第39話 詫び・首・I will be
この異空間に外部から侵入するなど常人の仕業ではない、とアスイール殿は言った。それは拙者たちにとってはほとんど、「とある存在」を指すことと同義でもある。
それでも誰もが口に出すことを明確に避けていたその存在が、ついにアリーナに姿を現した──はず、なのでござったが。その予想外のお姿に、拙者たちは度肝を抜かれて瞠目した。
「ぜ……善太殿おおおっ!?」
「はい、おれです。いつも店に来てくださって、ありがとうございます──四天王の皆さん」
首がなくなったまま直立している超巨大ゴーレムの頂上に堂々と立っているのは、整った細面が爽やかな高校生店員殿。上から下まできっちりとボタンを留めた学ラン姿は、夕方の出勤時などに見かけることも多いお馴染みの出立でござった。
髪が真っ白になっており目が金色になろうとも、その落ち着き払った丁寧な態度はやはり、拙者たちが贔屓にしている居酒屋の店員さん、その人で──。
「う、う、うそよ……!! あ、あのかわいい男の子が、る、るるるる」
「……ちょっとこの一帯に、雨降らせていいか? 頭を冷やしてェんだが」
「これは……一本取られたな。まさか、彼が」
それぞれに拙者が見たことがないほどの狼狽を浮かべ、四天王の同胞たちが石になっている。痺れを切らしたのか、青年はざくりと剣をゴーレムの首に突き立てた。拙者たちが揃ってびくりと飛び上がる。全員があの剣には痛い目に遭わされているので、当然でござろう。
「──どうした? たった七年の別れで、偉大なる主の名も忘れおったか」
「……ルーワイ、様……!」
その尊大な言葉に、拙者の口からようやくその名が発せられる。青年の切れ長の瞳が、じろりとこちらを見下ろした。が、一瞬で不似合いな営業スマイルを浮かべて彼は言う。
「フッ、そう畏まらずとも良いぞ? 店で話していた時のように、ラフな呼び名で構わぬ。『悪辣上司』『パワハラ大辞典』『嫌がらせマイスター』、それから──」
「ああああ!! ま、マジに善太殿でござるうううう」
「わ、ガルくんっ!?」
拙者は恐怖の悲鳴を上げ、カノン殿を抱え上げると一目散に仲間たちの元へと退避した。ガタガタと震える拙者とキティリア殿の前に、珍しく冷や汗を浮かべた兄貴分たちが並び立つ。
「ちっ……。勇者と同じく転生している可能性は考えちゃいたが、まさか善太とはな。オレたちのこと、店で見張ってたのか?」
「いいや? お前たちが我が家を溜まり場にしたのは、単なる偶然であろうな」
「はっ! あの店の串が異様に美味いのはまさか、魔族を虜にする細工がされていて……!? なるほどいつも俺たちが食べすぎるわけだ」
「そのような小細工せんでも、うちの串は最高に美味いであろうが」
「ど、ドッキリよね? 善太くんが魔族だとしても、アイツとは無関係なのよね?」
威嚇する犬のように身を寄せ合って唸る拙者たちを見下ろし、制服姿の若者は腕を組む。拙者たちの誰もが恐らく、心中が凍りつくのを感じたでござろう。その顎の持ち上げ方に、尊大に傾けられた頭。
何千回と膝をつき、見上げることしか許されなかった──その姿は。
「我の以前の名は、魔界と魔族を統べし王──ルーワイである。久しいな、我が四天王たちよ」
「魔王ッ!!」
「!」
その正式な名乗りを聞いて飛び出したのは拙者たちではなく、勇者でござった。また亜空間から取り出したのでござろう、彼女の手には新たな得物──光輝く大剣が握られている。
多大な魔力を注ぎ込んで作ったゴーレムの修復など、眼中にないらしい。勇者は魔王の漆黒の剣に得物を正面からぶつけ、高笑いした。
「ははッ、待ちわびたぞルーワイ!」
