第37話 キャッチャー・イン・ザ・アリーナ
「オレとキティで衝撃を緩めてやる! 受け止めろ、ガル!」
「承知!」
補助を申し出る同胞たちの声を聞き終わらぬうちに、拙者は駆け出した。目標はもちろん、アリーナ内を高速落下していくシンガー。コンクリートに覆われた地面が拙者の命令を受け付けるかはわからぬが、地属性の術で足場を作って──などと計画している間に、全力疾走する拙者のとなりに紅い影が並んだ。
「急いでいるんだろう、ガルシ? 手を貸そう!」
「え、リーダー」
一瞬で拙者の前に飛び出したメラゴ殿が、正確にこちらの両腕をがっしと掴む。そのまま彼は赤く逞しい自身の脚を軸にし、大回転。ぐうんと世界が回り、拙者の足が地面を離れた。
「行ってこい!」
「おっ──おわあああ!?」
アリーナで突如はじまった新競技、『男子魔族投げ九十キロ級』。笑顔のリーダーに高速で投げ出された拙者は、鉄球よりも速い速度で宙を駆けた。目が回りそうになったが、たしかに一瞬で目標の姿が大きくなる。
「カノン殿ッ!」
二重──いや、三重でござろうか──の光の膜に覆われた彼女に両腕を伸ばし、しっかりとその身を抱き留める。衝撃緩和の魔術により不思議な手応えを感じつつも、自身に浮遊魔術を行使。下から押し上げられるかのような感覚ののち、ようやく二人分の身体を宙に安定させた。
「大丈夫でござるか!? カノン殿!」
光の膜が溶けるように弾けると、拙者の腕の中に人ひとり分の重さが落ちてくる。それでも軽い。いつもの紺色のダウンに身を包んだシンガーは拙者の胸に黒髪頭をあずけたままうつむき、ぴくりとも動かない。地面への衝突を想像して、気絶してしまったのでござろうか。
「……っ」
それであれば、まだいい。しかし分厚い上着に包まれた細い身体、そのすべての無事を確認してはいない。拙者は思考に絡みついてくる不吉な想像を振り払い、必死に呼びかけた。
「カノン殿、しっかりしてくだされ! カノ──、っ!?」
突然、鼻先にふわりと甘い香りが漂う。舌を噛みそうな勢いで口を閉じた拙者に、さらに予期せぬ出来事が襲いかかった。身を起こした彼女が両腕を広げ、拙者の首に抱きついたのでござる。
「か、カノン殿」
「──あなただったんだね。最初から、全部」
「!」
拙者はもちろん彼女に『魅了』をかけられたわけでも、力で劣っているわけでもござらん。しかしその細腕から逃れることは叶わなかった。温かい体温が宿る身体に抱きしめられたまま、拙者はその美しい声に溺れていく。
「あなたなんでしょう。あの日、私を助けてくれたのも。MVを作ってくれたのも。いつも励ましてくれたのも──ぜんぶ、あなただった」
「カノン殿……」
「聞いて」
ああ、と拙者の心中に、どこか諦観のようなものが芽生える。すべて知ってしまったのですな。それでももう拙者も、下手くそな嘘をつく気はない。このあとどんな罵倒の言葉や嘘への糾弾をいただこうとも、すべて受け止める覚悟にござる。
しかし身体を強張らせて判決を待っていた拙者の耳に届いたのは、予想外の告白でござった。
「バカな話なんだけど、私……『牙琉くん』と『ガルシさん』が、同じひとりの男の人ならよかったのにって、都合のいいこと思ってた」
「え……?」
理解が追いつかない。疑問を呈するため口を開こうとした拙者は、胸元にぎゅうと押しつけられた温かさに驚いて視線を下げた。
「迷うのは、当たり前だね。だって……同じひと、だったんだから……」
