最終話 拙者と推しの、ラブソング。
蒸し暑い夕暮れ。早足にやってきた夏と人々の熱気によって温められた、屋外ライブ用ステージ。それぞれ推しのバンドや歌手のカラーで武装したファンたちの最前列で、ブルーTシャツに身をつつんだ拙者は小さくなっていた。
「やはり身の丈百九十もある巨漢が最前列に居座るのは、後方の皆様からするとヘイトの対象ではござらんか……?」
いくらこの野外堂が扇状とはいえ、満席となった客席の最前列というのはそれなりに緊張するものでござった。拙者の右隣の席から、ふんと鼻を鳴らす音が聞こえる。大きなサングラスと青いキャップで変装した美少女が、細い足を組んだまま言った。
「んじゃうしろのほうにいけば? ボクは絶対ここにいるけど」
「ということは当然、我も居ることになるな」
「お前はどっか行け」
少女のとなりに陣取っている青年が、黒い瞳を光らせている。拙者の左隣から、同じく青色グッズでコーデを統一した同胞たちが身を乗り出した。
「そろそろカノンちゃんの番じゃない? ああ、緊張するぅ」
「なんでお前が緊張すんだよ」
「あんただってさっきからずっとビンボーゆすりしてるじゃない」
「はは、皆落ち着け。おっ、花月君が出てきたぞ。うちわの用意だ!」
「!」
リーダーがさっと取り出した推しグッズを見、拙者たちもそれぞれ膝においていたうちわを両手に持つ。夕暮れの会場のいたるところで、青のペンライトが蛍のように輝きはじめた。
『皆さん、こんばんは──花月カノンです!』
手を振りながら、黒髪のシンガーがステージ中央に歩み出る。フェスの公式Tシャツに身を包んだ美女を迎える大きな歓声に、拙者の鼻がツンと痛くなった。
(あの日からもう、ずいぶん経ったような気がしますな)
*
「というわけで! 本日は『世界滅亡回避おめでとう記念飲み会』だ! 皆、改めて──お疲れ様!」
「おつかれさまーーっ!!」
カァン、と高らかにジョッキがぶつかり合う。こぼれかけたビールを急いで口元に引き寄せ、全員がぐびっと喉を鳴らした。
「っっかーー!! 世界を救ったあとのビールも、なかなかイケるわね!」
「なんだよ、そりゃ。でもまあ、美味いのは否定しねえが」
巨大ゴーレムを撃破し、無事にコピー空間から帰還した夜。拙者たちはそのまま、いつもの居酒屋へとなだれ込んでいた。善太殿の計らいで、普段は宴会でしか使用できない大座敷を急遽貸切にしてもらっている。
その高校生店員にして元魔王殿は、新たなジョッキをドンと机の上に並べて笑む。黒Tに前掛けを締めた姿はやはり、拙者たちがよく見知ったスタッフさんそのものでござった。
「遠慮せずに呑み、食らうがいい。今晩は我の奢りだ」
「高校生に奢ってもらうっつーのは、どうだかな……。っておい、学生が酒を飲むな!」
「酒ではない。こんなものはソフトドリンクだ」
「お前の定義ではだろ。ったく……」
まだ少しぎこちないが、我々四天王と善太殿の距離はかなり縮まってきているように思える。拙者は帰り道すがらすでに『らぶ♡ぎぶ』トークで盛り上がったので、彼とはもう戦友-とも-のようなつもりでいるのでござるが。
「ユノ、大丈夫? お酒弱いんだから、無理しなくていいのに」
「やだぁ……。今日は呑むぅ……」
そして拙者の隣席にて展開されている、美女と美少女の眩しい構図。すっかりいつもの『ボクっ娘』に戻った元勇者殿は、据えた目をじろりと拙者たちに向けた。
「うぉい、呑んでるかあ、四天王ぉ……。くく、最後の美酒を味わうがいい……そろって寝首をかいてやるぅ」
「それ先に言っておくものではないと思いまする、ユノ殿」
「うるしゃぁい、ガルシぃ!」
ジョッキを振りかざした美少女は、びしっと拙者を指差して糾弾した。
「お前っ、ごーれむ倒したあと、カノンちゃんとちゅーしてたろぉ!」
