第44話 主人公はココロですとも
大きく削り取った氷塊が浮遊魔術をまとい、拙者たちの頭上に浮いた。氷の手すりを完備したその足場の中央から、ぱきぱきと細い氷の柱が立ち上がる。それは、美しい流線の細工が施されたマイクスタンドでござった。さらにどこからか現れた白と青のリボンが、手すりとスタンドに華やかさを添える。
「きれい……!」
「キャッツーランドのパレードカーも驚きですな、これは」
歌い手と共にゴーレムに近づくための、スペシャル飛行ステージ。同胞たちのコラボレーション魔術によって生み出されたその舞台を見上げ、カノン殿は感激した様子で言った。
「ありがとう。アスさん、キティさん」
「のびのび歌ってもらうためにはやっぱ、アガるステージがないとでしょ。ブーツはばっちり防寒仕様だから、安心して」
「移動中の警備は他の奴らにやってもらうが、落っこちねえようにしろよ」
「行って参るでござる」
豪奢なドレス姿のカノン殿を抱え、拙者はステージに飛び乗った。マンガのようにツルツル滑るのではと思ったが、そこはさすがの姐御。いつの間にか深い青の絨毯が足場を覆っている。
「オレは浮遊術のサポート、キティはその護衛。メラゴと善太と勇者は、道中の雑魚ゴーレムの排除。ガルと花月の役目は──わかってるな」
「はい」
「行ってらっしゃい、二人とも! ぱぱっと世界、救っちゃって!」
魔術師と姐御が宙に手をかざすと、拙者とカノン殿を乗せたステージが上昇する。その周りを飛ぶのは赤、黒、白の光。それぞれの得物で襲ってくるゴーレムたちを難なく薙ぎ払う姿はまさに、世界一頼もしいボディガードたちと言えよう。
スーツに大太刀という何やらアコギな取り合わせとなったメラゴ殿が、楽しそうに拙者を見た。
「ガルシ! 緊張してるか?」
「あ、当たり前でござる! だれか胃薬出す魔術知りませぬか?」
「はは! そういう時は手のひらに人という字を書いて食うといいらしいぞ」
「貴方が言うとただの人食い鬼でござるが!?」
ばたばたと後ろに引っ張られる金髪を押さえ、拙者が叫び返す。牙を見せてふっと笑んだあと、我らがリーダーは紅い目を細めてこぼした。
「不思議だな。まさか俺たちが、人間の世界を守る日が来るなんて」
「……そうでござるな」
ここが元の世界であればきっと、事を為せたとて賞賛の声は挙がらぬでござろう。しかしこの世界での拙者たちは、もう『悪役』ではないのかもしれない。
「いいではござらんか。ただのヲタクとアクション俳優に、サラリーマンと主婦。そんなメンツが世界を救うだなんて、映画にでもなったら面白いかもしれませぬぞ!」
「──そうだな! 戻ったら、知り合いの脚本家に言ってみよう。じゃあ、また後でな!」
「了解!」
飛来してくる中型のゴーレムに向かっていくリーダーと入れ替わるように、残りの護衛たちが飛んでくる。
「ガルシッ!! カノンちゃんに擦り傷ひとつ負わせてみろ! 生まれてきたことを後悔させてやるからな!」
「フフ、ユノよ。それは立派な悪役のセリフではないか。やはり愛い」
「近くを飛ぶな! 一緒に斬るぞ!?」
「そなたになら斬られても構わぬ。一度首を差し出したではないか」
しばしの共闘を経て、そのやりとりにはなにやら磨きがかかっているような気さえした。これも拙者にとっては、十分不可解な光景でござる。どんなファンタジーでも世界一分かり合えないはずのふたりが、こうして同じ方向を向いて剣を振るっているのですからな。
「この敵の群れを抜けたら、あとは本体まで一直線だ。カノンちゃん、頑張ってね!」
「うん。ユノも、気をつけて」
「ガルシよ。すべてを終えたあかつきには、我が店の焼き鳥フルコースを振る舞おうぞ。飲み放題つきでな」
「承知! その時は朝まで『らぶ♡ぎぶ』語り、付き合っていただきますぞ!」
善太殿がフッと笑い、漆黒の剣を掲げる。昔と変わらぬはずのその黒い光も、どこか柔らかくなったように思えてしまうから不思議でござるな。
「──いよいよですな」
戦いの喧騒が遠のく。飛行ステージの航行が緩まり、拙者とカノン殿は目標物の正面にたどり着いた。手足を失おうともゴーレムは相変わらずの巨大さでござったが、不気味なほどの昏い魔力をまとって沈黙している。
「曲はどういたしまする? もう歌いたいものは決めてあると」
「……これなの」
「?」
カノン殿から受け取ったスマホ。画面内に表示されている音楽データには、固有の名前がない。拙者はハッと目を丸くした。
「まさかっ……し、新曲でござるか!?」
「うん」
「うおお、なんという光栄! アリーナ内に響き渡るよう拙者、全力で拡声いたしまするぞ!! ああ、青のペンライトが欲しいでござる」
うきうきしつつ、マイクスタンドの下部の窪みにスマホを固定していた拙者。そこへシンガーの静かな声が落ちる。
「ありがとう。──でも、いいんだ。聴いて欲しいのは、ガルくんだから」
「え……」
『オ、オオオ……ッ』
「! ゴーレムが」
物哀しい咆哮と共に、巨大なゴーレムが震える。こぼれ落ちるようにして剥がれたガラクタたちが、こちらを目指して飛来してきた。もはや意志のある攻撃というよりは、子供ががむしゃらに投げつけてくるおもちゃのようにも思える。
拙者は氷の柵を蹴り、得物を掴んで宙へと飛び出した。
「流しまする! 歌ってくだされ!」
スマホが淡く輝き、柔らかなピアノの旋律が流れはじめる。やがて澄んだ歌声が、寄り添うようにメロディを追った。
『正しいことって、なんだろう。ひとつもわからなくて』
戦鎚を握る腕に、力があふれてくる。スーツが少し窮屈なほど、その魔力は拙者の身体の隅々にまで流れ渡った。長い金髪が脈動する魔力に呼応し、眩く輝く。呼ばずとも、雷の力が拙者の周りに集まりはじめた。
『心地よさだけを探して、こわいものには鍵をかけて』
奇妙にねじれた自転車を戦鎚で撃ち落とし、その回転を使ってぬいぐるみ軍団を蹴散らす。拙者は攻防の手を緩め、少し下方に浮かぶステージ上の歌姫を見た。
(この歌……!)