拙者の胸元に頬を押し当て、カノン殿は泣いていた。
泣きながら──笑っていた。
「ああ、もぉ……。びっくりしたあ……。はは、自分一人で私……やっぱバカだ」
ぽろぽろと涙をこぼしながら笑う彼女をしばし見つめたあと、拙者はハッとして異議を唱える。
「な、何を仰るのでござる!? 罵られて当然なのは、拙者のほうで」
「じゃあ、合ってた? 『牙琉くん』も『ガルシさん』も、同じひとって」
「同じにござる! しかしそれ以前に拙者、このとおり人間でもござらん。今だって宙に浮いているのですぞ!?」
「落ちるよりいいから大丈夫。キャッツーランドでも私、『シノギコースター』も怖がっていなかったでしょう?」
「むしろ最高にエンジョイなさっておりましたな! 圧倒的メンタル強者!」
「ふふっ」
拙者のトーガ風なファンタジー衣装に遠慮なく頭を預け、カノン殿は黒い目を細めて呟いた。
「ああ、その言い方やっぱり、『牙琉くん』だ……。それにパークの話もできるから、『ガルシさん』でもあって。なんか、へんなの。でも、すっきりした感じ」
気の抜けたような笑顔を浮かべる彼女を見下ろし、拙者は短く息を吐いた。乱れた黒髪や衣服にまとわりつく、冬の冷たい風の匂い。何者の仕業かはともかく、きっと恐ろしい思いをしたに違いない。
「……カノン殿」
それもこれも、魔族である拙者に関わったゆえに巻き込まれた結果。さすればこの笑顔に甘えるわけにはいかぬでござろう。
「『牙琉』も『ガルシ』も、拙者にとっては本当の姿であり、また時には偽りの姿でもあり申した。同一人物だとは、どうしても切り出せず……ずっと黙っていて、すまなかったでござる」
「……それより」
「それより!?」
拙者の決死の懺悔を軽々と受け流したカノン殿は、大きな黒目を少し険しくしてこちらを見上げた。
「どうして私に話してくれなかったの。人間じゃないことも、危険が迫っていることも──牙琉くんの、本当の気持ちも」
「そ、それは……自分が魔族であると話したとて信じていただけるかわからず、ただ引かれるものと。後者は、これ以上拙者に関われば、カノン殿に危険が及ぶのではと」
「半分うそ。怖かったんでしょう。本当の気持ちを打ち明けて、嫌われるのが」
「! なぜ……」
「わかるよ。だって、私もそうだったから」
拙者を見つめる美女の顔には、自嘲するかのような微笑が浮かんでいる。
「最近ずっと、『牙琉くん』も『ガルシさん』も気になってた。二人の男性が好きな気の多い女だって、思われたくなくて……すごくビミョーなことばかりしちゃった。駅とか、編集で部屋に行った時とか」
「カノン殿……」
「それで、お詫びじゃないけど、なにか牙琉くんに喜んでもらおうと思って……フェス出演の話を一人で決めたの。今日は、チケットを渡したかったんだ」
「ブログ、メッセージまで拝見し申した。お心遣い、ありがとうございまする」
こくんと一度うなずいて口を開きかけた彼女でござったが、しばしなにか迷った末に苦笑する。
「えっと……結局、本当のお名前は?」
「ああ、それは『ガルシ』でござる。本来は他人に教える名ではないのでござるが、あの夜の公園でうっかり名乗ってしまい」
「そっか。じゃあ、呼びやすいままでいい? ──『ガル』くん」
「! そ、それはもちろんでござるが」
呼び方は今までと変わらぬというのに、その名を聞いた拙者は奇妙な心地になった。この感覚は……『真名』を呼ばれている時と、同じ?