「う」
「その手の早さ、やっぱり魔族じゃないかぁ! ぜったい、ぜった、い……ゆるさぁん……ぐぅ」
「ユノっ!?」
ふにゃりと崩れるように後ろに倒れていく美少女。すぐに飛んできてその背を支えたのは、敏腕店員殿でござった。
「まったく。愛い奴よの」
ジョッキを宙で的確に捕まえ、同時に折り畳んだ座布団をすばやく酔いどれ客の背に差し込む。小さな身体をそっと寝かせたその手際の良さに、拙者は拍手を送った。
「や、やはりユノ殿は、拙者のことを嫌っていらっしゃるのでござろうか……」
「そんなことないと思うよ。ユノは本当に怒ったら、口もきかないから」
「へー、そうなの。可愛いじゃない。今度女子だけで遊びに行きましょ」
「いいですね!」
枝豆をつまみながらはしゃぐカノン殿と姐御を見、拙者もつられて笑う。
「しかしなんとも不思議ですな。魔王に勇者、四天王と人間──そのメンツがすべて、こうして同じ卓についているとは」
拙者の発言に、お互いがちらと飲み会の面々を見回す。それぞれ少しずつ顔に擦り傷や火傷などを負ってはいるが、全員が元気であることは喜ばしきことでござった。
「……花月カノンよ。これからもお前は『魔王』の地位を降りぬと聞いたが」
「うん」
静かに尋ねる高校生に、カノン殿が小さくうなずく。彼女が色白の手の甲に視線を落とすと、美しい紋がふわりと浮き上がった。それはもちろん、拙者たち四天王の手の紋と通じている。
紋を刻む場所を全員の手の甲と定めたのは、彼女自身でござった。
『どこでもいいんですか。「魔王紋」をつける場所』
『ああ、構わねえよ。……あまり変な位置は正直、困るんだが』
『じゃあ、手がいいな。「友達」はやっぱり、握手するものでしょう』
あの控え室での出来事を思い出すと、拙者の心はいつも温かくなる。ほっこりしている拙者のとなりで、その新しき魔王殿は言った。
「私が歌うと、みんなに魔力が行き渡る。この世界で暮らすのにはとても役立つこと……だったよね、ガルくん?」
「もちろんでござる。主に、アス殿の負担が相当に軽減されますな」
「助かるぜ。これで心置きなく、遅れた業務分の残業ができる」
「哀しき社畜の発想」
兄貴分に頬をつねられている拙者を見、リーダーが串を頬張りながら問う。
「それで、ガルシ。式はいつ行うんだ」
「ふぇ」
「あー、そうだった。早めに計画立てろよ。仕事との兼ね合いがあるからな」
「うん、そうね。二次会の会場も押さえなきゃだし」
「いっそ海外でもいいんじゃないか? 星城くんも参加しやすいだろう」
わいわいとにわかに盛り上がりを見せる大座敷。拙者が酔いとは別の赤みに顔を染めていると、となりの美女がきょとんとした声を上げた。
「えっ? 誰かご結婚されるんですか?」
「「「「え」」」」
「わあ、おめでとうございます!」
ぱあっと顔を明るくしたシンガーを見、姐御がすばやく笑顔で挙手した。
「カノンちゃん。ちょーっとそこの勇者アイドルの様子見ててくれる? 寝たまま吐いたりしたら、危ないから」
「え? あ、はい」
「四天王、集合ぉッ!!」
リーダーの声に、皆がザッと畳から腰を上げる。逃げ出そうとした拙者のパーカーのフードが姐御に捕えられ、ずるずると部屋の隅へ連行された。
「ちょっとガルシ、どういうこと!? カノンちゃんにプロポーズしたんでしょ!?」
「は、はい……」
「返事は!?」
「オーケーをいただいた、と思っておりましたが……」
円陣を組んだまま、兄貴と姉貴分たちが一斉にシンガーを見る。親友の背中をさすっている彼女には、照れの一片もない。
「おい、まさかあの魔王……求婚されたと思ってねえんじゃないのか」
「そうなのか? でもガルシの申し出はまさにソレだったぞ」
「阿呆か貴様ら」
いつの間にか円陣の隅に姿を現した高校生に、拙者たちは揃ってぎょっとする。さすがの元魔王。