「勇者よ。そなた、我の四天王に手をつけてまで戦いを再開したかったというのか? ずいぶん手の込んだことをする」
「そうでもしなきゃ、お前を戦いの場に引きずり出すのは無理だったろう? ボクと同じく完全に人間の身体に転生しているとしたら、探しようがない」
その持ち物とやらが、胸の『魔王紋』──つまりは拙者自身を指しているということに気づく。唇を噛む拙者を心配そうに見上げていたカノン殿が、小さな声で言った。
「ガルくん、大丈夫? 他の皆も」
「も……申し訳ござらん。善太殿……いやあの青年の魂は、かつての拙者たちの上司にあたる男のものなのでござる」
「『らぶ♡ぎぶ』の組織のボス『デスラータ』みたいな?」
「左様。拙者たちは事実、今もあの男の支配下にあるのでござる」
拙者はトーガの襟元を少しめくり、浮き出たままの『魔王紋』を見せた。カノン殿はそれ以上は追及せず、小さくうなずくだけに留める。誰もが固唾を飲み、ゴーレム上で相対する因縁の二人を見た。
「ああ、ようやくこの日が来た! 一度場を整えるか? ゴーレムや観衆たちには退いてもらって、アリーナを最大限に使おう! お前の分のマイクもあるから、存分に歌うといい! 二人であの日の続きをしよう」
「……えっと、二人は戦おうとしてるんだよね? ユノ、妙に目をきらきらさせてるけど」
「あ、あれが勇者なりの『お誘い』なのでござろう。この場では、歌が上手い者ほど強者ですからな」
たしかに一見すると、少女が背伸びしてかっこいい高校生をカラオケに誘っているような構図でござる。しかし魔王は長い脚を折り、彼女の前にひざまずいた。拙者たち四天王は、全員が顔を見合わせる──なんでござる、あれ。
「……賛成だ、勇者よ。この戦いは、我らだけで片がつく」
「──え?」
「我の首を取るがよい。抵抗はせぬ」
「!?」
なんの躊躇いもなく垂れた頭から覗く、青年の白いうなじ。勇者はそれを呆然と見下ろし、たっぷり数十秒の間を置いて掠れた声を落とした。
「は……? き、貴様、何を、言って」
「だから、我の首を落とせと言うておるのだ。それでそなたの悲願は達成されるのであろう」
「な」
「我が死んだあとは、魔王紋も消える。さすれば、あの四人はもう無関係だ。元々、我が無理に鎖に繋いでいた者たちでな──見逃してやってはくれぬか」
勇者にも負けない驚きの表情を浮かべ、拙者たちは目を瞬かせた。アスイール殿など、イケメンが崩れるほどむぎゅううと自分の頬をつねっている。
「ほ、本当にあいつ、ルーワイなのか……!?」
「さっ作戦に決まってんでしょ。勇者、油断しちゃダメよ! 風穴あけられちゃうわ」
「いやしかし、さすがにあの体勢は不利すぎるぞ。勇者がその気になれば、いつだって……」
仲間たちがさまざまな憶測を立てる中、拙者もその光景を食い入るように見つめた。しかし拙者には、魔王がいつもの汚い手段を企てているとは思えなかったのでござる。
「──我は十八年前、とある夫婦の赤子として目を覚ました」
「!」
首を差し出したまま、青年が静かに語りはじめる。少し魔力を混ぜて発しているらしいその声は、しっかりと拙者たちの元へ届いた。通常の聴力しか持たないカノン殿への配慮でござろうか。やはり、「らしく」ない。
「ようやく待望の子宝を得るも、死産だったそうでな。彷徨っていた我の魂は奇しくも、その空っぽの身体に宿ったというわけだ」
「……」
「我が産声を上げた時の夫婦の顔は、いまだに忘れられぬ。泣きながら笑う人間を、我は初めて目にしたのだからな」
拙者は気づかれぬよう、そっとシンガーの顔を見る。そういう顔なら、先ほど目にしたばかりでござった。
