第36話 覚悟をCtrl + Sして
「何故でござる、ギガウノス……っ!」
ぴくりとも動かぬ小さな武具を握りしめ、拙者は唸った。戦鎚を呼び覚ますための魔力は十分に与えている。しかし得物は沈黙を貫いており、こちらに力を貸す気がないのは明らかでござった。
『鎚に覚悟を認められねば、振るえぬぞ』
あの忌々しい初陣記念日に聞いた魔王の声が、脳内に反響する。同時に浮かんだのは、みずからが放った攻撃によって無惨に抉り取られた山の風景。すっと身体が冷えた気がした。
「拙者に、どうしろと……言うのでござる……っ!」
あの日の光景を忘れたことなどない。幾度となく後悔し、懺悔し、時には命を手放そうとしたこともあった。しかし強靭すぎる身体では簡単に果てることもできず、ただ仲間たちの心配を深めるだけ。だから身を灼かれるような後悔を心の奥に追いやって、なんとか今日まで歩いてきたというのに。
「ガルシ……ッ!」
「メラゴ殿! すまぬでござる、拙者はやはり……」
「恐れて、いいんだぞ」
「!」
中型の四天王ゴーレムによる踏み潰し攻撃を押し留めているリーダーが、苦しそうな表情の中にわずかな笑みを浮かべる。
「恐れがあるから、強くなれる……。お前は、それでいいんだ」
「で、でも! 今、この武具を扱えねば意味が」
「扱えるさ。お前なら」
いつもと同じ、揺るぎない信頼。拙者ですら自分を信じることができないというのに、なぜこの男は──仲間たちは、拙者を見放さないのでござろう。
「拙者にはやはり、四天王の地位は重荷すぎたのでござる……。強さもなにも、得られなかった」
「そうか? お前は、さんざん……俺たちを、救ってくれたじゃないか」
「拙者が?」
兄貴分の意外な言葉に、拙者は目を丸くする。しかし思い当たる節がない。戦いも知恵も、長生きしている彼らに敵うわけがない。拙者が勝っているのは料理の腕と、頑丈さくらいでござる。あ、あとエンタメへの愛。
「ガルシ、温めまだ!? こっちはもう限界なんだけど!」
「そんなコンビニおにぎりみたいに言われても困るでござる、キティ!」
「ああもう、まーだグダグダ悩んでんのね! そんなの、次の覚悟で上書きしちゃえばいいのよ!」
「上書き?」
ぶんぶん腕を振り回すゴーレムを避けて飛び回りつつ、姐御が叫んだ。同じように魔術でゴーレムのパンチを弾いていたアスイール殿も、拙者に大声を投げる。
「過去は過去だ、ガルシ! そいつはどんな魔術でも書き換えられねえ。んなコトより今、自分が踏ん張りゃ守れるモンがあるだろうが! この勇者、花月に何するかわかんねえぞ!」
「それにカノンちゃんのメッセージ、見なかったの!?」
「なっ、何故、ここで彼女のことが」
「うっさい!! スマホ見て、ブログ!」
「!」
ものすごい剣幕に圧され、拙者は慌てて自分のデバイスを捜索した。トーガの見た目をしてはいるが、確かにこの衣服の原型は拙者の部屋着。だとすれば腰ポケットあたりに──あった!しかも、ちゃんと電波が来ているでござる。
「早くしろ、今のままじゃ二体の相手はそう保たねえぞ!」
拙者の分のゴーレムを引きつけてくれた魔術師に感謝の敬礼を送り、長い爪に気をつけながらロックを解除する。画面にヒビは入っているものの、動作に影響はないようでござった。ブラウザを開くと、すぐに拙者自身がレイアウトした見覚えのあるブログが映る。
最新記事のタイトルは、部屋で勇者ユノ殿に提示されたものと同じ。ページ更新をかけても、新しい記事は出てこなかった。
「ライブ出演の記事なら、知っているでござるが……」
「記事、最後までスクロールして!」
その指示に、拙者は慌てて小さなスクロールバーに指を添える。たしかに妙に長い。しばらく空白部分が続いたあと、小さな文字が打ち込まれていた。
『※申し訳ありませんが、最前列中央席付近は関係者専用席となっております』
「! これは……」
まだ続きがある。動悸を抑えつつ、拙者は震える指でゆっくりとバーを下ろした。
『私を支えてくれたあなたへ。いつもありがとう。この日はひとりのファンに戻って、最前列で歌を聴いてください。チケット、直接持っていきます』
じわ、と拙者の目が熱くなる。透き通った優しい声を、すぐそばで聴いた気がした。白い額の中で美しい眉を寄せ、うーんうーんと悩みながらメッセージを綴るその姿さえ、ありありと思い浮かぶようで。
『お待たせ。今度は最後まで、歌うから。──花月カノン』