「じゃあ改めて。ごめんなさい、ガルシさん──ううん、ガルくん。私たち、また……仲良くできるかな?」
「む、無論でござる! 拙者こそどうぞ、よろしくお願いしまする!」
「うん!」
彼女がぱあっと笑うと、薄暗いアリーナの照明が強くなった気さえする。いや、気のせいではない。実際になにか近くに、明るいものが。
「仲良くなんかするな、バカ!」
「!」
背後から轟いたその咆哮に、幸せに満たされていた拙者の心が縮こまった。振り返ると、赤い光をまとってものすごい勢いでこちらに飛んでくる『勇者』と目が合う。応戦しようにも縮小させた戦鎚をしまっているのは、カノン殿の腰が密着しているポケットの中でござった。
「く──!」
宙の一部に現れた亜空間から勇者が引き出したのは、見覚えのある赤い大太刀。まずい、拳なら背中の一部の強化で防御できるでござろうが、アレは反則でござる。それでもとにかく拙者はカノン殿を庇ったまま、背中にありったけの魔力をかき集めはじめた。しかし勇者の得物が、風を裂いて振り下ろされるほうが早い──
「やあ、星城君! スタジオ外でもなかなか元気だな」
「リーダー!」
拙者と大太刀の間に滑り込んできたメラゴ殿を見上げ、驚愕する。彼は顔の目の前に迫った刃を見事に『真剣白刃取り』して封じ込めていた。大太刀からぶわりと炎があふれるが、鬼は涼しい顔をしている。それも当然でござろう。
「俺の『灼光丸』じゃないか。こっちまで来ていたんだな」
「どけ炎鬼ッ! 今はボクの剣だ。大金はたいてサハラ砂漠から掘り起こしたんだぞ」
「はは、それはありがとう」
あの近寄るだけで火傷しそうな炎刀と渡り合えるのは、持ち主であるリーダーだけでござる。拙者は迷わず戦線を離脱し、残りの仲間たちの元へ急いだ。
「ガルくん! 今のって、鬼!? 鬼って本当にいるんだ!! すごいすごい!」
「拙者も立派な人外なのでござるが!? くぅ、和製人外のネームバリュー羨ましい!」
「なんだかメラゴさんに似てたね? ていうかここ、どこなんだろう」
作詞作曲に没頭している時もそうでござるが、カノン殿の集中力はハンパない。先ほどは周りのことよりも、拙者との話し合いを優先されていたのでござろう。ようやく現在の状況を気にしはじめた彼女に、拙者は急いで予防線を張っておく。
「ここは無明アリーナでござるが、現実の世界ではござらん。そして拙者といつもつるんでいる三人も、実は人間ではありませぬ」
「そっか。何かひっかかっていたけど、ハリウッド俳優さんじゃなかったんだね……」
「ちょっとガッカリの方向が違いまするな!?」
「でもあの赤い服の子は、ユノだった」
「!」
ぎくり、と身を固くした拙者に気づいたのかもしれない。カノン殿は拙者の衣服をぎゅっと握り、呟いた。
「彼女は……私の親友は、人間の女の子じゃなかったの?」
「……分かりませぬ。彼女はかつて、別の世界で拙者たち『魔族』を滅さんと活動していた、『勇者』と呼ばれる存在。その時は、マントの似合うイケメン殿でござったよ」
「そっか……」
危険な資材山が少ない場所を選び、拙者は久方ぶりにアリーナの地に降り立つ。降ろしてもすぐには立てぬかもしれぬと案じた拙者の予想に反し、カノン殿はしっかりとした足取りでコンクリートを踏み締めた。
「私、たぶん、あの子とも話さなきゃいけない気がする。最近、様子が変だったから」
「カノン殿」
強い光を浮かべた瞳で、しっかりと拙者を見上げるシンガー。その先では、赤い光同士が宙で激しくぶつかりあっている。
「なんだか、アニメの世界に飛び込んだみたい」
「そうでござるな。まあセオリーに従うとすれば、拙者たちは『悪役』なのでござるが。この見た目ですし」
紋が浮いた紫の肩をすくめ苦笑する拙者だったが、次の瞬間にびくりと飛び跳ねた。片方の手がいつの間にか、柔らかな色白の手によって持ち上げられていたからでござる。
「ほんと、特殊メイクじゃないんだね。爪もすごい」
「か、カノン殿……!?」
「でも、やっぱりあなたは私の知ってる『ガルくん』だよ。だから、怖くない」
優しく拙者の手の甲をさすり、美女は黒髪の中にいつもの笑顔を咲かせる。
「今度は逃げないよ。全部自分の目で見て、考えて──ちゃんと納得できるまで、話し合うから」