スタンドに設置したマイクに顔を寄せ、胸に手を添えて歌うシンガー。今は大舞台にふさわしき衣装に身を包んでいる彼女にふと、いつもの『カノン殿』の姿が重なって見える。
──今書いてるのは、そのっ……! ら……ラブソング、だから。
拙者たちの仲がいろいろ拗れる前、たしか彼女はそう言ってはいなかったか。もちろん曲作りには、ボツがつきものでござる。しかし拙者の頬に、かぁと赤みが差した。
「ぐあっ!」
一瞬の油断の間に、よりによって壊れた室外機などという大物ガラクタが拙者の腹に飛び込んでくる。いけませぬ、集中せねば。推しの集中を乱しては、ファン失格でござろう。
『毎日が宝探しだった。君がいると、ぜんぶ、宝石に見えて』
飛来物を打ち砕きながら、拙者は宙をじりじり進んだ。ひとつも横を通過させるわけにはいかぬ。ゴーレムが発する、臓腑に絡みつくような重い魔力。見向きされなくなった物体たちの無念でござろうか。
「……ッ」
隙を見せれば魔族といえど、その底なしの闇に引きずり込まれそうになる──しかし。
「すまぬでござる。拙者、そちら側には行ってやれませぬ。まだまだ大事な、推し活がありまするゆえ!」
手の甲に宿る新たな紋が、淡い青色の光を放って輝きはじめる。曲もサビ部分に到達したのか、ピアノが優しくも力強い旋律を奏でた。
『伝えたいんだ、今。言えなかったこと』
(拙者こそ)
血流のように巡る魔力の熱を感じながら、得物をゆっくりと大上段に構える。あらゆる方向から回り込むようにして襲いかかってきたガラクタたちを、戦鎚から迸った雷がバチチと閃光を上げてすべて破壊する。身体が熱い。
『わたしはとっくに、君のもので──』
(──拙者の魂は、貴女のもの)
拙者の全身から発せられた雷光が、巨大な戦鎚に宿る。
「うおおおおおおッッ──!!!!」
渾身の力を込め、咆哮と共に一閃。硬い手応えが戦鎚を伝わり、その衝撃で拙者の身体中が軋んだ。しかしそこで歯を食いしばり、拙者は得物を握る手にさらに力を込める。
「でりゃあぁっ!!」
ゴーレムの装甲を突き破り、鎚が内部へ侵入する。中は広い空洞であった。そこに沈殿しているのは、黒い泥のように凝り固まった想いや恨み。しかしその魔力に負けない澄んだ光が、拙者を守ってくれる。迷いはなかった。
『もう探さない。ずっと、そばにあったから──』
闇の中にぼんやりと浮かんだ白い輪を見つけ、拙者は得物に最後の力を乗せて振り下ろした。
「砕け──ろおぉッ!!」
暗闇の中で、強大な魔力同士がぶつかる。しかしそれはかつての『歪み』を引き起こしたような衝撃ではなかった。ぴしりと音を立て、白い腕輪が砕ける。そこからこぼれたのは、涙のような淡い光。
「!」
ごごご、とゴーレムの巨体が不安定に揺れる。ラスボス時のお約束である大崩壊でござろう。拙者は戦鎚をカプセルトイサイズに戻し、みずから空けた大穴を駆け戻った。
「ガルくん!」
「カノン殿っ!」
ゴーレムを蹴って宙に飛び出し、拙者は飛行ステージの元へ。頭上から、ありとあらゆるガラクタたちが降ってくる。
「魔招輪は砕き申した! 退避しましょうぞ」
「待って!」
「!?」
珍しく強く言ったカノン殿を前に、拙者はぴゃっと背筋を伸ばしてステイする。あれ今の、もしや魔王『勅命』判定でござるか?