バーが最下部に到達し、シェアボタンやコメント欄が表示される。拙者は記事の「いいじゃん!」ボタンをタップし、スマホを大事にポケットにしまう。
「ガルシ! これで分かったでしょ!? 次のライブで、あんたは最前列で彼女を応援してやんなきゃだめ。だから、絶対ここから帰るの」
ひらりと飛んでゴーレムの手を避けつつ、姐御が叫んだ。
「魔族のこととか、昔のこととか、難しいことはあとにしたらいい。あたしたちも、どうやって言うか考えてあげる。でも自分の気持ちだけは、あんたが伝えなさい! ──きゃっ、この!」
「キティリアッ!」
スリットから伸びた細い足を無作法にゴーレムに掴まれ、美女は宙で呻いた。すぐに気づいたアスイール殿が声を上げるが、二体の敵を一手に担っている彼が駆けつけられるはずもない。それはもっとも重量がありそうなゴーレムと格闘しているリーダーも同じ。
「──いつまで寝ているのでござる。ギガウノス」
拙者が低い声でそう呼ぶと、手の中にあった玩具のような武器が一瞬にして膨張を果たした。姿を現したのは、何者をも粉砕する巨大な漆黒の戦鎚。太い柄に刻まれた雷を表す紋様が、拙者が流し込んだ魔力に反応して眩く輝いた。
ぱち、と手に一筋の雷がまとわりつく。それを合図に、蜘蛛の巣状の亀裂を刻んで拙者はコンクリートを蹴った。視界の中で、客席の青いシートが一列の線となって後方へ飛ぶ。雷の力をまとった脚を数回動かすだけで、拙者はやたら乙女デコ風なゴーレムの元へ到達した。
『キャハハ』
ぎょろついた目をした懐かしのキャラぬいぐるみが、ゴーレムの膝で不気味に笑っている。拙者は戦鎚の柄を握りしめ、両足を大きく開いて腰を落とした。今度はしっかりと存在を主張するその得物を後方へ振りかぶり、バッターよろしく横ざまに振り抜く。
「でえい! でござるッ!」
凄まじい轟音と共に、ゴーレムの両足が粉砕される。すぐに体勢を戻し、第二撃。今度は胴体を破壊した。メラゴ殿が攻撃した時もそうであったが、ゴーレムの急所はここらしい。部品同士の結束が失われ、ゴーレムは弾けるように拙者の頭上で空中分解した。
拘束から放り出された中華風美女を片腕で抱き止め、拙者は崩壊の現場から数歩飛び去る。長いピンク色の髪の中で、姐御の瞳がぱちくりと瞬いた。
「が……ガルシ! あんた、それ」
「ご心配おかけ申した。脚、大丈夫でござるか」
「ええ」
「ではしばしお待ちを」
美女を安全な場所に下ろし、拙者は再び戦鎚を手に残りの敵の元へ。今度はだるま落とし形式ではなく、疾走の勢いも乗せての──
「ゴーレムビリヤードでござる!」
アスイール殿の魔術で動きが鈍っていた二体を、真横からまとめて打ち据える。瓦解しつつも巨大なゴミの塊となったそれらは狙いどおり、最後のやや大きめな一体を直撃した。拙者の動きを見ていたのでござろう、衝突の直前にさっと赤い光が遠のいていくのを確認する。
「「ガルシ!」」
敵の猛攻から解放された兄貴分たちの声が重なる。アリーナの壁に激突して爆散するゴーレムのかけらは、まるで戦隊ヒーローの迫力増強演出のよう。まあこの際、構わぬでござろう。拙者は戦鎚を掲げ、驚いた──しかしどこか嬉しそうな顔の同胞たちへと振り向いた。
「初の大型ライブに当日参戦できぬなど、ファンとして許されぬ愚行。数百年の時を経て今宵、拙者はこの鎚を振るうでござるよ──推しのために!!」
仲間たちが歓声で答える。そして待ちかねていたとしか思えない絶妙なタイミングで、ライトアップされたステージから少女の声が轟いた。
『はーっはっは! いいぞ、「地底筋肉」! このまま腑抜けた戦いになるのかと落胆していたが──ついにボクの相手に相応しい装いとなったな』
「拙者でご満足いただけるかはわかりませぬが、お相手いたしましょうぞ」
勇者の赤い髪が、闘志を具現化したかのようにゆらりと左右に広がる。その小さな身体から立ち昇る魔力の濃さは異常でござった。人間とは思えない。いや、だからこそ『勇者』と呼ばれる存在ということか。
「……」
拙者は得物を構えつつも、ひとり眉を寄せた。目の前の少女は一見して、ようやくきたる闘いに心躍らせているように思える。しかし本当に、それが彼女の望みなのでござろうか。
しかし今さら膝を交えて話を、などと提案できる空気ではない。そんな選択肢など眼中にないどこかの紅き魔法少女と同じく、『勇者』は混じり気のない闘志をこちらに叩きつけてくる。やるしかあるまい──