「そこから夫婦は、我に何不自由させることなく育て上げた。店を持ったばかりの夫婦は昼も夜も働き詰めであったが、お互いが支え合い、貧しいながらも我への配慮も欠かすことはなかった」
「やめろ……」
「ある日、店の手伝いをしていた幼き我に常連客が言ったのだ。『善ちゃんは本当に、愛されているね』と」
青年の髪が、この国ではポピュラーな黒色に戻る。端正な横顔の中、その瞳が薄く開いた。拙者たちをいつも快く迎えてくれる元気な店主夫妻と同じ、深い漆黒の瞳。
「笑うがいい。我はそこで、ようやく知った──いや、思い出したのだ。そうやって他人に想われ、またこちらも想う……そのような感情が、自分にもたしかにあったことを。遥か昔にそれは、とある女と共に消えたはずであったがな」
「やめろ、魔王……!」
「魔界でどんなに暴虐を極め、血を啜ろうとも……我の心は乾いておった。それがこの世界に来て、驚くほどに満たされたのだ」
拙者の心中にあるミーティングルームにて、二つの派閥が激しく言い争っていた。「なんと魔王にも愛が、おめでとう!」派と、「そんなモン今更持ち出されても信じられるか!」派でござる。同胞たちの表情を見るに、もっと様々な派閥が生まれているような気がする。
「我とそなたがぶつかれば、あの世界で起こったのと同じ『理の歪み』が起こるやもしれぬ。我はこの世界を──平和なこの国を、傷つけたくはない。ゆえに、静かな決着を望んでおるのだ」
「ふ……ふざけるなッ! 戦え、ルーワイ!」
「戦わぬ」
青年は雁首を差し出したまま動かない。わなわなと震えはじめたのは、勇者のほうでござった。
「そんなことが許されると思うか!? ボクたちは『勇者』として、『魔王』と戦うために生まれた。剣を握りもしない者の首を落として、皆の魂が納得するとでも」
「ならば気が済むまで痛めつけ、この身体を微塵にするがいい。我は歴代の勇者を、そうやって痛ぶったこともあるぞ」
「──っ、そうか……! そこまで言うならその覚悟、どこまで続くか見せてもらおうッ!」
光の大剣を握りしめる勇者の手に、ぐっと力が入ったのが見えた。その瞬間、拙者は雷を喚んでいた。文字どおりほとんど光速に近い疾さで、拙者は一瞬にして巨大ゴーレムの頂点へと躍り出る。
「善太殿ッ!!」
「!」
勇者が振り下ろした剣先が、拙者の耳と頬を掠めていく。腕に抱えた青年を巻き込み、拙者はゴーレムの上を横ざまに転がった。錆びたがらくたたちの上に、生暖かい血が点々と飛び散る。
「ガルシ!?」
地上からも拙者を呼ぶ叫び声がいくつも聞こえたものの、拙者は身を起こした青年だけを見返した。じんじんと痛む頬の傷に構わず、その呆然とした顔に叫ぶ。
「死んではなりませぬぞ、善太殿! ご両親がどれほど悲しまれるとお思いか!?」
「……ガルシよ、我の愚行を忘れたわけではあるまい? お前は今、もっとも憎き王を滅する好機を捨てたのだぞ」
「はて? それはどこかのラノベの話でござるか?」
「!」
青年の、普通にしていればモテそうな目が限界まで丸くなる。拙者は表面上の「年上」として、若者の素行を注意した。
「いけませぬぞ、厨二病を引きずっては。明日も学校でござろう? 早く帰って、癒しのネコちゃん動画など見て寝るのが良かろうかと」
「お前……」
「拙者が助けたのは、世話になっている居酒屋店主夫妻の息子さんでござる。もしも彼に不幸があって、悲しみのあまり夫妻が店を閉められたりでもしたら──拙者たちの憩いの場がなくなってしまい申す。それに」
勤務を開始して数百年。拙者ははじめて、その男に微笑んでみせる。
「そのお名前のとおり彼は、誰が見ても立派な──善き心の持ち主でござるよ」




