sweet lipsにご用心(バレンタイン/ガルシ×カノン)
何事も気持ちだ、大丈夫。
そんな心意気だけはいつも十分で、ここまでやってきたけれど。
「カノン殿! ハッピー・バレンタインでござる!」
「……う……うん……?」
花月カノン、二十三歳。元アニメ声優の、現シンガーソングライター。
あ、最近では兼業で『魔王』もはじめました。
そんな私だけれど、さすがにこれは。
(むり……かも)
*
去年の暮れ頃からの私の人生は、ちょっと……いやかなり特殊だった。
とある事件がきっかけで知り合った、海外から来たという二人の兄弟。お兄さんは強くて海外俳優みたいなイケメンさんで、弟さんは大福みたいなほっぺを持つ心優しいクリエイターさん。私の音楽活動や日々の生活に彩りを与えてくれる二人に、私は恋をした。
そう──『二人の男性』に、恋をしてしまった。
自分でも信じられなくて、少し混乱していたとも思う。だから曖昧な態度をとり、彼らと妙な溝を作ってしまった。でもそんな時、馴染みの居酒屋で働いていた『元魔王』さんに叱咤激励されて、『勇者』と命をかけて戦っていた『四天王』さんたちの元へダイブして、実は例の兄弟たちが海外どころか『異世界』から来た『魔族』でしかも同一人物だったと知って、アリーナの天井に届きそうなほどの巨大ロボと戦ってワンマンライブをした。
結果、私は地球の平和とひとりの『彼氏』を手に入れたのだけれど……伝わったかな。たぶん無理だよね。私もあの戦いから一週間が経った今でも、時々夢の中にいるような気分になる。『彼』風に言うなら、「詳しくは本編参照でござる!」ってところかな。本編ってなんだろう。
ずっと悩んでいた『不純な女』問題から解放された喜びや戦いの余韻、それから賑やかな仲間たちとの交流が楽しくて、私はすっかり忘れていた。そう、まったりしている暇なんてなかった──次の戦いが、すぐそこに迫っていたんだ。
『カノンちゃん、バレンタインはどーするの?』
スマホ越しに聞こえたその親友──手短に紹介すると、私の高校時代からの友達で、今は声優界若手トップを務める美少女。そして実は、元は異世界の『勇者』さまだった人──の声に、私は新曲の歌詞を書き殴っていた手を止めた。
「バレンタイン? えっ……あ、うそ! 明後日だ!?」
『その声は、なんにも用意してないヤツだね。そんなことだろうと思ったよ』
「わ、どうしよう。忘れてた」
『素直でよろしい。ボク、明日の午後のスケジュールを少し空けてあるんだ。よかったら一緒に作る?』
「本当!?」
私はボールペンを投げ出し、スマホ画面に飛びつく。四角い世界の中にいる彼女がきょとんとしたのち、見慣れた犬歯をのぞかせて苦笑した。例の戦いの中で実は彼女にもたくさんの事情があったことを知ったけれど、やっぱりこの子は私の大事な女友達だ。
『ボクもあんまり料理は得意じゃないよ。でも去年、番組の企画で本場のショコラティエに簡単で美味しいチョコ作りを教わったんだ』
「すごい! 本当に簡単なの? 私も料理は自信ないけど」
『チョコを溶かして、好きな具を入れて丸めて固めるだけだったよ。ショコラティエも卒倒するような美味しさのができちゃって、そりゃもう現場はどっかんどっかんだったんだから!』
隙間なく美容パックを貼り付けた顔でふふんと笑う様子も、なんだか可愛い。私は画面に向かってパンッと手を合わせた。
「ご指導お願いします、ユノ大先生っ! ガルくんにはいつも美味しいお料理を食べさせてもらってるから、たまにはびっくりさせてあげたいです!」
『……ちぇ、幸せな魔族。思えばカノンちゃんは現『魔王』なのに手を貸すっていうんだから、ボクも相当な『お人よし勇者』だよねぇ』
「だ、だめ?」
そうだった。一応彼女は私の『彼』──うーん、この言い方はまだちょっと恥ずかしいかも──や、同じ魔族の友人たちとは対立関係にあるんだった。
