの笑顔が映る。
「おれはルーワイ魔王軍四天王がひとり、『翠翔迅雷』のシキ。今日から君の同僚だ、よろしくね」
「……」
これが俺と、風変わりな魔族──『シキ』との出会いだった。