「弟分ばかりにいいシーンを撮らせるわけにはいかないな。そうだろう、皆?」
「あったりまえでしょ!」
「ここからだぜ」
ザンッという効果音すら聞こえそうな熱を放ち、仲間たちが拙者の横に並び立つ。それぞれ得物は手にしていないが、だからといってポップコーン片手にベンチから観戦するような彼らではない。それを承知していた拙者は深くうなずき、我ら四天王はついに宿敵と真正面から対峙した。
「行くぞ、皆!」
『はじける☆すまいる☆うーなーるちかーらー! ラブもバトールもーネバー☆ぎぶあっぷっ♫』
「あ、失礼。拙者でござる」
ここが歴史あるお笑い番組のスタジオであれば、全員がズッコケていたでござろう。事実、駆け出そうとしていた同胞たちは誰もがたたらを踏んだ。拙者は申し訳なく思いつつ、場違いに陽気なアニソンを奏でるスマホを取り出す。大事な決戦前には、マナーモードにしておかねばですな──
『着信:花月カノン』
「ッ!?」
大きく表示された名前に拙者は固まる。それでも紫の指は迷わず、受話ボタンへと伸びた。兄貴分が驚き、水色の瞳を険しく光らせる。
「てめえガルシ、状況わかってんのか!? 数百年の友情よりも、惚れた女からの電話が優先なのかよ」
「ったりめーでござる! 友情なんて所詮そんなもんでござる!!」
「そうね」
「そうだな」
「お前らあああ!?」
どこか達観した顔でうなずくリーダーと姐御に目で示され、拙者は顔の前で手を立てつつ場を辞した。同意を得られなかった悔しさからか、ついに魔術師は敵側にも絡みにいってしまう。
「てめーもなんか言えよ! ここからってタイミングだったろうが!」
「ふん、別れの言葉くらいは交わさせてやろう。それが相対者の流儀だ」
「人拐いを平気でやってのけたヤツが急に行儀よくなってんじゃねえ!」
哀れなその叫びから離れた場所で、拙者は恐る恐るスマホを尖った耳に当てる。羽飾りが邪魔でござる。
「も……もしもし」
『が、牙琉くん!? カノンです! きゃっ、わっ……わぁっ!!』
「カノン殿!? どうなされた、大丈夫でござるか!?」
彼女の狼狽っぷりに釣られ、拙者は大声を出した。そのお声は悲鳴に近く、まるでジェットコースターに搭乗しながら通話しているかのように安定しない。ほかに聞き取れるのは凄まじい風切音と、時折ダンッと何かを踏みつけるような足音──
『だ、大丈夫じゃないかもっ! ごめん!!』
「えええ!?」
『わ、私、もしかしたらこのままっ、死ぬかも、しれなくてっ!』
「!?」
もはやどう応答すれば良いかわからぬでござる。これは拙者が人間世界生活七年生ゆえの未熟さというよりはきっと、誰であっても戸惑うしかできぬ状況というものでござろう。
唖然とする拙者の耳に、風切り音の合間を縫って彼女の声が届く。
『だ、だからっ、せっかくのライブ、できないかも、しれなくてっ……! きゃっ』
「カノン殿! やはり危険な状況なのでござるか!? まずはご自分の安全を」
『が……牙琉くんにも、もう、会えないかもしれな、くて……っ!!』
「!」
『でも、伝えておきたいの! 私、あなたが──っわ!!』
ひときわ大きな悲鳴が上がると同時、彼女の声が途切れる。がざがざとくぐもった大きな雑音が入り、静かになった。どんな音も聞き漏らすまいとスマホに食らいつく拙者だったが、やがて遠くのほうから抑揚のない男の声が聞こえた。
『どこの世界であれ、そういったことは本人に直接伝えるべきであろうな』
「!?」
『我は少し用事を片付けに戻る。先に行くがよい』
『えっ!? きゃっ、きゃああああああ!?』
ブツ、という通話終了の音が無常に響く。「電話する人」という銅像と化した拙者は呆然と、ツーツーという電子音を聴いていた。男の古めかしい話し方には、嫌というほど心当たりがある。しかしその顔と声が、拙者の記憶とは一致しない。いいやそれより!
「皆、大変でござる! カノン殿が、誘拐されも」
「わかってる! 走れ、ガルシッ!!」
「はぇ!?」
「上よ、上っ!!」
ライトが無数に埋め込まれた天井のすぐ下。その空中に、不思議な亀裂が走っていた。虫食い穴にも見えるそこから、まるで通話の続きのように聞き覚えのある声が迸っている。
「きゃああああああーーーっ!!」
「!」
空間の裂け目から一直線に墜ちる、細い影。
悲鳴になろうとも美しい、その声の持ち主は。
「か……カノン殿おおお!?」
親方! 空から、『推し』が──!?