けれどパックを剥がしたつやつやとした顔の中で、海のような蒼い瞳を細めて『親友』は笑った。
『勇者は、乞い願う民の声を聞き逃さない。明日、道具持ってそっちに行くよ』
「ありがとう、ユノ!」
お礼を言うのに夢中になっていた私はその時、知る由もなかった。
その企画の収録回はそっと業界の闇に葬られ、永遠に放映されることはなかったという事実を──。
*
「ゆ、ユノ……この湯煎って、やり方合ってる? いつ溶けるんだろう」
「あれ、おっかしいなぁ。もっとお湯足してみる? ていうか温度上げればいっか。えい」
「ひゃ、あつっ!」
「わーごめんっ! って、焦げくさっ! やば、火炎魔術じゃ強かったかな⁉︎ じゃあ氷魔術で」
「つつ、つめたっ!」
そうして始まったチョコ作り大作戦は、やっぱり困難を極めた。確かに工程だけを説明すれば、溶かして具を入れて丸めるだけ。でもいつもバイト先の惣菜やコンビニ弁当、そして『彼』の美味しいお夕飯に世話になりっぱなしの私からすれば修羅の道だ。
「具って、何入れるものなの?」
「やっぱそこでオリジナリティ出さなきゃじゃん? 定番のも用意してあるけど色々買ってきたから、カノンちゃんの世界観でやっていいよ」
「そうなんだ。イカとかタコとかネギとか、たこ焼きみたいだね」
「そういうのが当たると、逆にラッキー感あるかなってさ。ほら、どこかの国でもお祝いのパイの中に小さい玩具を入れたりするし」
「なるほど……!」
たしかに、料理の腕に覚えがある人を驚かすには意表を突くしかない──気がしてきた。私はいっそう強くエプロンの紐を締め、古今東西の具材が積み上がった作業場を睨む。
「よし!」
気合いに満ち溢れていた私はこの時、知る由もなかった(その二)。
マンション隣室の住人さんが、「となりの部屋から異臭がする」と警察に電話をするべきか本気で迷っていたということを──。
*
そしてバレンタイン当日──ちなみに往生際悪く、つい先程まで新しい味のチョコを模索していたりした──である今日。彼のアパートを訪ねた私は、いつも通り小綺麗な室内に充満する甘い香りを前に立ち尽くしていた。
「ガルくん、こ、これって……」
彼が仲間たちと部屋呑みする時に活躍する大きめのローテーブルの上には、ところ狭しとスイーツが並んでいる。チョコの薔薇細工を乗せたチョコケーキにチョコドーナツ、チョコチップクッキーやいちごチョコタルト。中央にそびえるタワーはなんとチョコレートファウンテンだ。食べ放題のお店にあるのしか見たことないやつ。
「本日は日頃の感謝を込めて、拙者の全力を尽くした菓子の数々をご用意したでござる。食い倒れていってくだされ、カノン殿!」
嬉しそうに弾んだ声に、私はぎこちなくこの部屋の主を見上げた。逞しい身体がまとったエプロンはかわいい柄なのに、相変わらずよく似合う。柔らかそうなクセのある金髪をふわりと揺らし、彼──ガルくんはにっこりと笑った。
「でも、バレンタインって……」
「キティ殿に言われたのでござるよ」
太い腕を腰に当て、ガルくんは気持ちやや高めの声で四天王仲間の真似をした。
「『アンタ、今年はカノンちゃんからチョコがもらえるだろうなんて考えにあぐらをかくんじゃないわよ。そんな待ちの姿勢なんて、もう古いんだから。世界的にもバレンタインは、男から感謝を伝えるのがスタンダードよ!』──と」
「キティさんたら……」
さすが外国──いや、異世界からやってきた人たちだ(ひとじゃないけど)。女の子からチョコをあげて当然という考えで育ってきた私とはちがう。
「紅茶のご用意もまもなくでござる。ささ、座ってくだされ」
「う、うん」
促されるままにラグの上に座って、私はハッとした。いやこのパターンじゃ、いつもと変わらない。けれどプロ顔負けのスイーツの数々は、私の目の前で光り輝いている。うっ、すごい……!