「人間は──とくにこの国の者たちはな、いきなりプロポーズされるとか微塵も想定しておらぬのだ」
「えええ!? 気持ちが通じ合ったら結婚以外ないでしょ!? あたしはそうだったわよ!」
「それは例外だ。まず男女交際という過程があるであろうが。カレカノだ。魔族では滅多に見ぬ様式だが、人間たちには重要な段階であるぞ」
呆れ顔の善太殿──そういえば彼は、人間社会で十八年過ごしている大先輩でござった──の言に、拙者たちは顔を見合わせた。
「しかもあのように堅苦しい言い方で伝えおって。あれでは今の若者には到底伝わるまい。難しくて結局、これからもよろしくね程度のニュアンスで着地であろうよ」
「と、ということは……拙者はまたいつか、カノン殿に気持ちをお伝えせねばならぬと?」
「うむ。まずはもっと、お互いに理解を深めるのが肝要ぞ」
サラァと砂になりそうな拙者を見上げ、モテのオーラを放つ高校生殿は悪いお顔で告げる。
「まあ、焦らずとも良いではないか。お前が言ったとおり、我らはこの世界を思う存分『エンジョイ』するのであろう?」
「!」
「であれば、またここからしばらく──恋だの愛だのに揉まれ悩むのも、悪くなかろうよ」
拙者の落ち込んでいた心が、その言葉にふっと軽くなる。黄金色の液体に満たされた新たなジョッキを掲げ、拙者は仲間たちを見回した。
「──そういうわけでござる。皆、また応援よろしくお頼み申す!」
「んもー、何よそれ。まあでもいっか、また恋バナ聞けちゃうし」
「今度は温泉宿デートで攻略でもするか」
「はは、また楽しくなりそうだな。でも今日はとりあえず──」
同じ紋を刻んだ手が、冷たいジョッキの持ち手を握りしめる。リーダーに目で合図され、僭越ながら拙者が音頭を取った。
「この素晴らしい世界と恋、それから最高の友に! ──かんぱーいっ!!」
*
これがこの世界定番のおとぎ話であればきっと今頃、拙者は美しき花嫁を抱いて赤い絨毯の上を歩いていたかも知れぬ。
「うおおお! カノン殿おおぉーーーーっっ!!」
しかし現実は──拙者が転がり落ちたこの世界では、物事はそう上手くは運ばない。拙者は魔族でアニヲタで、魔王と勇者という友がいて、ついでに人間に恋なんかもしている。そんな奇妙な取り合わせではもちろん、トラブルが尽きる気配などなく。
『みんな、ありがとう!』
マイクをつけたシンガーが最前列の拙者たちを見つけ、大きく手を挙げる。拙者たちはラメ仕様のヲタうちわを振り、推しに力いっぱいのエールを送った。
上等ではござらんか。
せっかく訪れたこの世界を、拙者たちは──拙者は、骨の髄まで楽しみつくす所存にござる。
『じゃあ、聴いてください。すべての恋する人へ──「In love」!』
だからこの先も拙者は、いつも最前列で聴くでござろう。
推しが歌う、ラブソングを。
<拙者と推しと、ラブソング。 ― 完 ―>
本作品をお読みいただき、ありがとうございました!
アニヲタ魔族と元アニメ声優シンガーの恋、楽しんでいただけましたでしょうか。
こんなよくわからない作品でもコンテスト参加などしておりますので、もし少しでも面白かったよ!と感じられましたら評価や感想をお送りいただけますと大変励みになります。
また本編としてはここで完結ボタンを押させていただきますが、このあと『Bonus track アニヲタ魔族と、愛しき日々たち。』が続きます。バレンタインや四天王の結成時のお話など、本編読了済みの方だからこそお楽しみいただけるお話をご用意しました(今後も増えていく見込みです)。
よければそちらもお楽しみください♡
すべての恋する人たちから、幸せなラブソングが聴こえてきますように。
またどこかの作品でお会いできましたら幸いです。
ではでは!
文遠ぶん