「っと……!」
氷の柵から身を乗り出し、歌姫は降り注ぐガラクタのひとつを手繰り寄せる。それは腹から綿がはみ出した、薄汚れたネコのぬいぐるみでござった。
「──ごめんね。こんなことしか、してあげられなくて」
「カノン殿……」
ぐらついているネコの首に手を添え、そっと胸元に抱き寄せる。黒髪が白い肩を滑り落ち、ネコの丸い手に触れた。
「忘れないから。私が、歌にするよ──あなたたちのこと。いつも一緒にいてくれて、ありがとう」
ガラス玉のようなネコの瞳は当然、何も映してはいない。しかし拙者の目には、その小さなボディにまとわりついていた黒い魔力が色を失っていく様がはっきりと映っていた。きっと我が魔王殿にも、見えているでござろう。
「だから、また……会おうね。歌の中で」
ぬいぐるみが白い光の塵になり、さらさらと崩れていく。宙を落ちていくほかのガラクタたちも、穴の空いた巨大ゴーレムも、すべてが静かに終わりを迎える。
「……やはり、カノン殿には敵いませぬな」
「そんなことないよ」
たくさんの光が細い螺旋を描いて登っていくのを見つめ、カノン殿は小さく頭を振った。そして拙者へと向き直り、微笑む。
「ガルくんも、かっこよかったよ。あんなに大きなハンマー、私には持つことだって出来ないもん」
「そ、それはそうでござろうが……」
「私は歌って、あなたは戦う。結構いいコンビなのかも、私たち。ふふ、本当にヒーローになっちゃった!」
その屈託のない笑顔に、拙者の胸が騒いだ。思わず口が、勝手に言葉を紡ぐ。
「コンビではなく、もっと他の関係では……いけませぬか?」
「え? っ」
青い衣装に包まれた身体を、そっと抱きしめる。いつかのテーマパークでも同じことをしたが、あの時はこんなに穏やかな気持ちではなかった。拙者は彼女の甘い香りをぞんぶんに味わい、目を閉じる。
「──貴女が『ラムネ』であった頃から拙者は、この世界で何度も助けていただき申した」
拙者にはカノン殿のように、作詞のセンスなどない。だから胸に込み上げる想いを、そのまま口に出すしかなかった。
「画面越しではなく、推しに直接会えるなどと。さらに共に曲作りに励むことができたなど、本当に……夢オチでないのが、毎朝不思議なくらいでござった」
「ガル、く……?」
「たくさん傷つけ、嘘をつき……忘れようともした。それでも拙者はやはり、貴女の姿を追ってしまうのでござる。きっとそれはこの先ずっと、変わらぬこと」
どこかの魔王のように、彼女の青いドレスの裾下にスマートに膝をつくべきだったかもしれぬ。しかし拙者は少し腰を折り、愛しい者の顔をより近くで見ることに決めた。
「……ガルくん……」
長いまつ毛の下にある漆黒の瞳が、拙者を見上げる。その視線を逃さぬまま温かなその細い手を取り、白い指に唇を寄せた。
「っ!!」
氷の上に立ち続けていたはずの彼女の頬が、ぶわっと薔薇色に染まる。ここ数時間乙女になりっぱなしだった拙者の、せめてもの仕返しでござる。これでも拙者、悪名高き魔族のひとりですからな。
しかし次の言葉は、けっして戯れではござらん。
「花月カノン殿──このガルシ、心からお慕いしております。どうかわが身を永遠に、その御心の傍に置いてはくださいませぬか」
「……!」
歌姫の瞳が震え、涙が溜まっていく。しかし彼女はいつものように眉をハの字にし、小さく笑った。
「ふふっ……すっごく、キザ!」
「せ、拙者もそう思いまするぞ!? しかしこれが一応、魔族の間ではスタンダードなワードチョイスゆえ──」
「そうなんだ。うん、すごく嬉しい」
「!」
あたふたしはじめていた拙者を前に、カノン殿は赤い頬を持ち上げて微笑む。
「私も、これからも……ガルくんのそばに、いたいです」
「──カノン殿っ!」
力加減に注意しつつも、拙者は喜びのままに愛しき人を抱きしめた。くすぐったそうに身じろぎしたカノン殿としばし笑い合うが、少し身体を離した瞬間に、ぱちりと視線がぶつかる。
「……」
なんでござろう、この空気。とある行動を決行しなければいけないという圧を、どこかからひしひしと感じる。
「……これは、人間界のほうでも……『そういうタイミング』で、間違いござらんか?」
「……うん。たぶんね」
少し照れくさそうな表情を浮かべた美女の頬に、そっと指を添える。ぴくりと震えた彼女でござったが、こちらに身を委ねるようにゆっくりと目を閉じた。薄く開かれた唇。互いの吐息の音だけが耳を打ち──。
──失敬。
ここから先は、カメラ撮影はご遠慮願いとうございまする。