「アールグレイだ。こちらのポットはアッサム、ミルクティー用である。菓子によって組み合わせを愉しむがよかろう」
「わあ、ありがと……って、善太くん!?」
「うむ。久しいな、花月カノンよ」
優雅な手つきで紅茶をサーブしてくれた高校生を見上げ、私は驚いた。黒髪に涼しげな目元を持つ彼はどう見てもこの国の高校生だけど、実はガルくんたち魔族のボス──つまり私の前に『魔王』をしていた人だ。
「買い出しに赴いたスーパーで、ちょうど善太殿に出くわしましてな。菓子作りに興味があるというので、手伝ってもらったのでござる」
「うむ。非常に学びになったぞ、ガルシ」
「こちらこそでござるよ! 普段から料理に親しんでいるだけあって、驚きの上達速度でしたな。生クリームなど、ハンドミキサー要らずの仕上がりでござった」
魔界ではいろいろあったらしい二人だけど、同じアニメファンであることから戦いの後はすごく仲良くなったと聞いた。善太くんはチョコの飛びハネひとつない白シャツの襟を整え、三段に積み上がったプレゼント用のボックスを抱えて立ち上がる。
「では我はこれで。ユノの居場所をつきとめて、この『我セレクトチョコスイーツセット』を渡さねばならんのでな」
「あ、ユノなら今日は家にいると思うよ。昨日一緒にチョ……遊んで、疲れちゃったらしいから」
「何!? ま、まさか花月よ、彼女と一緒にチョコ作りをしたというのか!? 好きなメンズのトークなどに花を咲かせつつ、高鳴る気持ちをトッピングして彼へのヒミツの想いをラッピングしてきたというのか!?!?」
「そ、そうだけど──っ!? 改めて言わないでくれるかな!?」
なんだかいつもガルくんがしているみたいなツッコミを決めてしまってから、私は焦げついたキャラメルみたいに固くなった。ガルくんも目を点にしている。
「つまり推しの手作りチョコという至宝がこの世界に存在するというわけだな! うむ、なんとしても入手せねば。ではな、若人ども!」
ばびゅんという効果音を残しそうな勢いで、荷物を抱えた高校生が部屋を出ていく。残されたのはトクトクとチョコファウンテンを流れ落ちる滝の音と、お互いに目が合ったまま動けない私たちだけ。
「か、カノン殿……。今の、話は」
「えっ、えっとね! あはは、ごめん。私も作ってきたんだ、一応……その、チョコ……みたいなの、を」
シンガー失格って言われても仕方ないほど、最後は声がひっかかってしまう。私のバッグに入っている『ソレ』は、善太くんが言うような素敵なお品物じゃない。小学生だってもっとマシなものが作れるはずだ。
(こんなの、出せないよ……)
いまだ肩にかけたままのバッグの持ち手を、ぎゅっと握る。こんなことになるなら、バイト先のデパートで洒落たチョコを買ってくるんだった。それでも目の前のスイーツのほうが美味しいかもしれないくらいなのに──。
「──カノン殿」
穏やかな声に、いつの間にかうつむいていた私はゆっくりと顔を上げた。大きな身体で行儀良くラグに膝をついたガルくんが、静かに私へと手を伸ばしてくる。えっ?
「拙者の推理が外れていなければ……つい先ほどまで貴女は、なにか菓子作りに奮闘されていたのではござらんか?」
「!」
彼の太い指が、バッグの持ち手からそっと私の手を外す。絆創膏と赤くなった傷が目立つ、不器用者の情けない手だ。
「これは、湯煎の時にこしらえた火傷。こちらはフルーツナイフなどで切った小傷ですな」
「どうして……」
「分かるでござるよ。ギターを弾くために大事にしているカノン殿の指先が傷ついた場面など、見たことがありませぬからな。それにまだ、指先にココアパウダーの香りがわずかに残っておりまする。あとなぜか、海鮮類の香りも」
そう言って彼は、太い眉を下げて微笑んだ。呆れているんじゃない。色白な頬も、金髪の下から見えている耳も、いつもより赤く染まっている。照れているんだと気づいて、私の頬もぼっと熱を帯びた。
「そ、その……。次の推理は、外れていたら笑い飛ばしてほしいのでござるが」
「……うん」
「貴女がそこまで苦労して作り上げた、唯一無二の菓子。それを手にすることができる幸せ者は、もしや……目の前にいるのではござらんか?」
オフモードでコンタクトを外している彼の瞳は、本来の色である綺麗な満月の色をしている。控えめだけど、その目はきらきらと熱っぽく輝いていた。もう、そんな目をされちゃ降参するしかない。
バッグから取り出した小箱を差し出し、私は観念して言った。
「……正解です。はい、ハッピーバレンタイン。ガルくん」
「──っ!」
震える手でそれを受け取ったガルくんは、大事なお供物みたいに机の端にそっと置いた。一度深々と手を合わせて拝んだ(?)あと、瞬時にスマホを取り出してどこかへ電話をかけはじめる。
「あ、アスイール⁉︎ 百三十年くらい前に研究なさっていた『物質永久保存魔術』、すぐに拙者に伝授してはくださいませぬか⁉︎ 絶対に失ってはならないお宝を入手したのでござる‼︎」
「が、ガルくん、落ち着いて。アスさんお仕事中でしょう。怒られるよ」
私の心配通り、すぐに用件を悟ったらしいアスさんの怒号がスマホ越しに届いて、一方的に通話が切られた。しゅんと丸くなった彼の大きな肩にそっと手を置いて、私は苦笑する。
「取っておこうとしてくれる気持ちは嬉しいけど、食べてほしいかな。チョコだし」
「そ、そうでござるな! しかしカノン殿の手作りチョコ……な、なんというお宝……っ!」
「ガルくんのこのお菓子たちに比べたら、超下手くそだよ。笑ってね」
「そのようなことは絶対にござらん!」
彼の大きな手が私の両手を包み込む。ずずいっと近寄ってきた端正な顔には、真剣な表情が浮かんでいた。いつもふにゃりと笑っていることが多い彼が見せたその凛々しい顔に、正直者の心臓が跳ね上がる。
「もちろん拙者、人生初のチョコ獲得に浮かれている自覚はあり申す!」
「が、ガルくん……」
「しかし何より! ご自分で苦手だと思っている行為を、拙者のためにやり遂げてくださった──貴女のそのお心が嬉しいのでござるよ。ありがとうございまする、カノン殿!」
そう言って彼は、言葉通り本当に嬉しそうに笑った。私を何度も励ましてくれたその笑顔に、こちらもつられて口角が上がってしまう。
彼が奥ゆかしい日本人じゃなく──ましてや人間でもないから、とかじゃなくて。
きっとこれが、彼という存在なのだと強く思う。そしてそれが、たまらなく愛おしい。
そう思った瞬間には私は上体を乗り出して、彼にキスしていた。
筋肉でいっぱいの身体とは違う、シフォンケーキみたいな柔らかな感触。
「~~ッッ⁉︎」
「──これは私の、勝手な推理なんだけど」
大きな手で口を覆って真っ赤になっている彼に、私はにやりと笑んで自分の唇を行儀悪く舐めた。ちょっと『魔王』っぽいかも?なんて。
「あなたはついさっきまで、お菓子の最後の味見をしていましたね? 唇に、上質なチョコレートの痕跡が残っています」
「かっ……カノン殿おおおおお‼︎」
「ふふっ! あはは」
締まらないオチで申し訳ないけど、これが私と彼のはじめてのバレンタインの話。
あ。本当のオチは、このあと私のチョコを食べて顔を青くして倒れたガルくんのために結局アスさんに来てもらった……って部分になるのかな。
けどそれはまた──できれば永遠に来てほしくないけど──別の機会にでも。
ハッピー・バレンタイン!




